【回想録 由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い 第32回】
🔷「新婚時代」の中の「新居と転居」の前半を掲載します。🔷
『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』
(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)
2016年1月25日 発行
著者 藤巻 隆
発行所 ブイツーソリューション
✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第32回)✍
「新婚時代」の中の「新居と転居」の前半を掲載します。
新婚時代(10)
新居と転居 前半
新婚当時(平成三年、一九九一年)、私は日本洋書販売配給(洋販、後に日本洋書販売に改称)という外国の書籍・雑誌の輸入卸売会社に勤務していました。洋販の最寄り駅は高田馬場でした。JR山手線と西武新宿線、地下鉄東西線が利用できます。
そのため、二つの理由で西武新宿線沿線に新居を探しました。一つは通勤の便が良いことで、もう一つは由美子の実家(西武新宿線入曽駅が最寄り駅)に近いことです。不動産屋を回り、決めたのは花小金井駅から徒歩約十分の一軒家の二階でした。二つの偶然が重なりました。一つは住所がなんと「鈴木町」だったことです。由美子の旧姓は鈴木です。もう一つの偶然は大家さんが「S」さんというお名前だったことです。会社の同僚に同姓の方がいたのです。「S」という苗字はあまり多くないので、驚きました。
由美子は実家のある狭山市から、私は横浜市から小平市へ転居しました。結婚三年目に可奈が生まれ、翌年(平成七年)に転居しました。家族が三人になり手狭になったからです。
トラブル発生
次の転居先は、最寄り駅が小平の賃貸マンションでした。初めてのマンション生活でした。早速、トラブルが発生しました。上階の部屋の音がかなり大きく、由美子はノイローゼ気味になりました。私は仕事で家にいないので分からなかったのですが、上階に住む人はフローリングにカーペットを敷いていないらしく、「大きな音が響いてきた」と由美子が言っていました。管理会社にその旨を話したのですが、埒が明かず、最初の更新時、つまり二年後(平成九年)に転居することになりました。
岳父の死
ここに住んでいる間に岳父が死去するという不幸がありました。平成九年のことです。
三度目の転居
三度目の転居先は、久米川駅から徒歩約十分の賃貸マンションでした。引越し当日、引越業者の作業が遅れ、深夜近くになりました。そのため幼少の可奈は眠くなりました。ところが、荷物が片付いていないため、布団が出せませんでした。
途方に暮れていたところ、同じマンションに住むMさんご夫妻が布団を貸してくださったのです。たとえは不適切かもしれませんが「地獄で仏」のような気持ちがしました。由美子も私もMさんに大変感謝したのは言うまでもありません。ここでも偶然がありました。Mさんの奥様の名前も「由美子」さんだったのです。そのような経緯があり、親しくお付き合いさせていただきました。
(PP.81-82)
➳ 編集後記
第32回は「新婚時代」の中の「新居と転居」の前半を書きました。
新婚当時、引越をよくしました。住環境は重要ですね。マンションの場合、上階下階左隣右隣の人たちとの関係に神経を使います。Mさんご夫妻のような心遣いのできる方がいらっしゃる一方で、音に対して無神経な方もいます。
ただ、音に関しては、生活音か騒音かという感じ方は人それぞれなので、お互いに妥協することが難しいことです。
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