【五木寛之 心に沁み入る不滅の言葉】 第19回
『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』 五木寛之講演集
五木寛之さんの『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』から心に沁み入る不滅の言葉をご紹介します。
五木さんは戦時中から特異な体験をしています。
「五木さんは生まれて間もなく家族と共に朝鮮半島に渡り、幼少時代を過ごしました。そこで迎えた終戦。五木さんたちは必死の思いで日本に引き揚げたそうです」(「捨てない生活も悪くない」 五木寛之さんインタビューから)
今年9月に90歳になるそうです。今日に至るまで数多の体験と多くの人々との関わりを掛け替えのない宝物のように感じている、と思っています。
五木さんは広く知られた超一流の作家ですが、随筆家としても、講演者としても超一流だと、私は思っています。
一般論ですが、もの書きは話すのがあまり得意ではないという傾向があります。しかし、五木さんは当てはまらないと思います。
「生きているだけで」から
五木寛之の心に沁み入る不滅の言葉 1 (55)
「生きているだけで」から
五木寛之の心に沁み入る不滅の言葉 2 (56)
「生きているだけで」から
五木寛之の心に沁み入る不滅の言葉 3 (57)
出典元
『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編 五木寛之講演集』から
2015年10月15日 初版第1刷発行
実業之日本社
✒ 編集後記
『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編 五木寛之講演集』は、講演集ということになっていますが、巻末を読むと、「2011年8月東京書籍刊『生かされる命をみつめて』『朝顔は闇の底に咲く』『歓ぶこと悲しむこと』に加筆の上、再構成、再編集したものです」と記載されています。
裏表紙を見ると、「50年近くかけて語った講演」と記されています。それだけの実績があります。
🔷 「人間の死に方に立派な死とか、くだらない死とか、意味のある死とか、そういうものはない、死はみんな死なんだと一方では思い、人間が生きているということも、立派な生き方、くだらない生き方、無意味な生き方、そんな生き方に差別なんかあるのだろうか、人間が生きていることは、みんな同じなんだ、とこんなふうに考えるようになったのです」
このような考え方に驚きました。どうしたらこのような結論に至るのだろうかと考えました。
長く生き、数多くの経験をし、試行錯誤し、立ち止まり、思索する時間を大切にしてきたからだろうと思いました。
私は一般的な考え方しかできていませんでした。
つまり、立派な死に方、立派な生き方、くだらない死、くだらない生き方等しか考えたことはありませんでした。
死にまつわる言葉には、あまり良い意味の言葉はありません。犬死に(無駄死に)とか一巻の終わり、花と散るなど。
死にまつわる言葉を検索したら、「日本語ほど『死』にまつわる言葉使いを持った国はありません」ということでした。
日本人の死生観を表しているのかもしれません。
他方、生きるという言葉はどうでしょうか?
こちらはどう生きるかというテーマで数多な例があります。
人生観とはどのような生き方をすべきかということが述べられます。
私は単純に「他人と比べるのではなく、自分らしく生きられればそれで十分」と67歳に至るまでずっと考えてきました。
今後のことは分かりませんが、考え方はたぶん変わらないと思います。
⭐ 参考データ
「人生」とは何か?4つの人生観を知って自分の人生を生きよう!
死生観とは生と死の考え方。その日に備えて自分と向き合おう
🔶 五木寛之さんの言葉は、軽妙洒脱という言葉が相応しいかもしれません。軽々に断定することはできませんが。
五木さんの言葉を読むと、心に響くという言うよりも、心に沁み入る言葉の方が適切だと思いました。
しかも、不滅の言葉と言ってもよいでしょう。
著者略歴
五木寛之ひつき・ひろゆき
1932年福岡県出身。早稲田大学露文科中退。67年、直木賞受賞。
76年、吉川英治文学賞受賞。
主な小説作品に『戒厳令の夜』『風の王国』『晴れた日には鏡をわすれて』ほか。
エッセイ、批評書に『大河の一滴』『ゆるやかな生き方』『余命』など。
02年、菊池寛賞を受賞。
10年、『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞受賞。
各文学賞選考委員も務める。
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