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【シリーズ 半導体 2】 「日の丸半導体」が凋落した根本原因 前編

🔷 「日の丸半導体」が凋落した根本原因について、富士通の半導体部門のトップであった人物による証言を中心に2回に分けてお伝えしていきます。今回はその前編です。

「日の丸半導体」が凋落した根本原因

【シリーズ 半導体 1】では元経産省官僚の証言を中心に日本の半導体産業の歴史、その後の経緯等をお伝えしました。URLは最後に掲載しています。

出典元:東洋経済新報社

証言者

証言者は「富士通で半導体部門のトップを務め、現在は半導体の設計ベンチャーを経営する藤井滋氏」です。

日本の半導体産業の歴史

まず、日本の半導体産業の歴史を振り返ってみましょう。

日本の半導体産業はなぜ凋落してしまったのでしょうか?

▷ 1980年代に日本の半導体産業が勝てた理由 ◁

1940年代後半に半導体を発明したのはアメリカだ。1980年代にそのアメリカに日本は半導体の製造で勝った。それは、1970年代に日本が新しい技術を作ったからだ。 たとえばクリーンルームという概念を生み出した。 (中略) 半導体の基本特許はアメリカ発かもしれないが、LSI(大規模集積回路)にしたのも日本だ

🔶 上記の指摘は一般にあまり知られていない事実でしょう。


マーケットがあった

「もう1つ大事なことがある。マーケットがあったことだ。当時、日本の大手電機はみんなNTTファミリーで通信機器やコンピュータを造っていた。半導体は自社の通信機器やコンピュータの部門が大口顧客だった。自社のハードを強くするために強い半導体がいる。通信機器部門やコンピュータ部門にとって、自社で半導体部門を持つメリットがあった

🔶 「自社で半導体部門を持つメリットがあった」という指摘は、重要です。日本はのちにこの部門が金ばかりかかって利益を生まないと言って捨ててしまったのです。 このときの判断が禍根を残すことになりました。


半導体製造装置関連企業を生む

別の言い方をすれば、コンピュータメーカーの富士通やNEC、東芝、日立でなく、東京エレクトロンやアドバンテスト、レーザーテックという半導体製造装置関連企業が出現したとも言えます。

ただこれらは半導体メーカーではありません。半導体製造装置関連企業です。


▷ 成功方程式が崩れた理由 ◁

マーケットが通信機器と大型コンピュータからパソコンに変わったからだ。当初は各社独自のパソコンだったが、IBMの標準機になった。半導体も同じものをいかに安く作るかの競争になった。 NTT仕様の自社の通信機器向け半導体は35年保証の世界。設計、プロセス、品質管理もその水準でやっていた。それをパソコン向けにも展開したが、必要とされたのは品質より安さだった。パソコンは数年もてばいい」

🔶 世の中の変化への対応が遅れたことが大きかったと思います。大型コンピュータからパソコンへの変化によって、価格競争に破れたという点もあるでしょう。


▷ 半導体を知らない本社主導の弊害 ◁

「国プロに参加した人材は研究者としてはトップクラスも多かったが、成果を持ち帰って事業を興そうと考えた人材はほとんどいなかった。一方、欧米の国プロでは関わった技術者がその後に会社を作った

*国プロ:半導体産業振興のために国によるプロジェクト

🔶 経営的な決定権を持っていない人材の集まりだったということです。起業家精神も持ち合わせていませんでした。


▷ 技術と人材の流出、賃金の平等主義の弊害 ◁

全社の投資額が年間3000億円のところ、半導体に5000億円の投資はできない。富士通だけではなくNECも日立(製作所)も同じだ。対して、(韓国の)サムスン(電子)やTSMCはそれができた

サムスンや現代(現SKハイニックス)の半導体事業は、当時の日本の技術者が週末に韓国へ行って指導して立ち上げた

日本は労働者の流動性がないので全体の賃金が抑えられるが、トップ人材も雇えない。結果、エレクトロニクス分野では日本は三等国になってしまった」

🔶 「日本は社会主義が最もうまく行った国」と揶揄されるように、能力のある人(大きな成果を出せる人)も、ない人も賃金に目立った差がありません。悪平等と言われる所以です。欧米や韓国、中国では日本とは比べ物にならないくらい賃金格差があります


次回、日本が半導体で復活するための処方箋を今回の証言者藤井滋氏が提示しています。 期待しましょう!



<出典元>


画像は写真ACから拝借しました。


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藤巻 隆
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