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【五木寛之 心に沁み入る不滅の言葉】 第18回

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』 五木寛之講演集


 五木寛之さんの『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』から心に沁み入る不滅の言葉をご紹介します。

 五木さんは戦時中から特異な体験をしています。
 「五木さんは生まれて間もなく家族と共に朝鮮半島に渡り、幼少時代を過ごしました。そこで迎えた終戦。五木さんたちは必死の思いで日本に引き揚げたそうです」(「捨てない生活も悪くない」 五木寛之さんインタビューから)


 今年9月に90歳になるそうです。今日に至るまで数多の体験と多くの人々との関わりを掛け替えのない宝物のように感じている、と思っています。

 五木さんは広く知られた超一流の作家ですが、随筆家としても、講演者としても超一流だと、私は思っています。

 一般論ですが、もの書きは話すのがあまり得意ではないという傾向があります。しかし、五木さんは当てはまらないと思います。 



「生きているだけで」から

五木寛之の心に沁み入る不滅の言葉 1 (52)

 その頃の私の悩みというのは、自分がなにも意味のない生き方をしている、あるいは自分の生き方が、人間らしい生き方とは言えないんじゃないか、ということだったのです。自分の生き方はむなしいものだ。
 いまにして思うと、そういうことを考えられたこと自体が、すごく贅沢ぜいたくな時間だったのだな、とも感じるのですが、とにかく、私の頭のなかでデカルトのことばが強迫的な声のようにずっと響いておりました。

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』 五木寛之                  




「生きているだけで」から

五木寛之の心に沁み入る不滅の言葉 2 (53)

 やがて時間がたち、六十歳を過ぎた頃から、私はまったく違った考え方に到りました。
 デカルトが「我思う、ゆえに我あり」という卓抜たくばつなことばを吐く以前に、中世のヨーロッパの神学者として、とても大きな存在であった思想家トマス・アクィナスのことばを知ることになったからです。

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』 五木寛之                  



「生きているだけで」から

五木寛之の心に沁み入る不滅の言葉 3 (54)

 トマス・アクィナスは、『神学大全しんがくだいぜん』という著作で知られる、大変高名な神学者ですが、彼は、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」ということばに先立って、「我あり、ゆえに我思う」という驚くべきことばを発しており、そのトマス・アクィナスのことばが人々の間に、広くゆき渡っていたというのです。
 デカルトはそういうものの考え方にたいして、「そうじゃない。人間は考えるからこそ生きているんだ」という考えに立った。トマス・アクィナスの「我あり、ゆえに我思う」という、存在を優先させる考えをひっくり返して、大変大胆だいたんで激しいことばとして、「我思う、ゆえに我あり」という宣言をしたんだということを知りました。
 デカルトの「我思う、ゆえに我あり」ということばは、近代的な人間の誕生の宣言と言っていいものだと思います。
 しかし、いま、私が感じているのは、人間がまず生きているということのほうに、つまり、どのように生きているかということではなく、生きているということ自体のほうにウエイトをおいてものを考えてもいいのではないか、ということなのです。

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編』 五木寛之                  


出典元

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編 五木寛之講演集』から
2015年10月15日 初版第1刷発行
実業之日本社




✒ 編集後記

『生かされる命をみつめて 自分を愛する 編 五木寛之講演集』は、講演集ということになっていますが、巻末を読むと、「2011年8月東京書籍刊『生かされる命をみつめて』『朝顔は闇の底に咲く』『歓ぶこと悲しむこと』に加筆の上、再構成、再編集したものです」と記載されています。

裏表紙を見ると、「50年近くかけて語った講演」と記されています。それだけの実績があります。

🔷 「我あり、ゆえに我思う」

私はこの言葉は知りませんでした。
このように五木さんが詳しく説明されて経緯を理解しました。

正直に言えば、前後を逆にしたらどうなのか、と若い頃に考えたことがありました。
自分が存在しなければ、考えるということ自体あり得ない。
単なる言葉遊びではないのかと思ったりしていました。

しかし、五木さんの「生きているということ自体のほうにウエイトをおいてものを考えてもいいのではないか、ということなのです」という指摘に我が意を得たりと心の中で快哉を叫びました。

後講釈と言われればそれまでですが。


⭐ 参考データ

このウェブサイトの中で、デカルトの考え方が現在でも有用であると思ったことは次のことです。

方法

ものを学ぶためというよりも、教えることに向いていると思われた当時の論理学に替わる方法を求めた。そこで、最も単純な要素から始めてそれを演繹していけば最も複雑なものに達しうるという、還元主義的・数学的な考えを規範にして、以下の4つの規則を定めた。

  1. 明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れないこと。(明証)

  2. 考える問題をできるだけ小さい部分にわけること。(分析)

  3. 最も単純なものから始めて複雑なものに達すること。(総合)

  4. 何も見落とさなかったか、全てを見直すこと。(枚挙 / 吟味)

いかがですか?



このウェブサイトの中に次の指摘があります。これはトマス・アクィナスの功績の一つに過ぎないかもしれませんが、後世に大きな影響を与えたと考えられます。

「トマスのおかげで、アリストテレスなどによる古代ギリシャ自然哲学は公に研究できるようになった。これによるアリストテレス自然哲学などの研究は、17世紀のいわゆる「科学革命」へとつながっていった」




🔶 五木寛之さんの言葉は、軽妙洒脱という言葉が相応しいかもしれません。軽々に断定することはできませんが。

五木さんの言葉を読むと、心に響くという言うよりも、心に沁み入る言葉の方が適切だと思いました。

しかも、不滅の言葉と言ってもよいでしょう。




著者略歴

五木寛之ひつき・ひろゆき

1932年福岡県出身。早稲田大学露文科中退。67年、直木賞受賞。

76年、吉川英治文学賞受賞。

主な小説作品に『戒厳令の夜』『風の王国』『晴れた日には鏡をわすれて』ほか。

エッセイ、批評書に『大河の一滴』『ゆるやかな生き方』『余命』など。

02年、菊池寛賞を受賞。

10年、『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞受賞。

各文学賞選考委員も務める。







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