フリー・ガイ(2021)
ショーン・レヴィ監督「フリー・ガイ」を観た。何でも起きうるゲームの世界で、平凡なモブキャラだった主人公"ガイ"が理想の女性と出会ったことをきっかけに自意識に目覚め、ゲームの世界を守るヒーロー(?)になる物語。
まず、何はともあれこのゲーム世界を実写化してみせた映像が、きらびやかで賑やかでポップでとにかく楽しい。車が暴走し、銃をぶっぱなし、ミサイルが撃ち込まれ、あっちもこっちも大爆発や犯罪だらけの世界で、参加プレイヤーは好き放題の大暴れ。まぁ、オープンワールドのオンラインゲームの中なので、当然の楽しみ方なんだけど。
何者でもなかった主人公が自我に目覚め、このゲーム世界の滅亡を食い止めるために体を張って活躍し、ハッピーエンドへ。うーん、明るくて心地よくて面白い映画だった。めでたし、めでたし!
…で終わってもいいんだけど、この主人公"ガイ"は自分の意識で行動しているように見えて、実はプログラミングされた存在。プログラムとはいえAIなので成長はするんだけど、ベースは現実世界のプログラマーによって生み出されたコードでしかない。
そして、映画の大部分で起きる大スペクタクルはすべて開発者がプログラムを書き換えながらサーバー上で起きる出来事であって、(セーブデータがなくなっちゃう的なダメージはあっても)現実のゲームプレイヤーにダメージを与えることはない。すべては、プログラムによって、仮想世界で起きていることなのだ。
【以下、ネタバレ】
最終的に"ガイ"は開発者のひとりである男の子の、共同開発者の女の子に対する想いがプログラムされていて、"ガイ"がラブレターのような役割をはたして、ぐるっと回って現実の二人の想いが通じるという話に収斂する。それはそれで素敵なお話なんだけど、紆余曲折あった「世界が崩壊するかのような大ピンチ」は結局、なんだったんだっけ?と思わなくもない。
「ジュマンジ」のように現実のプレイヤーがゲームの中の世界で疑似体験的に大冒険するっていう話だと割り切れるが、ゲームの中のNPCが意思を持って行動する、けど、それはプログラムされたNPCであるというところが、ちょっと居心地悪いなぁ…
それはさておき、悪役を楽しそうに演じるタイカ・ワイティティが、主人公"ガイ"を演じるライアン・レイノルズの次くらいに目立っていて面白かったです。
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