キャンディマン(2021)
自分の中でもまとまりきってなくて、一部理解が足りていない部分があるかもしれませんが、現在公開中のニア・ダコスタ監督「キャンディマン」を劇場で観て、1992年に公開されたバーナード・ローズ監督による「キャンディマン」をDVDで見直した上での感想を書きたいと思います。(すでにこの原稿をああでもない、こうでもないと2週間もこねくりまわしております。)
まず、現在公開中の2021年版「キャンディマン」は、1992年版の続編にあたります。まぁ、前作を見ていなくても理解できなくはないですが、今回の作品の背景(または前提)として劇中に影絵を使って語られる物語は、そのまんま1992年版「キャンディマン」のあらすじであり、その登場人物が本作にも登場するので、切っても切れない関係であることは間違いなく、前作を見ている方が理解度は深まります。
ただし、同じ「キャンディマン」で、物語がつながっていても、作り手の"力点"は随分と異なっているように感じます。前作が割と純粋にホラー映画を志向していたのに対し、新作では「Black Lives Matter」を受けて、"黒人は有無を言わさず白人警官に撃ち殺される"みたいな人種差別の理不尽さがより前面に押し出されているのです。
「ゲット・アウト」や「アス」(これらの2作はなかなかの傑作だと思っていますが…)を手がけたジョーダン・ピール氏が製作や脚本に入っているので今回の作品にも期待していたのですが、結果から言えば、もともと「キャンディマン」という作品が持っていた要素の一部分だけを強調しすぎて、作品全体の魅力を歪めてしまったような気がしてなりません。人種差別問題への怒りを描くために「キャンディマン」を引っ張り出してきた印象を受けました。
新作の始まりは、不意に現れて子供にキャンディをあげようとした人物に驚いた子供が悲鳴をあげたら、ドドドッと警官が押し寄せてきて何の状況確認もせずに射殺。ラストも同じくドドドッと警官が乗り込んできて射殺。相手が白人だったら、こんなことしないよね? みたいな演出です。
でも、そもそもが、鏡に向かって5回「キャンディマン」って唱えるとキャンディマンが現れて殺されるよっていう都市伝説的な設定だし、本質的には白人によって理不尽な死に追いやられた黒人の復讐の物語であるはずが、主人公の周囲にいてキャンディマンに出くわした人物は呪文を唱えていなくても片っ端からスパスパ殺されるって、そういうことなんだっけ?と思ったり。1992年版でも白人のみならず黒人もキャンディマンに殺されていたし、本作でも黒人が犠牲者として選ばれているし…
なんだかよくわからなくなってきましたが、2021年版は1992年版よりホラー演出は控えめになり、社会派風ではあるものの、いまひとつ主題がうまく整理できていない中途半端な作品に仕上がってしまった気がしてならないのです。
【以下、ネタバレ】
2021年版では、コインランドリー店を営んでいる黒人男性が主人公をキャンディマンに導いていくのですが、そのために主人公の右手を切り落としかぎ爪をつけるなど黒人によって黒人が傷つけられる展開は、キャンディマンを伝承させるためとはいえ、腹落ちしないなぁ…。白人に迫害された黒人の怒りを伝承するための"殉職者"または"生贄"って理解しろってことなのかなぁ。
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