ウェールズ語政策(ここまでのまとめ)
これまでに投稿した記事の総集編です。
■私のウェールズ語との接触状況
ウェールズはカーディフに引っ越して4カ月が経った。ウェールズは道路標識などがウェールズ語と英語の2言語表記になっており、電車やバスなどの公共機関、大手スーパーの一部のアナウンスも英語に加えてウェールズ語が流れる。それでも、私が生のウェールズ語会話を耳にしたのはこの4カ月で1度だけである(ただしウェールズ語教室は除く)。たまたま図書館で書籍を探していた際に、職員の方々がウェールズ語で仕事について何かの会話をされていた。こと、首都カーディフにおいては、ウェールズ語よりも、観光客のフランス語やスペイン語、移民と思われる人たちのヒンディー語など“外国語”を耳にする機会の方が多いというのが私の正直な感想である。
私の勤務先は南ウェールズに位置する日系企業の製造拠点であるが、500人強の従業員がいる中で、ここでも勤務中にウェールズ語会話を耳にすることはない。職場の飲み会に行けば乾杯の挨拶こそ「Iechyd da(jɛxəd dɑ ヤキーダ)」で始まり、私の上司も「Thank you」の意で「Diolch(ˈdiː.ɔlχ ディオルフ)」とは日常的に言っているものの、それ以上のウェールズ語単語を同僚が発しているのは未だ見たことがない。私がウェールズ語に興味があることを非ウェールズ語話者の社員に話すと「〇〇さんは、ウェールズ語が第一言語だ」という情報をいただくが、紹介されるのは毎回同じ人物である。これぐらいにウェールズ語の存在は外部の人間から見ると“隠れて”いる。
しかし、私が以前に隣国のアイルランドに住んだことがあり*[1]ウェールズ語学習に興味があること、発音規則に慣れてきたこと、「Dwi moyn dysgu Cymraeg (I want to learn Welsh languageの意)」など覚えてきたフレーズを披露することで、少しずつ「冷やかし」や「好奇の目」ではなく、ある程度は情熱を持って当該言語を知りたいと思っていることが浸透し始めた。そして徐々にではあるが情報が入ってくるようになった。肌感覚としては、弊社内でもウェールズの全国統計と一致するように、数十人のウェールズ語話者がいるようである*[2]。「地元に帰ればウェールズ語を話す」とおっしゃる方もいれば、職場においても「ウェールズ語話者同士はお互いにウェールズ語を話せることを知っているので、実はウェールズ語で会話している」とのことであった。一人でも非ウェールズ語話者がその場にいれば、英語へのコードスイッチが起きるため、やはり外部の人間(それも見るからに外国人の私)は一向にウェールズ語を耳にする機会に恵まれにくいようである。
*[1]見るからに外国人の私が「ウェールズ語に興味がある」と突然言うのは、現地の方々からすれば、いささか唐突らしく、私自身も話を切り出しづらいため、「同じケルト系のアイルランドで言語に興味を持った」と必ず前置きを入れるようになった。
*[2] その中には、ウェールズ語話者というよりは、教養としてある程度のウェールズ語の知識があり、蘊蓄を披露できるレベルの方々も混ざる。
■統計から見るウェールズ語話者
2019年の統計でウェールズの人口は313.6万人。国勢調査では20%前後の人々が「ウェールズ語がわかる」と回答する一方で、当該言語を「流暢に話せる」と回答しているのは2013年の調査では11%程度で318,800人前後とされる (Welsh Government & Welsh Language Commissioner, 2015)。
2017年より、ウェールズ政府は2050年にウェールズ語話者が100万人まで増えることを目標としている。そのために。「話者を増やすこと」はもとより「ウェールズ語を使う機会を増やすこと」「望ましい状況(インフラと文脈)を作ること」を施策として「Cymraeg 2050」と名打った計画を進めている(Welsh Government, 2017)。これは当該言語の家庭内での使用頻度拡大、子どもへの早期教育、教育、職場での利用に加え、政府としては社会、職場、公共サービスでのウェールズ語支援を約束するものになっている。
ウェールズ語の話者率が地域によってバラつきがあるのも特徴で、話者率が最も高いのは北部のGwynedd 76.3% とthe Isle of Anglesey 62.1%で低いのはBlaenau Gwent 16.6%, Torfaen 17.3% と Swansea 17.6%で南部*[1]である(Welsh Government, 2022)。最新の統計では、ウェールズ語使用者の中でも、毎日話すのは14.8% (449,900人)、毎週は 5.6% (169,700人)、それ以下が 7.6% (229,500人). 話せるがまず話さない人が1.7% (50,300人)というような報告もある(Welsh Government, 2022)
また、年齢別で見れば、義務教育過程である3-15歳の「ウェールズ語がわかる」という回答は4割を超えており、「流暢に話せる」と回答したのは15%と、話者率が最も高いのは若年層であることを統計は裏付けている(Welsh Government & Welsh Language Commissioner, 2015)。
*[1] ただし、人口は南部の方が多いため、使用率は低くても話者数でみると多い地域は多分に存在する。
■正書法・方言と大人の初学者の反応など
ウェールズ語には正書法は存在するが、話し方になると方角で大分しても4つの方言が存在しており*[1](The Welsh Academy, 2008)、一般的にも「北部の方言」「南の方言」と認識されることが多い。北部の方が話者人口も話者率も高いことから、北部での話し方をベースにしている教材が多いようである。このため、私が参加した(南部の)成人向けの初学者の講座では出席者の「私がDulingoで見たのと違う」「学生時代に習ったのと異なる」「自分の記憶違いだろうか」という質問や発言が散見し、講師側もそれに応じる形で「(北部とは異なり)南部ではこう発音する」「そう表現する地方もあるだろう」といった受け答えをされていた。
第2言語学習において、ネイティブらしい会話の取得は、教える側・学ぶ側にとって必ずしも期待されている条件ではない。しかし、地域の少数言語においては、言語復興の観点から、そういうわけにはいかず、アイデンティティと正当性の観点から「ネイティブらしさ」が求められるケースが自ずと増える。ウェールズ語もその例外ではない(Williams & Cooper, 2021)。成人のウェールズ語学習者を調査した研究によれば、概してウェールズ外からの学習者(学生時代にウェールズ語の学習経験がない)の方が自身の発音をネガティブに捉えており、ウェールズ出身者以上にアクセントを矯正したいと考えている。そして、学習レベルが上がるにつれて、どの学習者も徐々に「ネイティブらしく話す」ことを気にしなくなる傾向が見られる(Williams & Cooper, 2021)
実際、現代ウェールズ語は地理的な要因もあり、英単語を混ぜて会話されることが多く、借用語や新語に加えて、ウェールズ語で思い出せなかった単語を英単語に言い換えて発言しても(聴く側も英語が理解できるため)意志の疎通が図れるほか、さほど違和感もない。これは著者の経験上、手話学習者やそのコミュニティにも似たようなコミュニケーション方法が見られる。例えば、日本手話での会話中に学習者側がわからない表現にぶつかった場合、日本語での平仮名表記を指文字で代用することで、会話中の分からない単語の埋め合わせに使ったり、手話話者にどう表現するかを質問する際に使ったりできる。
*[1] 方言については、6つに大分するものや、14の方言があるとする解説もあるが、ここでは北西(Venedotian)、北東(Powysian)、南西(Demetian)、南東(Gwentian)に大分する。なお、話し言葉が大きく異なる中でも正書法が確立されているのは、記述言語としての継続使用されていたことによる影響が大きい(The Welsh Academy, 2008)。例えば、1536年のイングランドによる併合以降も、教会ではウェールズ語の聖書(1588年出版)が使われていた。近代では1889年から1929年までバンゴール大学でウェールズ学の教鞭をとったジョン・モリス=ジョーンズの功績が大きい(Davis, 2014)
■ウェールズ語政策の予算
直接的なものや間接的なもの、横断的なものがあることを考えると、実際にウェールズ語振興にいくらの政府予算が実際に費やされているのかを算出するのは非常に難しい。それでもウェールズ政府の2022年度の最終予算案188億ポンドのうち、4,360万ポンド(0.23%)の支出が“Bilingual Costs”に充てられている(Welsh Government, 2023)。これにはウェールズ語についての宣伝*[1]や授業に関わる教師の給与、標識の翻訳なども含まれている(Ibid.)2021年度においては、3,920万ポンドが支出されており、1,230万ポンドが教育関連、2,095万ポンドがウェールズ語関連活動、335万ポンドがウェールズ語委員会(The Welsh Language Commissioner または Comisiynydd y Gymraeg)への出資、残る222万ポンドがコロナに伴う補正予算であった(Welsh Government, 2021)
*[1] なお、宣伝活動について2020年度の支出実績は218,000ポンドと公表されている(Welsh Government, 2023)
■ウェールズ語とアイデンティティ
よく耳にする「私は申し訳ないことにウェールズ語は話せないがれっきとしたウェールズ人だ」というコメントは彼らのアイデンティの複雑さを内包している(Thomas, 2013)。なお自身をウェールズ人だと回答する人間の8割強はウェールズ出身で、1.2割はイングランドの出身である(Ibid.)。ウェールズ語を話せる小学生でも、大多数は学校以外ではウェールズ語を話さない。(Ibid.)
ウェールズ(語)文化のイベントの宣伝文句も「ありがとう、1、2、3しか言えない人も歓迎」というものがあるぐらいである(Wrexham Council News, 2015)。
■ウェールズ語教員
Cymraeg 2050と題して掲げた「ウェールズ語話者100万人」の目標を達成するためには、現状の6,315〜9,140名*[1]に追加で17,000名のウェールズ語を話す教員が必要だと見積もられている(Senedd report, 2023)。これは全教科をウェールズ語で教える学校(Addysg cyfrwng Cymraeg)に限らず、英語で教育を行う学校におけるウェールズ語の教科担当の教員も足らない。特に中学校(Secondary school)は深刻で、そもそもウェールズ語話者に限らず、英国全土で中等教育での教員の成り手が減っている(The Education Directorate, 2022)。
*[1] 2020年11月の調査によれば、学校教職員において、ウェールズ語に堪能な教員は6,315名。中級レベルまでを足し合わせても9,140名程度である。
■現地のウェールズ講座に飛び込み参加した際のメモ
3月25日。ウェールズ語学習のポータルサイト[Dysgu Cymraeg](Learn Welsh)上で見つけた講座に参加。このポータルサイトでウェールズ語講座を探してもオンラインのものが大半だったため、たまたま、カーディフ近郊で唯一オフラインの開催であったこの単発の講座を申し込んだ。なお、「これから始める学習者向け」の講座だと思い参加したはずだったが、実際に訪れると、ある程度は学習した経験のある人たち向けのイベントだった。
大人の学習者にとっては、オンラインである程度を勉強(独学/オンライン授業)したのちに、こういったイベントに来て言語を使用したり、わからないところを聞いたりしてスキルを高めるのが、ここしばらくのパターンの様子である。当日は50人ほどの学習者が参加していた。
参加者は、ほぼ現地の方々と思われる(※そうは言っても、ウェールズ人、イングランド人、アイルランド人を見た目で区別できるかと言えば、私はできないが)。ただし、妻と私の2人を含めて「中国人っぽい」見た目の参加者が4名いた。ウェールズの日常生活で見かける、アラブやインド、カリブっぽい見た目の方は見かけなかった。
全体的には自分達の親世代(すなわちは、おじいさん、おばあさん)が圧倒的に多く、20〜40代はポツポツと見かける程度。参加者の男女比率は半々といったところだった。
10分ほどの全体セッション(全てウェールズ語)の後、学習歴ないしレベルに合わせて5つほどのクラスに別れた。
私は1月から学習を始めた方々のクラスに混ぜていただいた。1月開始といっても、クラス全員、学校教育でウェールズ語は履修済みなので、全く知識がないわけではない(日本人にとっての英語のようなものか)。ただし何歳まで、どのぐらいの頻度・レベルで授業を受けていたかは「住んでいる地域による」というのが参加者の統一見解らしく、地域といっても市以下の単位でまだら・まちまち(Pocketsがある)だという感覚のようだ [参加者談]。
このクラスの参加者は自分達を含めて8名。下記のような構成。
・定年後の男性★ Duolingoでウェールズ語を700日やった。スイスに住んだことがあり、ドイツ語はできる。言語学的なウンチクをよく語っていらした
・定年後の女性★
・30-40代女性
・40代男性
・28歳男性
・大学2年男性★ 同じく学習歴のない人むけのクラスだと思って参加した
ウェールズ語自体が新語などを中心に英語からの借用が多いこともあり、ウェールズ語で会話してもわからない・突際に単語が出ない部分は英語単語を使って会話するスタイルが成立しているようである。借用語としてはラテン語由来、英語由来などが一定数あるものの、スペリングはウェールズ語の正規法に則っとっており「英語ほど綴りが多様ではない」「フォネティックに読める」というのが一般の方々の見解。ただし、発音は独特であり、英語の常識から考えると「奇妙」だと話した参加者は口を揃えて説明してくださった。
私が参加した動機について「アイルランドに住んでいた時にアイルランド語を学ばなかったことを後悔しているので」と説明すると、どの方でもケルト系の言語の解説を始める。地理同様、ウェールズ後はマン島語とブレトン語(とコンウォール語)とは似ているのだと説明される。
「言語保存」という大きな命題があるためなのか、単に大人向けのコミュニティだからなのか、見るからによその者の我々も、非常に歓迎ムードであった。講義中に明らかに間違った回答をしてもDa iawn!(ダイアーン≒ goodの意)といわれるので、お世辞や建前の可能性も考えたが、参加者も講師陣も積極的に我々に話しかけてくださったので、イギリス的なhigh contextで疎まれていた訳ではなさそうだ。「間違えて恥ずかしい」「こんな簡単なことも言えずに情けない」みたいな雰囲気、辱めがほぼ皆無だった ※「テスト向け」になるとどうなるのかは確認が必要そうだが
ウェールズ語には正規文法があるはずだが、参加者からは「Duolingoと違う」「他の講座で習ったの違う」「間違って覚えていたかしら」「誤った教え方を受けた」というような発言が散見した(初級文法のクラスである)。ただし、これに関しては「方言や世代の違いに起因する可能性があり」「間違いとは限らない」「北の方はそういうでしょう(講座が行われたPontypriddは南)」というようなコメントを適宜、講師はしていた。
なお、1月履修スタートのクラスとはいえ、参加者は一度、数年に渡ってウェールズ語を学習しているはずだが、読み方に自信のない単語は存在する(前述の通り、ウェールズ語の綴りは奇妙でもフォネティックなはず)。 NightやBookなど初歩的そうな単語でもウェールズ語では何と言うかわからないといったリアクションが散見した。
このクラスの参加者であっても、みな一様に、一度は数年に渡ってウェールズ語を学習していることもあり、歌詞を見ずとも国歌はウェールズ語で歌えるようである。また、ウェールズ語で話すことは難しくとも、ゆっくり簡単な単語である限り、聞く分には理解できるらしい。単語テストや翻訳、文法規則には自信がなくとも、自分の言えるフレーズ・知っている単語から発話・質問することはなんとかできる
私は、現在住んでいるところを聞かれ、本来であれば Bae Caerdyddと回答すべきところを英語のCardiff Bayと同じ語順で回答してしまったところ、講師から英語の語順である(英語っぽい)の意味で、"posh"と指摘された。
今後の自習については、講師からはDuolingoよりもSaysomethinginが良いと勧められた https://www.saysomethingin.com/en/learn-welsh/