2019年9月 Negiccoと坂口安吾の新潟紀行 その2
前回までの行動
東京・蒲田の自宅を出て新幹線で新潟。万代シティ、古町を通り抜けどっぺり坂へ。
新潟滞在初日は坂口安吾巡り
坂口安吾というのは第二次世界大戦後の混沌とした日本を独特な視点で切り取った無頼派の小説家。自分はその安吾のファンで、新潟は彼の故郷。新潟アイドル・Negiccoを知ったことで彼のゆかりの場所も巡ることができるようになった、という不思議な縁だ。
新潟大神宮 坂口安吾の生誕碑
どっぺり坂から左へ折れ新潟大神宮へ。住宅街の中にある小さな神社。
どっぺり坂側からこの神社の裏側へたどり着けるのだけれど、住宅街の家と家の間の小道、というか他所様の軒下というか、かなり不安になる狭い道を通らなければならない。以前来た時にGoogleマップ頼りにここを歩いたんだよね。普通に通り抜けられるから歩いてもいいんだとは思うけど、表の鳥居をくぐった方がいいかも知れん。
その新潟大神宮に坂口安吾の生誕碑がある。この神社の隣が生家だったそう。
碑文(「石の思い」より)
「わたしのふるさとの家は
空と海と砂と松林であった
そして吹く風であり風の音であった」
美しい文だ。
城達也のナレーションでこの碑文を読み上げた後にNegiccoの「サンシャイン日本海」のイントロを繋げられたら新潟感高まってオレは泣く。
坂口安吾記念館 安吾風の館
新潟大神宮のすぐ裏にある坂口安吾記念館である「安吾 風の館」へ。
現在の展示は同じ無頼派の物書きであり盟友である檀一雄についてのもの。オレらの年代の認識では檀ふみのお父さんというイメージが強いけど。さほど大きくない日本家屋(旧市長公舎)だけど、展示室はきっちりモダンで、展示もいつ来ても充実している。
護国神社 坂口安吾文学碑
「安吾 風の館」から坂口安吾 文学碑のある護国神社へ。徒歩だとかなりあると覚悟していたけれど20分ほどで到着。その途中の標識。矢印で指し示す先が「日本海」。なんか雄大でエモくないですかこれw
護国神社は想像以上に立派な神社だ。明治なってから祀られて、25年ほど前に改修されたらしいのでとても綺麗。なんかカネと手間がかかってるなーと下世話な感想。
坂口安吾 文学碑。死後に神社境内の海を臨む砂丘に檀一雄らが発起人となって建てられたもの。今となっては鬱蒼とした木々に囲まれた小さな広場になっていて、ここからは日本海は見えない。
碑文(書いた色紙の一文)
「ふるさとは
語ることなし」
ふるさとは語り始めたところで想いが溢れすぎて語り尽くすことなどできない、とも、捨てたふるさとについては言いたい事がなにもない、とも、いい意味にも悪い意味にも受け取れそうな、ふるさとに対する複雑な想い、という感じなのかな。
日本海をちらと臨む
この護国神社の海側が水族館マリンピア、そしてその向こうが日本海。穏やかな快晴で良かった。
新潟市庁でマンホールカード
観光地的水族館なのでバスもそこそこ本数があるだろうと思いきや、1時間に2本の便が行ってしまった直後。白山神社の隣の新潟市庁まで歩くことに。意外と近くて約20分。ほんとこの日は心地よい天気。
新潟市庁下水道部下水道計画課でマンホールカードを。人生初マンホールカード。オレが大好きだったアイドルの推し SAKA-SAMA Dr.まひるんが収集していたマンホールカード。意外とちゃんとした作りで収集癖をくすぐるマンホールカード。
そして安吾の碑を訪ねて新津へ
新潟市庁から新潟県庁経由で新潟駅行きのバスに乗ったら、予想以上に時間がかかってしまった。県庁は市庁より駅に遠い場所にあるとは知らなんだ。
新津は新潟駅から信越線で5つ目、乗車時間にしてやく20分の場所。巨大な操車場があって鉄オタの聖地でもあるらしい。ここにも坂口安吾の碑があるのでこちらへ移動する。結構あちこち巡って疲れたけど、ここから先がまだ長いんですw ハイボールとル・レクチェグミで一休み。
その3へ続く。
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