簔輪 健行/Takeyuki Minowa

福井出身の都内に住んでいてまた福井に舞い戻った社会人5年目。 旅とか野球とかサッカーとかバスケとかいろいろ好き。

簔輪 健行/Takeyuki Minowa

福井出身の都内に住んでいてまた福井に舞い戻った社会人5年目。 旅とか野球とかサッカーとかバスケとかいろいろ好き。

最近の記事

伝説の1分23秒 ~ぼくと福井とブローウィンズと~

【運命の4月28日】時計の針が、タイムアップのブザーへと、じりじり進んでいく。 リーグ戦が開幕して8か月、プレーオフを勝ち上がってこれが4戦目。 これほど流れを引き寄せられない展開は、片手でじゅうぶん収まるくらいに少なかった。 前日の一方的な敗戦から一夜明け、 相手の攻撃は見違えるほど改善されていた。 守備でも前日と比べてひとまわりもふたまわりも圧力をかけてくる。 その焦りもあっただろうか。 簡単なレイアップが決まらない。フリースローはことごとく落ちる。 ディフェ

    • 全て正直な気持ち

      今回、『きつねびより』という本に載せた、ぼくの体験談の全文です。 -------------------------------------------------------------------- 私が吃音を発症したのは小学3年生くらいの時です。 はっきりとしたことは覚えていませんが、当時の担任の先生から指摘を受け医療施設で調べたところ吃音ということを言われたと、後に母から聞かされました。 そこから約15年、今でも吃音の症状はあり、日々向き合い続けています。 吃

      • 大切な人に会えるのはこれが最後かもしれないから

        6年前のあの日、ぼくは人生で1番の後悔をした。 真っ白な棺の中で冷たくなっているじいちゃんに、何度も何度も謝った。 * 小さい頃から、ぼくはじいちゃんばあちゃんと一緒に暮らしていた。 いわゆる3世代家族。 保育園には、じいちゃんが決まってぼくを自転車で迎えに来てくれた。 ちょっと青みがかったおおきめの自転車。 その後ろに乗り、家から10分くらいの距離をおしゃべりしながら帰るのが日常だった。 じいちゃんは、野球がとても好きだった。 平日の朝、夏休み中だったぼくが1階の

        • ぼくと東京の5年半

          11月29日。5年半住んだ東京を後にした。 その1カ月前。 福井に戻ることにする、と両親と話をして戻ってきた東京の空気を吸ったとき、なぜだか東京のことを嫌いになりかけたのを鮮明に覚えている。 * 「東京のことが嫌い」という会話の中で決まって出てくる風景が、「くたびれた(ように見える)サラリーマンでごったがえす電車」だと思う。 東京で暮らした日々、何度となく満員電車を経験し、何度となく足を踏まれ、何度となく出入り口のドアに顔を押し付けられた。 けれどその度に、「ああ今東

          ぼくが「想う」こと

          「想い」という言葉を、ぼくはめちゃめちゃ多用する。 あえて意識的に。 「思い」よりもより心から何かに寄り添っているような、そんなイメージがあるからっていうのが理由なのだが、その根本とか原点とかは今まであまり振り返っていなかった。 * 小さいときから、ぼくには「吃音」という症状がある。 話すときに言葉が詰まったり出にくかったりする障がいだ。 自分の気持ちとか「こうしたい」っていうのをはっきり口に出して主張するのが得意じゃなかった記憶がある。むしろ苦手だった。 そのせい

          ぼくが「想う」こと

          星が見たい。

          「3.11」の日。   NHKで、「あの日の星空」と題された番組が流れていた。   久々に、テレビを観ていて泣いた気がする。     ぼくは、3.11のときは中学3年生。まだ福井にいた。 だから、地震の揺れを身をもって体験したわけではない。 親族や大切な友人を失ったわけではない。   だから、そんな辛い体験をした方々の気持ちを、わかったように語る資格はない。   それでも、番組を観ていろいろ思うことがあったから、ちょっと書いてみる。 =====================

          「わかる」ことと「受け入れる」こと

          ここ最近になってようやく、「カミングアウト」に対する社会の意識が変わってきたように感じる。     つい先日、LGBTの女子サッカー選手へのインタビュー記事を読んだ。   長く彼女が抱えてきた気持ち・想いを外に吐き出したときの感情って、どんな感じだったのだろう。   ぼくは彼女じゃないからわからないけど、たぶん相当抑圧されていたんじゃないだろうか。 正直に生きようと思って周囲に伝えてみたけど受け入れてもらえず、気持ちを発することに対して重しを乗せられてしまうよ

          「わかる」ことと「受け入れる」こと

          7年前のあの日。喜びと悲しみと。

          あの日。     ぼくは、どきどきと不安の間で揺れていた。   高校の合格発表の日だった。   半年間つらかったけど頑張ったとは思う。受かっててくれ。   祈る思いで、高校の玄関前に張り出された番号を食い入るように見た。           あった。   あった。         心が晴れ渡るようだった。   半年間の努力が報われた。そんな思い。   振り返ったら、いっしょに頑張ってきた友達も笑っていた。      

          7年前のあの日。喜びと悲しみと。

          「なんで、ぼくを産んだんですか?」 ~子供をもつことって。

          "好きなことを仕事にするよりも、土日休みで家族とかできた時に一緒に過ごせた方がいいかなって思ったから!"   春から社会人になる友達に、「なんでその会社選んだの?」って聞いたときに返ってきた言葉。    それに100%賛成ができなかったのは、「家族」とか「子供」とか、まだぼくの中では遠いものだったからかも。 ====================================== 「この子を絶対野球選手にさせる!」 「自分が叶えられなかった夢をこの子に託した

          「なんで、ぼくを産んだんですか?」 ~子供をもつことって。