『ショーシャンクの空に』
噂には聞いていたが、この映画『ショーシャンクの空に』は素晴らしい。生きることの希望を感じさせる。映画を鑑賞していて学びがあったのでシェアしたい。
① 置かれた場所で咲くということ。
1947年メイン州の裁判所で殺人の終身刑の判決を受けて、大銀行の副頭取だったアンディー・デュフレーンはショーシャンク刑務所に収監された。フィッシュ(=新入り)は、ホースで水洗いされ、消毒の粉を掛けられ、服と聖書を受け取り真っ裸で歩かされる。人格を全く否定されるのだ。肌は消毒薬でヒリヒリ痛み、独房に入り鉄格子が閉められるとき、これが現実だと気づく。際限のない時との葛藤が始まる。多くのフィッシュは、正気を失いかけ、泣き出し始める。事実アンディーと一緒に収監された肥満体の服役囚は、泣き出してしまった。だが、アンディーは動ぜず、その夜実に静かだった。
アンディーも最初のうちは、人を避けていた。刑務所になれるのが大変だったのだ。一月経ってやっとまともに口をきいた。ムショ内の〝調達屋〟であるレッドに、〝ロックハンマー〟の調達を依頼した。刑務所内では時間があり、鉱物マニアであるアンディーは、趣味を復活させようと思い立ったのだ。レッドは、アンディーの物腰がここの囚人とは違うと感じていた。アンディーは自分だけの世界を持っていたのだ。レッドはそんなアンディーが人間的に好きだった。
アンディーはオカマにも狙われ、生傷が絶えなかった。悪夢の2年間だった。この状況が続いていたら、彼は廃人になっていただろう。
1949年の春、刑務所のノートン所長が、工場の屋根を修理するメンバーを服役者から選ぼうとした。アンディーとレッドたちは志願し働いた。5月の屋外作業は心地よい。
監視役のバドレー刑務主任は、遺産相続について仲間と話し込んでいた。アンディーは聞き耳を立てていた。「気をつけろ。手を休めるな!。」レッドはアンディーに注意した。アンディーは刑務主任に近づき、節税を持ちかけ、「自分が書類作成する。その代わり〝仲間〟に冷えたビールを与えて欲しい。外で働いているときのビールは最高なんだ。」と訴えた。果たして、レッド等は午前中に作業を中断し、冷えたビールにありつくことが出来た。
アンディーの経理の才能を見抜いた所長は、洗濯係の仕事から図書係へ移動させた。アンディーはここでも真面目に働いた。新しい本を増やそうと思い、週に1度州議会に手紙を書いて陳情する許可を所長に掛け合った。
手紙を書き続けること6年間が過ぎた。ある日州議会から返事が来た。「デュフレーン氏へ。要望にお答えして図書室用の予算200$を割り当てました。更に図書館運営部の好意で、中古図書を寄贈します。これで問題は解決したと思います。もう手紙は不要です。」
「〝たった〟6年で。」とアンディーは思った。「今度は週に2通手紙を書く」と思いを新たにしました。
それから10年後の1959年、州議会は200$の予算では不足だと認識させられ、アンディーの粘りに屈し500$の予算を計上した。アンディーは予算をフルに活用し、格安な本や売れ残りの本をたくさん買い集めた。レッドたちはアンディーに協力した。ネズミの糞で臭かった倉庫が、前の図書係の名にちなんで、「BROOKS HATLEN MEMORIAL LIBRARY」という立派な図書室になっていました。
以上見てきたように、アンディーは無実の罪を着せられているにも関わらず、運命を呪わず、与えられた場所・境遇で必死に生きようとした。生きられる時間を充実して過ごそうとする姿勢に、まず私は頭が下がりました。
② ソクラテス以来の「悪法もまた法なり」ということ。
この文章は直接は立法についての文章だけれども、法解釈についても言えることだろう。すなわち冤罪であってもそれを取り消すためには、適正手続きに従わなければいけないことです。(もちろん、今日には違憲立法審査権が裁判所にあることを確認しておこう。)映画の中では、アンディーとノートン所長の次のような会話に示されてると思う。
所長:君の話を聞いてとても驚いた。話を信じた君にだ。これはトミーの
作り話だ。君を喜ばせようとしたんだ。まさか信じると思ってもい
なかった。
アンディー:彼は真実を…。
所長:エルモが実在するとして、俺がやりましたと言うと思うか?。終身
刑にしてくれと?。
アンディー:再審請求が出来ます。
所長:エルモはもうすでに出所しただろう?。
アンディー:住所は分かっている。チャンスです。
所長:この話に私を巻き込むな!。いい迷惑だ。話は以上だ!。
アンディー:何故だ。折角の釈放のチャンスだのに…。
所長:懲罰房に一ヶ月。連れて行け。
③ 教育はあらゆる機会に与えられること。
1965年にトミーが2年の刑期で入所した。住居侵入罪だった。エルビス・プレスリーのマネをしている、ロックンロール好きの若者だ。彼には妻と女の赤ちゃんがいた。子供のことを不憫に思ったのか、彼は自分を変えようとしていた。「高卒の資格を取りたい。」とアンディーに持ちかけた。アンディーは最初は断っていたが、トミーの熱意に彼を教え始めた。まずアルファベットから始めた。トミーは勉強の面白さを知ったようだ。アンディーは高校の教科を教え始めた。喜んで色々教えていた。刑務所には時間が十分あったからとも言える。アンディーの新たな目標は、トミーの教育だった。
このエピソードから学べることは、誰でもどんな境遇にいても学習する権利を有することだ。刑事事件を起こすのは、学力がなく他に手立てがなかったとも言える。そうであればこそ〝悪人正機〟で受刑者こそ教育を受けなければならないことになる。アンディーは人生の先輩として〝大人〟の一人として、受刑者の教育にあたったのだ。
④ 必死に生きるか、必死に死ぬか。
州政府から贈られてきた図書の中に『フィガロの結婚』のレコードを見つけ、プレイヤーにかけてみるアンディー。スピーカーを通じて作業中の受刑者にも届ける。聞き入る囚人たちには、天使の希望の歌声に聞こえたのだろう。「俺はこれが何の歌なのか知らない。よほど美しい内容の歌なんだろう。心が震えるくらいのこの豊かな歌声が、我々の頭上に優しく響き渡った。」とレッドは述懐する。塀の外の豊穣な世界からの誘いであった。
ノートン所長は怒り、アンディーは懲罰房に2週間入れられた。
懲罰房から解放後、アンディーは仲間の前で、懲罰房では頭の中でモーツァルトを聞いていたと抗弁した。「音楽は決して人から奪えない。そう思わないかい?。」
「ハーモニカを以前はよく吹いたが、入所してから興味を失った。」レッドは答えた。
「心の豊かさを失っちゃダメだ。人間の心は石でできているわけじゃない。心の中には何かある。誰も奪えないある物が…。レッド、君の心の中にも。」アンディーは続けた。
「一体何があるんだ?。」レッドは詰問した。
「希望だよ。」アンディーは答えた。
「希望か…。お前に言っとくが、希望は危険だぞ!。正気を失わせる。塀の中では禁物だ。良く覚えておけ!。」とレッドは吐き捨てるように言って席をたった。
「自殺か?…。」アンディーは呟いた。
1959年、ノートン所長は〝青空奉仕計画〟を始めた。表向きは「囚人を更生させるための進歩的なプログラムであり、囚人を刑務所の外で公共事業に従事させ、社会に役立てさせる」懲役であったが、所長の本当の狙いは人件費のピンハネや業者からの賄賂を受け取ることにあった。アンディーはその会計係もさせられていた。
教え子のトミーの告白で、アンディーの有罪が揺らいだ時、ノートン所長はトミーを殺して口を封じたばかりでなく、アンディーを2ヶ月に渡り懲罰房に留置した。やっと開放されたアンディーは、友達であるレッドと二人だけで会話した。
アンディー:「妻は私が陰気な男で、文句ばかり言っていると嘆いてい
た。美人だった。愛していた。でも表現できなくて…。
私が彼女を死に追いやったも同然だと思う。こんな私が
彼女を死なせた。」
レッド: 「それは違うよ。ダメな夫だが、君は引き金を引いていな
い。」
アンディー:「誰かが引いて私がここへ、運が悪いな。不運は誰かの頭上
へ舞い降りる。今回は私だった。油断したせいかな?。不
運がこれほど恐ろしいとは…。君は出られると…?。」
レッド: 「俺か?。そうだな白いヒゲが生え、頭がボケた頃にはな。」
アンディー:「私が行きたいのは、ジワタネホだ。太平洋の別名を知って
るかい?。〝記憶のない海〟だよ。あそこに住みたい。
〝調達屋〟が必要になるだろう。」
レッド: 「シャバじゃ生きられない。ここ(=ショーシャンク刑務所)
の住人だよ。外が怖い。ブルックスと同じだ。」
アンディー:「君は彼とは違う。」
レッド: 「違わないさ。ここでは調達屋だが、外なら電話帳一冊で済
む。まるで別世界だ。太平洋だって?。見るのが怖い。でか
過ぎて。」
アンディー:「私は平気だ。妻を撃ってなんかいない。十分すぎる程の償
いもした。ジワタネホに住むくらいささやかな夢だ。」
レッド: 「そんな夢は捨てろ。夢のまた夢だ。お前は今ムショの中にい
るんだぞ。」
アンディー:「ああ、その通りだ。冷酷な現実だ。選択肢は2つだけ。必
死に生きるか、必死に死ぬか。」
この後の1966年、アンディーは脱獄し、ジワタネホに向かうことになる。
読者の皆さんは、この流れを受けてどう思うだろう?。話を刑務所内の会話だと限定する必要はないのだろう。
私達は、何らかの〝縛り〟を受けて生きている。所属する組織の〝縛り〟(=既得権益の維持)もあるだろうし、地縁血縁という縛りもあるだろう。ナショナリズムもそうだし、認識論的には母語という言葉に縛られている。
そうした〝縛り〟に無自覚に、例えば勤め人が出世競争に奔走することがここで言う〝必死に死ぬ〟ということの謂いであろう。反対に〝必死に生きる〟とは、①にも関係することであるが、限りある人生を充実して過ごすことだろう。その意味でこの映画は、生の哲学を説いたニーチェ思想の映像化である。
レッドは刑務所内でしか生きられないと思っているので、アンディーのいう〝希望〟を危険で正気を失わせるものと思っていて、塀の中では禁物だと考えている。しかし、『フィガロの結婚』のレコードの、心が震えるくらいの豊かな歌声に欲望を禁じ得ない。遂には仮出所が認められると、アンディの導きの鉱石(=糸のことだよ)に導かれ、この長旅(=人生)の結末はまだ分からないけれども、ワクワクして落ち着かず、自由な人間の喜びを満喫するに至るのである。その意味でこの映画の主人公は、実はアンディーではなく、レッドではないかと私は思っています。(黒澤明の『生きる』と同じテーマですよね。)
⑤ 制度内〝革命〟。
レッドは懲役30年目の仮釈放の面接で、「(社会への復帰は、)出来ます。確実に。昔の自分とは違います。今は真人間です。神に誓って更生しました。」とおざなりに応えていました。でも、アンディーの新聞社へのタレコミによって〝革命〟が起こり、ショーシャンク刑務所の職員が一新され、仮釈放の面接官も交代した懲役40年目の面接では、
面接官:「終身刑で既に40年か?。更生したと思うか?。」
レッド:「更生?。更生ね。どういう意味だか…。」
面接官:「君が社会に…。」
レッド:「それくらいは分かる。更生というのは、国が作った言葉だ。君
たちに背広やネクタイや仕事を与えるために。罪を犯して後悔
しているのか知りたいのか?。」
面接官:「後悔は?。」
レッド:「後悔しない日などない。罪を犯したその日からだ。あの当時俺
は、一人の男の命を奪った馬鹿な若造だった。彼と話したい、
まともな話をしたい、今の気持ちとか。でも無理だ。彼はとう
に死にこの老いぼれが残った。罪を背負って更生?。全く意味
のない言葉だ。不可の判を押せ!。これは時間の無駄だ。正直
言って仮釈放などどうでもいい!。」
懲役30年までのレッドは、仮釈放などの〝希望〟は危険だと思っていたので、〝必死に死んでいました〟。でも、アンディーによる〝革命〟によって、初めて自分の言葉で罪に向き合ったのです。〝必死に生き始めたのです〟。
私達が暮らす民主主義社会では、選挙という制度内〝革命〟が用意されています。明日の天気は変えられませんが、明日の世の中は変えられるのです。既得権益を死守して、〝必死に死んだように〟暮らすのはそろそろやめませんか?。なるほど、「自分はそうしたいが、子供には不自由な暮らしをさせたくない。」というのが親心なのかもしれません。でもそうした〝大人〟の分別の結果が失われた30年なのではないでしょうか?。子供たちのためにも、私と一緒に〝必死に生きて〟みませんか? \(^o^)/
以上に、映画『ショーシャンクの空に』を観て学んだことを書いてみました。いずれにせよ、レッドを演じるモーガン・フリーマンの、人生の酸いも甘いも噛み分けた含蓄のある演技に圧倒される映画です。読者の皆さんもぜひご覧ください。m(_ _)m
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