「育ちがいい」とは
「育ちがいいんだね」
最近、立て続けに何度か言われて、
それはそれはたまげた。
そんなわけない。
力いっぱい否定する、そんなわけは、ない。
両親は共働きの、普通のサラリーマン
築数十年の団地育ち
小中高とオール公立
私の思う「育ちがいい」といいのは、
いわゆるお嬢とかボンボンみたいな
裕福な家庭で、小さい頃からバイオリンとか習っちゃう感じの
家族のイベントのたびに、料亭とか行っちゃう感じの
そんな感じの、イメージで
全くもって無縁である。
これまで言われたことがなかった言葉に、疑問が止まらず、
私の何を見てそう思われたのか考えを巡らさざるを得ず、
結論に辿り着いたので、ここにメモとして残します。
CASE1
バーでお客さんがお釣りの100円玉を落とした時
客「落としちゃった」
マスター「置いてって〜」
客「はいよー」
という会話と同時に私は、床に落ちた100円玉を見つけて拾ってしまい、お客さんに渡した
そのままいけば、マスターのものになるはずだった100円玉を、お客さんに渡してしまった
マスター「も〜育ちがいいんだから〜」
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はて、いじられた。と思った。
もしくは100円をお客さんに渡しちゃって、嫌味を言われたのかと思った。
なぜ人が落とした100円玉を拾って渡すことで
「育ちがいい」になるのか
全く分からず、しばらくモヤモヤする羽目に。
CASE2
私が全てのSNSに、鍵を一切つけず日々の投稿などしていることに対して
仕事の知り合いの方が
「育ちがいいんだね」
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なんと、また来た。と思った。
こないだ言われてモヤってたやつ、全く別のところでまた言われた。
分からない…
なぜSNSに鍵をつけないことで「育ちがいい」になるのか
全く分からない…
この2つのケースの、私の行動を思い返して、要素を洗い出し、共通点を探った。
そして至った結論
世の中に悪い人はいない、世の中に自分は受け入れられる、という大前提で生きているそのスタンスに対して、「育ちがいい」と言われたのだと、思った。
つまり
性善説120%で生きてる人間を見ると、
そうでない人は、ウワァー…正直に育ったんだなー…肯定されて育ったんだなー…という感情になる
確かに
私も友人に数名いる
私が性善説120%で生きているとしたら、
私の友人は250%ぐらいで生きている
それはそれはすがすがしい。
(そして実家がとても裕福)
人を疑うことをしないし、否定もしない。
それはきっと、その子が疑われることも、否定されることもなく育ったからなんだと思う。
これは私の中で一つの概念が覆された瞬間でもあった。
「育ちがいい」とは、家庭の経済状況によるものではない
人との関わり方に対して、言われるものなんだと
29年生きてて初めて言われて驚いたけど、とりあえず両親には感謝したいと思います。