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NHK朝の連続テレビ小説「おむすび」と安室奈美恵さん


NHK朝の連続テレビ小説「おむすび」に安室奈美恵さんの楽曲が登場

NHK朝の連続テレビ小説「おむすび」第4~5週放送分で、ヒロイン・米田結の一家が1995年1月17日の阪神・淡路大震災で被災する前後の様子が回想シーンとして登場していました。

このなかで、ヒロインの姉・米田歩親友の渡辺真紀から、「この子はもうじきブレイクするよ」という触れ込みで安室奈美恵さん(安室奈美恵with SUPER MONKEY'S)の1stシングル「PARADISE TRAIN」(1994年7月20日リリース)をもらい、自室のCDラジカセで聴き入るシーンがありました。

真紀ちゃんはこの後、阪神・淡路大震災で倒れてきたタンスの下敷きになり命を落としています。歩とヒロイン・結が住んでいた店舗兼住宅も全壊し、一家は父・聖人の郷里である福岡県糸島地域に移住することになりました。

歩は真紀ちゃんとの思い出の品々をブリキ製の菓子箱に入れて大事に持っており、震災直後、倒壊した自宅から父・聖人がこの箱を持ち出していました。
この箱はその後、移住先の糸島でも歩の机の引き出しのなかで大切に保管されるわけですが、2004年、突然帰郷した歩は、自室でふと箱を開封。
その中に、二人のスナップ写真と合わせて、「PARADISE TRAIN」のほか2枚のシングルCDが入っていました。

2枚のシングルCDの内訳は以下のとおりです。
・「TRY ME~私を信じて~」(1995年1月25日発売)
阪神・淡路大震災発生の8日後にリリースされた、安室奈美恵with SUPER MONKEY'Sの2ndシングルで、安室さんの大ブレイクのきっかけになった作品として知られています。
真紀ちゃんをはじめ、この曲のリリースを心待ちにしていたものの、ついに聴くことがないまま震災の犠牲になった安室さんのファンは数多くいました。

・「太陽のSEASON」(1995年4月26日発売)
安室さんのソロ名義としては初のシングル。
本人出演のロッテ「クレープアイス」のCMソングに使われていたので、このCMを通して初めて耳にしたという方も多かったはずです。

この2枚のシングルは、おそらく、福岡に移住した後に歩が購入したものと思われます。
聖人お父さんや愛子お母さん、佳代おばあちゃんが買いに行ったのかもしれませんし、永吉おじいちゃんからのお小遣いを持って自分で買いに行ったのかもしれません。

長くなりましたが、安室さんの楽曲やファッションは、ヒロイン姉妹にとって慣れ親しんだギャル文化と、そして人生を大きく変えた阪神・淡路大震災の被災体験、志半ばに亡くなった真紀ちゃんと切り離せない存在なのではないのかと思います。
それゆえ、一連のストーリーや演出を見る限り、今後も何らかの形で安室さんの楽曲が「おむすび」の劇中に登場するのではと予想しています。

安室奈美恵さんと神戸復興の意外な縁

安室奈美恵さんと阪神・淡路大震災の関わりとして、もう一つ触れておかなければならない史実があります。
人気絶頂期を迎えつつあった安室さんが着用し、一躍全国の「アムラー」たちの間に広まった厚底ブーツですが、阪神・淡路大震災の最大の被害地の一つである神戸市長田区はブーツをはじめとする合成皮革靴の一大生産地でした。
地震の揺れとその後の火災により、長田区の製靴工場街は壊滅的な打撃を被りましたが、その後ほどなくして「アムラー」ブームに乗っかる形で厚底ブーツの需要が急増したことが、同区の製靴産業の復興に大きく寄与したと言われています。
言わば、安室さんはその歌で被災地を勇気づけるとともに、そのファッションで被災地の経済を潤したというわけです。

【参考】饒村曜「被災した神戸の復興に貢献した安室奈美恵のアムロブーツ」
(2018年9月18日付Yahoo!ニュース)

【追伸】阪神・淡路大震災当時の「ミュージックステーション」で取り上げられたヒット曲

1995年当時、若者たちがJ-POPのヒット曲の情報収集の場のひとつにしていたのが、テレビ朝日系列で毎週金曜日20時から放送されていた「ミュージックステーション」。
同番組の公式サイトにある「バックナンバー」のコーナーでは、過去に放送された曲目を放映月ごとに検索できるようになっています。
たとえば、震災発生3日後の1995年1月20日(金)の放映分ではSMAPが「がんばりましょう」を、田村直美さんアニメ「魔法騎士レイアース」のオープニング曲「ゆずれない願い」を歌唱しています。
SMAPの6人(注)は歌唱前に、震災で被災した方々へのメッセージを述べ、多くの視聴者が勇気づけられたということです。
田村直美さん「ゆずれない願い」も、被災した子どもたちや若者の心の支えになりました。
(注)森且行さん(現オートレーサー)は1996年5月で脱退

2月3日放映分に出演し、この年の代表的なヒットナンバーの一つになる10thシングル「HELLO」(1995年2月6日発売)を歌唱した福山雅治さんは、仕事で滞在していた大阪市内のホテルで阪神・淡路大震災に遭遇。
大阪国際空港(伊丹空港)からの飛行機の機内で、被災地の惨状を目の当たりにしたといいます。

追伸という割に文字数が多くなってしまいましたが、阪神・淡路大震災当時のヒット曲やテレビ番組に関する事柄については、いずれまた日を改めて何らかの形でまとめてみようと思います。

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