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東海道新幹線開業60周年に寄せて~台湾に渡った0系新幹線


鉄道博物館(さいたま市)にて

昨日10月1日で、東海道新幹線は1964年10月1日の開業から60周年を迎えました。
幾多の困難を乗り越え、東京~新大阪間552.6Kmから始まった日本の新幹線ネットワークですが、その最初の営業用車輌となったのが0系新幹線電車です。

1964年から1986年までの23年間に総計3,216両が製造され、1964年の東海道新幹線開業から2008年の山陽新幹線での営業運転終了まで45年に亘り走り続けた0系新幹線電車ですが、引退後は各地の博物館その他の展示施設で大切に保存されている車輌も少なくありません。

このうち、2004年にJR西日本で廃車された21-5035号車(旧番号21‐1032)は、廃車後に当時建設工事中だった台湾高速鉄道(台湾新幹線)に譲渡されました。
21-5035号車は台湾高速鉄道では営業用の車輌ではなく、改造のうえ光学式建築限界測定車となり、同じくJRから譲渡されたDD14形ディーゼル機関車・DD16形ディーゼル機関車(注)に牽引される形で、竣工ほやほやの高架橋やトンネル、架線柱といった施設の建築限界を測定するために使用されました。
(注)譲渡にあたっては台車の改軌(1067mm→1435mm)、連結器の交換を実施。

その後、台湾高速鉄道は2007年に台北~左営(高雄市)間が開業。
建築限界測定車としての任務を終えた21‐5035号車ですが、新竹市内の車両基地で長期に亘り保管された後、2021年5月から台南市の高鉄台南駅前に整備された「花魁(おいらん)車地景公園」(注2)で保存展示されています。
(注2)「花魁車」とは、建築限界測定車の愛称。
昔の建築限界測定車は、車体から突き出した多数の矢羽根で建築限界を測定していたのですが、この矢羽根が花魁の簪に見えるため、「花魁車」のあだ名が生まれました。

新幹線の最初の営業用車輌として開発され、その後の世界各国の高速鉄道網の礎になった0系新幹線電車。
そのうちの1両である21‐5035号車は、世界で初めて日本の新幹線技術を輸入した台湾で高速鉄道の立ち上げに携わり、引退後は高速鉄道の駅前で大切に保存されるという数奇な運命をたどることになりました。
もし、21-5035号車に心があれば、流転の車生に戸惑いを抱いたことがあったかもしれません。
それでも、最終的に日本と台湾の鉄道史の生き証人として、自らが携わった台湾高速鉄道の利用者が行き交う姿を見守ってのんびり余生を送れるのは、鉄道車輌冥利に尽きるのではと思います。

「花魁車地景公園」に保存されている0系新幹線電車21‐5035号

最後になりましたが、東海道新幹線開業60周年おめでとうございます。
これからも無事故で多くの人々の人生や夢を運び続けられますように。

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