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30年目のJリーグ、贔屓チーム今昔物語

2023年シーズンのサッカーJ1リーグでは、ヴィッセル神戸が初優勝(注)に輝きました。
もともとヴィッセル神戸は神戸の中高一貫校に通っていた時期から細く長く応援を続けてきたチームで、奇しくも今年からサッカー観戦を再開した私は5月27日(土)のFC東京戦を聖地ノエビアスタジアム神戸で観戦。
酒井高徳選手やアンドレ・イニエスタ選手には会えませんでしたが、攻撃陣の2枚看板である大迫勇也選手・武藤嘉紀選手の得点による快勝劇を目の前で観ることができたことは今年の大きな思い出のひとつになりました。
(注)厳密に言うと、ヴィッセル神戸は2019年度の天皇杯でも優勝していますが、J1リーグのレギュラーシーズンでの優勝は2023年シーズンが初です。

それに先立つ2月18日(土)、30年目のJ1リーグ開幕戦はセレッソ大阪の本拠地・ヨドコウ桜スタジアムで迎えました。
香川真司選手の日本復帰戦となったアルビレックス新潟戦、引き分けに終わりましたが、スタジアムグルメやセレッソガールのトークも合わせ、久々のサッカー観戦を満喫した1日になりました。
セレッソガールのうち1人は、元SKE48の推しメンであった内山命さん。
不純な動機かもしれませんが、元推しメンに導かれてサッカー観戦の現場に復帰したことは、今後の私の人生において大きな転換点のひとつになるかもしれません。


中学時代から応援してきたヴィッセル神戸と、元推しメンに導かれて気にかけるようになったセレッソ大阪が、今の私のJ1リーグでの贔屓チーム。
ですが、Jリーグ30年の歴史の間では、幾度となく贔屓チームが入れ替わりました。

Jリーグが10チームの陣容で開幕したのは、今から30年前の1993年5月15日。
家族で開幕戦のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)対横浜マリノス(現横浜Fマリノス)戦をテレビ観戦した記憶は今も鮮明ですが、その頃の私の贔屓チームはヴェルディでもマリノスでもなく、地元唯一の球団だったガンバ大阪。

レジェンド釜本邦茂監督のもと、永島昭浩選手や磯貝洋光選手、松波正信選手、本並健治選手、ミューレル選手、賈秀全選手といったスターを揃えていたものの、怪我人の続出などで下位に低迷していたのは惜しい限りでした。

この頃は将来のJリーグ加盟を目指し、JFLでジュビロ磐田、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)、柏レイソル、ヤンマー(現セレッソ大阪)といったチームが切磋琢磨していましたが、父親の仕事の関係で、たびたびベルマーレの試合にも連れて行ってもらうことがあり、名良橋晃選手や岩本輝雄選手といった後の日本代表の主力のプレーを身近で観ることができました。

当時の私は表向きにはガンバのサポーターを名乗ってましたが、実際のところは隠れベルマーレサポーターも兼業している感じでした。
1994年ニコスシリーズでの快進撃、阪神淡路大震災直前の1995年元旦の天皇杯決勝での勝利、この時は真剣にベルマーレを応援していたものです。

それにしても、ベルマーレに天皇杯決勝で敗れたセレッソ、ベルマーレの天皇杯優勝直後に多難な中で旗揚げしたヴィッセルを応援するようになるとは、世の中は不思議な縁で成り立っているのだとつくづく感じさせられます。

ガンバやベルマーレだけではありません。
当時優勝争いの常連だったヴェルディ川崎、清水エスパルス、横浜マリノス、鹿島アントラーズ、サンフレッチェ広島といった球団にもそれぞれ気になる選手がいて、密かに気になっていました。
彼らのうち何人かは、その後指導者として大成。たとえばサンフレッチェ広島の森保一選手は日本代表を率いて、ワールドカップベスト16(実質9位)という偉大な成績を残しました。また、清水エスパルスのシジマール選手はヴィッセル神戸のGKコーチとなり、サンフレッチェ広島の前川和也選手の御子息・黛也選手らを指導されています。
その一方で、ガンバ大阪→セレッソ大阪の久高友雄選手、ガンバ大阪の今藤幸治選手、清水エスパルスの真田雅則選手との早すぎる別れという悲しい思い出もありました。

Jリーグ開幕から5年後、日本代表がワールドカップ初出場を果たす頃には、1994年にJリーグに加盟したジュビロ磐田が全盛期を迎えており、家族の影響で私もジュビロ贔屓になっていました。
1999年のジュビロとエスパルスによる静岡ダービーのチャンピオンシップ、2002年の完全優勝などで熱狂したのは忘れられない思い出です。
中山雅史選手、高原直泰選手、名波浩選手、藤田俊哉選手、服部年宏選手、鈴木秀人選手、福西崇史選手、西紀寛選手、亡くなった奥大介選手・・・
あの頃のジュビロに勝るチームは、今も昔もそうそうないのではと思っています。
浪人生で迎えた2002年シーズンは、ワールドカップ欠場をバネに得点を量産した高原直泰選手に勇気づけられていました。

この全盛期のジュビロにとって、最大のライバルだったのが鹿島アントラーズ。
神様ジーコのもと、小笠原満男選手や曽ヶ端準選手、柳沢敦選手、中田浩二選手といったスターを揃えたアントラーズは、ジュビロにとっては憎らしいぐらい強い相手でした。
ジュビロが世代交代が上手くいかずいつしか下位に低迷するようになったなか、アントラーズは1979年生まれの黄金世代が長く現役を続け、その後も上位争いの常連に君臨しつづけました。
2016年に父親に天皇杯のアントラーズ対Fマリノス戦に誘われた時は、かつての宿敵という感情は忘れ、知らず知らずアントラーズを応援していたものです。


長くなりましたが、Jリーグ30周年となった記念すべき2023年シーズンは、ヴィッセル神戸の優勝と、それに伴う現地観戦への復帰ということで、素晴らしい形で幕を下ろしました。
30年前は下手の横好きながらサッカー少年だった私ですが、40歳の壮年期を迎え、見事に発展した日本のサッカー界を目にすることができて感無量というところです。

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