
二・二八事件から78年
2017年2月28日の旧ブログ記事より
Wikipediaでの事件の解説
台北二二八紀念館ホームページ
今年も、台湾にとって大きな意味を持つ日が巡ってきました。
二・二八事件の詳細については、上記リンクにまとめられている通りですが、太平洋戦争の終戦から1年半が過ぎた台湾では、日本の台湾総督府に代わる新たな統治者になった中華民国国民政府(中国国民党)政権の汚職や乱暴狼藉が問題となっており、日本統治時代以前から台湾に住んでいた台湾人(本省人)(注)の間では不満が燻っていました。
(注)日本統治時代以前から台湾に住んでいた人を「本省人」と呼ぶのに対し、中国国民党政権による台湾統治が始まった後に中国大陸から台湾に移ってきた人を「外省人」と称します。
そんななか、1947年2月28日に台北市内で闇タバコの取締りを巡るトラブルで死傷者が出たことがきっかけになり、たまりかねた本省人の不満が爆発、台湾全土で大規模な民衆蜂起が起きました。
本省人のリーダーを務めた医師や法曹などのエリートは、民衆蜂起の収拾を図るとともに、陳儀台湾省行政長官兼警備総司令に汚職の一掃と台湾省の自治、政府機関への台湾人の登用などを申し入れました。
陳儀台湾省行政長官兼警備総司令をはじめとする国民政府側は、一時は台湾人との対話に応じる姿勢を見せましたが、その裏で大陸の蒋介石総統に援軍を要請しており、一連の民衆運動は最終的に武力で鎮圧され2万人以上の人々が犠牲になりました。
特に、日本統治時代に教育を受けた台湾人エリートについてはその多くが拷問の末殺害されたといいます。
その後、国民政府は1949年から1987年までの38年近くに渡り戒厳令を発令、反体制派とみなした多くの国民に厳しい弾圧を加えました。
台湾で正式に「言論の自由」が認められ、真の意味での民主化が実現するのは、戒厳令解除から5年後の1992年、本省人として初めて中華民国総統となった李登輝氏が刑法を改正した際のことでした。
台湾の各地には、今も二・二八事件の生き証人である建物や施設が数多く残されています。
台北駅・総統府近くにある二二八和平公園
園内には事件当時ラジオ局だった建物を活用した「台北二二八紀念館」があります。


国民党兵士が起こした無賃乗車を巡るトラブル及びそれに付随する一般市民との衝突で、仲裁に入った鉄道員が逆恨みの末虐殺された八堵駅(基隆市)

日本人の警察官と台湾人女性の間に生まれ、日本への留学を経て台南で弁護士として活躍するも、二・二八事件に参加していた台南市民の身代わりになる形で処刑された湯徳章(坂井徳章)氏。
処刑の現場となった市内中心部の「大正公園」は、現在「湯徳章紀念公園」と改称され、湯氏の胸像が建てられています。
2014年には頼清徳台南市長(現中華民国総統)が湯氏の命日・3月13日を「正義と勇気の紀念日」に定めました。

国民革命軍(国民党軍)が二・二八事件を鎮圧した際、多数の一般市民が虐殺された高雄駅、高雄市政府(現高雄市立歴史博物館)


改めて、二・二八事件で犠牲になった台湾の罪なき人々のご冥福をお祈りするとともに、世界中の人々の民主主義と人権、平和が守られる世の中が実現することを願って結びとさせていただきます。