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小説・強制天職エージェント②

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隣の部屋で水島はモニターを見守った。事務所内に設置された複数のカメラで、2人の立ち位置から表情まで読み取ることができる。女はやや緊張した面持で小早川を見ていた。確かに、こんな変な所に来るには、勇気がいるだろう。

「あの……私、瀬戸八重子と申します。今回は──」

続けようとする八重子を、小早川は制止した。
「瀬戸さん、ご来店ありがとうございます。転職をご希望されているということで、よろしいですか?」

「はい」

「では、詳しい話はさておき、転職までの流れについて、説明させていただくことにしましょう。うちは少々変わっていますので、瀬戸さんの話を聞く前の方が良いかと。ご破算になってしまうと、お互いに時間がもったいないですから」

「え……ええ。そうですね」
小早川のぶしつけな物言いにひるみながらも、八重子は素直に従った。

「ありがとうございます。ではコーヒーを入れますので、少々お待ち下さい」

のんびりしたものだ。隣室の水島はあきれた。コーヒーを入れるって、豆から挽くつもりだ。

「今日は珍しく暖かいですね」なんて、どうでもいい天気の話を始める小早川に、八重子は律儀に返事をしていたが、明らかに戸惑っていた。もしかして、リラックスさせるのが目的だろうか。あまり効果が出ているようには見えないのだが。

手動のミルで豆を挽き、たっぷりと時間をかけてコーヒーを落とすと、事務所内に香ばしい匂いが漂った。ドアの隙間から伝って水島にもそれが分かった。

「さ、どうぞ」と八重子にすすめ一口飲んだのを見届けると、水島はようやく本題に入った。

「うちの最大の特徴は、長期的な視点に立って、お客様にとって本当に合った仕事先を見つけることです。そのため、よそのエージェントとは進め方が違います。
まずあなたの履歴書や職務経歴書を拝見し、希望職種もお聞きします。この辺りは、ほかと同じです。重要なのはここからです。
あなたの生い立ち、人生の転換期、楽しかったこと、悲しかったこと、つらかったこと──また親兄弟や友人の話まで、あなたのこれまでの人生全てを知りたいのです。とはいえ、知られたくないこともあるでしょう。出せる情報だけで構いません。ただ、隠しごとがあると、私にとって少々つらい仕事になります」
八重子の表情を注意深く観察する小早川。

「……はあ」
八重子は呆気にとられた。

「はい」
小早川はにこりとした。


「次にお客様のお仕事探しですが、提出していただいた膨大な情報を整理して、これまた膨大な仕事の中から探しますので、ご紹介までに少々お時間をください。
早くて1日、最長だと……そうですね、1か月といったところでしょうか。
そして、こちらが見つけた仕事は無条件で3か月、働いていただきます。
ご希望通りではなくても、いえ、それどこか、やりたくない仕事であっても、お客様に断る権利はありません」

「えっ」
八重子は驚いた。

無理もない。強制的に仕事を決められ、しかも3か月は働かなければならない転職エージェントなど聞いたことがない。

「そうなりますよね。しかし、それだけ自信があるということです」
小早川は淡々としていた。

 八重子は何かいいたそうだが、言葉が見当たらないようだった。

「3か月経って、それでもご満足いただけない場合は、慰謝料としてそこで働いた給料分をこちらからもお支払いします。会社からも3か月分の給料は普通に貰えますので、お客様には2倍の額が入るということです」
先ほどより丁寧にゆっくりと話す小早川。

八重子は凍ったように一点を見つめ、沈黙が流れた。

エアコンの音以外はなく、自分の音が響くとまずい、と水島は身体をこわばらせた。八重子は怒って帰るんじゃないだろうか、と心配していた。

実際は1分程だっただろうが、ずいぶん時間が流れたように感じた。しばらくして八重子は口を開いた。
「はい……。概要は分かりました。本当に、変わっていますね」
とりあえず、受け入れたようだ。

「よく言われます。では、本日は以上です。職務経歴書と履歴書など、諸々について書いていただくテンプレートは、こちらのURLにあります。ご自宅のパソコンで入力して送信してください。確認できましたら、またご連絡させていただきます」

いくつか質問したものの、言葉少なに去っていく八重子を見送ると、水島は部屋に戻った。

「彼女、二度と来ないんじゃない?」
こんなふざけた会社──という言葉を水島は飲み込んだ。

「問題ないよ。うちの客は、ここにたどり着くまでにいろんな手段を使って転職活動しているし、何なら自力でそれなりの仕事を探せる人たちだ。それでも、ここを見つけて自分で選んで来た。その時点で決まっているんだよ」

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