小説「僕が運命を嫌うわけ」④完
「ウソじゃないよ。ああ見えて恵は奥手なの」
村井恵が自ら公言することはなかったが、正志の方を目で追ったり何かと話題にするなど言動が分かりやすかったので、グループの中では暗黙の了解だったという。
「あの場面では、ああ言うしかなかったの」
ここで、正志は立ち聞きしていたことが明日香にバレていたことに気づいた。
「あ、あれは偶然で、立ち聞きしたわけでは──!」
「うん、分かってる」
と明日香がいっても
「本当だから」
と念押しした。
結果としては立ち聞きしたのに間違いのだが、故意ではないことを主張したかった。
「寺田くんがストーカーなんて、全然思ってなかった。恵の機嫌を損ねたくなかったから、悪ノリに便乗したの。まさか、聞いてると思わなくて」
「……」
「あの直前、3回も偶然に会ったでしょ」
「うん」
「運命みたい、って思った」
「うん」
同意はしたが、正志のそれにはためらいがあった。
「今回も、似た感じだったね」
明日香も正志と同じく、中学時代の再来であることを意識していた。
「そうだね。ああいうこともあるんだね」
「すごいよね」
明日香は嬉しそうに言う。
しかし正志は次第に息苦しくなってきた。
「でも、いまのオレは運命とか信じないんだ」
思わぬ返事にびっくりした明日香は、正志を見つめ「そうなの……」と悲しそうにした。
それを見てもなお、正志の心は動かなかった。明日香には悪いが、あまりに深いトラウマになっていたので、事の真相を聞いたからといって、今日明日で信念が変わるものではない。
ふたりの気まずい雰囲気に反して、聞こえてくるカノンの音色は優しい。
「でもね、本当は偶然じゃないの」
ぽつりと明日香がいう。
「え?」
「今日、寺田くんがいるかもしれないと思ってここに来たの」
明日香は、中学生のあの日以来、目も合わせなくなった正志の異変に薄々気づいていた。偶然会うことがなくなり残念に思っていたある日、街で正志が全速力で反対方向に走っていくのを見かけた。その後も何度か同じ光景を目の当たりにし、正志が自分から逃げていることが分かった。
高校に進学して忘れかけていたが、大学で再会して当時の記憶がよみがえった。しかも、またあの日のように2回も偶然出会った。もしかしたら3回目が来るかもしれない。でもその時が訪れることは怖かった。あの日のように、これを最後に会えなくなるかもしれない。
「だったら、今度は偶然じゃなくて、自分から会いに行こうって決めたの」
「運命に受け身でいるのは止めた。寺田くんが友達とよく行く場所をなんとなく知ってたから、わたしが会いに行くことにした。探してたのは今日が初めてじゃない。これまで、寺田くんが行きそうなところ、色々いってたから」
「そこまでして?」
「そう、わたしの方こそストーカーでしょ」
明日香はバツが悪そうに笑う。
「いや……」
自分がもし同じ行動をしたらストーカー認定されるだろうな、と思わなくもなかった。
「否定しないんだ?」
「そ、そんなことないけど。でもどうして?」
正志はあわててごまかした。
「あの日のこと、謝りたくて。本当にごめんなさい。わたしの軽率な発言が、寺田くんを傷つけてしまった」
実際、正志は相当に深い傷を負わされたのだが、ここにきてすっかり吹っ飛んでしまった。
「別にいいのに。そんな、オレなんかのために」
それだけのために自分を探してくれていたのかと思うと、今や明日香に対して申し訳なくなった。彼は単純かつ善人だった。
「寺田くんのこと好きになりかけてたのに、わたしが終わらせちゃった」
「ん?」
突然の告白らしきものに正志は耳を疑ったが、明日香のいっていることを理解すると
「ウソだっ」
と村井恵の好意を聞いた時の百倍おどろいた。
「恵とか、みんなにバレたくなかったから。だからあの時、必要以上にひどいこといっちゃった。ずっと後悔してた。本当にごめん」
「いや……ええ?」
正志は頭の中で状況を整理していた。
まさか前野明日香が自分のことを好きだったなんて、誰が想像するものか。しかし、実は自分もまた前野明日香のことを好きだった。偶然の出会いを重ねるうちに、確実に心惹かれていたのだ。明日香も自分と同じだったということか。
今回は絶対に同じことを繰り返さない、と決めたのは、いい雰囲気だと浮かれていたところを奈落の底に突き落とされ、相当なトラウマになっていたからだ。
「うかつに人を好きになるとどん底に突き落とされる」
という観念が強烈に植え付けられてしまっていた。しかしいまの明日香のことばはすべてを消し去る力があった。
「そういえば、またベンチに寝てたね」
「ああ……そういえば」
「バーベキュー食べてるし」
正志が手にしている肉の串焼きを見ながら明日香はいった。先ほどキッチンカーで買ったものだった。
「あ……ほんとだ」
「3回目まで、あの時と一緒だね」
中学生の3度目の出会いは、バーベキューで来た公園のベンチだった。今回の状況も似ているといえば似ているかもしれない。しかしすんなり納得もできない。
「ちょっとこじつけじゃない?」
「そうかな?」
「そうだよ」
「でも、似てるよ」
「まあ、ね」
明日香の強い押しに正志はアッサリと従った。ふたりはあさっての方向を向き、それぞれにはにかんだ。
「でもシチュエーションは一緒でも、会ったのは偶然でも運命でもないからね」
明日香は力をこめていった。
「前野さんが会いに来てくれたもんね」
うん、と明日香。
「大通りに出て、寺田くんの姿が見えた気がしたんだけど、すぐに見失ってね。その後は、もう探すつもりなかったんだけど、カノンが聞こえて思わず立ち止まってたら、寺田くんがいた。バーベキューみたいな串を持って、うたた寝して。これは……運命になる?」
最後のひとことは、少し自信がなさそうだった。運命を嫌うのなら、正志は自分を拒否するかもしれない。
「どうだろう」
正志は考えた。
「どうだろう……」
考えるフリをしながら、不安げに明日香は正志をちらりと見たが、表情からは何も読み取れない。明日香は緊張した。
しばらく考えた後、正志はいった。
「前野さんがここまで来たから、最後に“偶然”が後押ししてくれたんだと思う。運命とは少し違う」
努めて何気なくいおうとした正志の努力は功を奏した。さらりとした回答ではあったが確かに肯定的な返事だった。これは、正志の嫌いな“運命”ではない、という意思表示だ。
一抹の不安が払しょくされたことを知り、明日香の顔がぱあっと晴れる。
「じゃあ、仕切り直していい? あの日途切れていた思いが、中途半端なままなの」
「オレも」
正志は、あの日以来、はじめて真正面から明日香を見て、あの日以来忘れていた笑顔を見せた。
この2人が今後どうなるかは、まだ分からない。ただ、明日香が自ら選んでつかんだ偶然が、約3年の溝を飛び越えて新しい扉を開けたことだけは確かだ。
<完>
<あとがき>
わたしはマサシが好きらしい。
この小説について
最後までお読みいだたきありがとうございました。
ほかにもいろいろ書いているので、よかったら読んでください。