小説・強制天職エージェント⑱
Ⅵ.失敗
人間、誰でも失敗はある。
そして、均衡を保っていたバランスが崩れると、思いもしない場所のもろさが露呈することもある。それは他人から見ると些細なことかもしれない。しかし、本人にとっては自分の核を揺るがすきっかけになることもある。
***
「小早川?何しにここへ?」
いつも通り出社し、久しぶりに山田に呼び出された水島は、会議室にあったその姿に驚いた。
「やあ。いってなかったっけ? 瀬戸さんとの面談だよ」
「聞いてない。来るなら来るって言えよ。そもそも、オレがいるのに面談なんているのか? 彼女のことは報告してるじゃないか」
「君は、彼女の同じ職場の相談相手として。僕は転職エージェントとして。だから面談の主旨が違うよ。近くにいる君だからこそ、言わないこともあるかもしれない。それに、顔を合わせなきゃ分からないこともあるしね」
「じゃあ、オレも同席させてもらうよ。あくまでコンサルタントの立場としてね」
「それは遠慮してくれ。彼女に1ミリでも僕らの関係を疑われたら終わりだ。そこは慎重にやらなきゃ」
「大丈夫だよ。うまくやるよ」
「いや、だめだ」
小早川は頑なに拒んだ。
水島は小早川の言葉が引っかかっていた。すっかり心を許してくれていると思い込んでいたが、八重子はまだ自分に隠していることがあるのだろうか。そんなことはない、と確認したい気持ちもあって同席したかったのだが、小早川の態度は変わりそうになく諦めるしかなかった。
八重子は小早川と1時間ほど面談をしていた。勤務中の休憩時間や終業後に会ったときに、水島は八重子から何とかその時の話を聞こうとしたのだが、大した話は引き出せなかった。
***
翌日。
八重子はいつも通り、朝一番の花の水替えをし、花びんを社長近くの机に置こうとした時、八重子は手を滑らせた。カーペットが敷かれたフロアにも関わらず、花びんは派手に砕けた。慌てて破片を拾い、掃除道具を持ってきて片づけ、床を拭いた。
朝からやっちゃったわ、とため息をついた。ふと手に目をやると、うっすら血がにじんでいた。
営業部の会議に参加していた山田が席に戻ってきた。
「瀬戸さん、ちょっといい?」
「はい」
「前に翻訳を頼んだ資料、間違っていたみたいだよ」
「えっ」
「早めに気付いてよかったよ。このままいくと危ないところだった」
「すみません……」
「後で営業のやつが来るから、確認しておいて。私も不慣れな君に任せ過ぎたと反省しているよ。いやあ、でもちょっと焦ったな」
「……はい」
「今度は気をつけてね」
山田はそれ以上、責めるようなことは言わなかった。
ああいっていたけど、それほど重要ではなかったのかしら? と八重子は考えた。
間もなく、営業の担当者が来て改めて2人で資料を確認したところ、八重子の間違いにより、まったく違う契約内容になってしまうものだった。しかもうちの会社が圧倒的に不利になる——。
八重子は青ざめた。前職でも英語は扱っていたが、専門的な文章だったため、今の仕事で使うような英語はまだ苦手だったのだ。八重子は入社当初から英語については不安があり、時間を見つけて勉強するなどして努力はしていた。しかし、まだ未熟である上に、忙しくて確認する時間が十分に取れなかった。
もっとも、会社としてもそういったミスを見越し、二重、三重のチェック体制は敷いている。それでも八重子にとっては大問題だった。一歩間違えれば会社に大損失を与えかねないミスなど、これまでしたことがなかった。用心深く完璧主義の自分が、こんなミスをしてしまうなんて。
ほかにも色々かいてます→「図書目録(小説一覧)」