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うまくしゃべれないから書く

自分の言いたいことを、上手に、できるだけ正確に、普段から話せたらどんなに楽だろう、といつも思う。

友人少なめ

私の交友関係は狭く、自分から誘うのは片手で数えられる人数。コミュニケーション能力は低くないつもりだが、空気を読むのは苦手。いやむしろ読めるからしんどい。

忖度とか「いい意味での」とか含めてウソは苦手で、仕事ならまだしも、プライベートはキツイ。あまりに興味のない話が続くと顔に出そうになり、隠そうとすると挙動がおかしくなる。元々、考えの合う人などリアルではほぼいないため、自然と1人でいることが多くなった。プライベートで話すより、よほど同僚とか仕事相手の方が100倍くらい饒舌だし率直に話せる。それはきっと仕事は目的が明確であり、比較的ウソをつかずに済むからだ。

口頭でのアウトプットが下手

けっこう突き詰めて考える傾向があり、1つの話題についてかなり話せることがあったりする。が、いろんな思考が組み合わさっているため、アドリブで順序立てて話すのが苦手だ。自分のターンが回ってきたときの持ち時間を計算してしまい、早くしゃべらなきゃと思うと、端折りすぎて早々に結論を言ってしまう。ついでに人の視線が怖かったり、ちょっとあがり症だったりするので、一刻も早く話を終わらせたい衝動に駆られる。それが行き過ぎた10代はピエロを演じたりもして、私のことを心底バカだと思っている子さえいた。

昨日、ちょうど久しぶりに旧友に会った。比較的、素を出せるメンバーだったので楽しかったのだが、「またしょうもない自分語りをしてしまった……」とちょっと落ち込んだ。やっぱり理解されないことの方が多いし、「あなたは昔からこういう人だからね」って言われて「いや、違うけど」と思うこともあった。まあまあ勘違いされているので、例えば普段私が書いている文章を彼女たちが読んだら、同じ人物と思えないかもしれない。

論理的思考じゃない人はいない

昔、「私は論理的思考ができないのだ」と落ち込んでいたら、数学をやっている友人が「特に女性はその傾向があると言われているけれど、論理的思考をしていない人はいない。ただ、外に出す際に過程を飛ばしてしまっているだけだ」と言われて目からうろこが落ち、同時に救われた。言われてみれば、確かにそうだった。まあ、ある意味では「論理的思考を上手にアウトプットできない」=「論理的思考ができない」なのかもしれないけどさ。

子どもの頃はうまいアウトプットの方法を知らなかったが、大学でプレゼンや資料作りを学び、社会では実践でそれを磨いた。メディアにいたころは文章の書き方も学んだ。おかげで口頭でなければ、以前よりは論理的思考ができるようになった。

しかし逆に最近ではロボット的思考に偏りすぎなような気もして、どっちがいいのかよく分からない。ただ現代で生き抜くスキルとしては便利なのは確かだ。

メールで口論した話

仕事の人間関係は最初から一定の距離を保っているし、話す内容もシンプルなのでたいてい問題ない。でも最近まで勤めていたところは、そもそもの方針もカオスだったので、上司に提案というか変更を直訴することも多かった。業務改善の提案なんてあまり踏み込んだことは普通しないけど、言わずにいられないところだった。
ヒートアップした結果ドツボにはまり、一部の人には「感情的」「断定的」と思われているようだった。相手が聴く姿勢でいてくれて、かつ時間をくれたら、あと注目されなければ誰よりも話せる自信はあるのに……とは思うけれど、まあ無理な話と理解している。

そこで上司に言いたいことがある時は、できるだけ準備することにしていた。別にケンカじゃないので構える必要はないのだが、直属の上司が、まったく論理的じゃないくせに口が立ち、人を丸め込む天才だったのだ。同時に、私の長文メールに相手をしてくれるという、優しいんだか暇なんだかよく分からない稀有な人でもあったため、休日だというのに数時間にわたってものすごい文通で議論(口論?)したこともあった。
電話の方が絶対早いのだが、口達者に口下手が挑んで勝てるものか。実際、それまで口頭では私が全敗だった。ちなみに30通近い文通の結果、最後は私が疲れて非論理的な方向に走って自爆した。ここでも負けるんかい……。言い訳になるが、その時は本気で体調不良だった。

自分が口下手だからか、子どものころから「なぜ多くの人は、内容や行動ではなく、声の大きい人の意見に従うのだろう」と不思議でならなかった。ネットでは私と同じ意見の人も多く、世の中の仕組みや心理を説明している人もいるので理由は分かるようになった。でも分かったからといって、大人しくしてられない時もある。口で勝てないなら行動(仕事)で圧倒してやる、と頑張っていたがそれも疲れた。見ている人は少ないとしても、こういう場所で自分の思いを最後まで発信できるのはありがたい。

結論。小説を書こう

私は研究者としてこの世の真理を解き明かすのが夢だったが、続かなかった。メディアで働いたけれど、続けたかった場所は会社都合で続けられず、次に行った場所は自分が納得できず辞めてしまった。何をしても続かず、何の専門家にもなれずにここまできた。

でも、これまで過ごしてきた場所、見聞きしてきた経験から語れることはたくさんあった。それをそのまま発信してもいいのだが、ただ出来事を並べるだけではつまらない。

あと、私は人の心が読める。というと大げさだが「洞察力がありますね」といわれる程度にはできる。「この人、今話していることに集中してないな」と思ったらその人の”後ろ”を見るクセがあるのだ。浮かんだ答えが正解か分からないけれど、自分なりに納得する材料にしている。

あとは日頃から妄想癖があったり、感受性豊かと言われたり。
そういった、全体的に広く浅く、局所的に深い私の経験や思考を表現する場として、自分には小説の世界が合っているのかなと思っている。頭の中を整理しながら自分の思いを伝えることができ、色んな人の考えを交差させることもできる。見てきた世界観を自分なりの角度で表現できるのも楽しい。

前も書いたけれど、やっぱり書き足りない。以降はまた別の話で。

追伸:
ここまで書いておいてなんだけど、小説はストップ中。今後のことはともかく、いまこの瞬間の気持ちということで、書き留めておきます。



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