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目的は見る時間軸によって手段に変化する

昨日の「目的」と「手段」の図解を少しをアレンジしてみました。

よく「手段の目的化に注意」的なことは言われるのですが、ココで挙げられている「本来の目的」の奥にも実は「究極の目的」と言えるモノがあります。

そして「究極の目的」から見れば「本来の目的」も手段でしかなかったりする、そんなこともよくありますよね。

どの「時間軸の範囲」にフォーカスするかで、手段は目的になったり、目的は手段になったりします。

図の「中間の目的B」の位置が分かりやすいと思います。そして、現実にも同じようなケースがあるはずです。

コレが本当の目的だ!と掲げたモノも、実は究極の目的の手段だったりすることは割とよくある。

「手段の目的化」って、どの時間軸を見るかのズレによって起こると思います。「時間軸の視野」と言ってもいいかもしれません。どこからどこまでの範囲にフォーカスするか、その範囲設定で中間地は手段にも目的にもなる。

なら、「現在地」と「究極の目的」の二点を見定めておけば良いかと言えば、そんなコトもないのが面白いところですよね。

もちろんこの両者は大切なのですが、人それぞれに持つ価値観やフェーズ感によって「クリアに見える時間軸の視野」はきっと異なっているはずなんです。

で、時間軸の視野が相手と異なっているときに完全に一方の見ている世界観に合わせるのはソコソコ無理がある。

お互いの視野から一歩ずつ相手に近づいて歩み寄りをするから共通認識に近づけるのかなと、そんなことを考えます。

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