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自己理解と他者理解によってコミュニケーションの橋が架かる

「他人を理解する」って、究極的には「自分を理解する」がセットになるから実現できると感じています。

相手の存在そのものだけを認識することって出来なくて、何かの比較対象があるから相手を認識して理解できるようになる。

その比較対象って、自分に他ならないのではと思ったりするんです。

自己理解が浅いままに他者理解しようとすると「言語化できていない自己理解」をもとに相手と比較し差異を見出そうとしちゃうと思うんですよね。

例えば、相手に対して何らかの印象を抱いたとしても、その印象が何を根拠にしているか、自分では理解できていない状態になるわけです。

自己理解が進むと相手と自分という二つの柱ができるわけで、何をもって比較しているのかが明確になる。すると自分が相手に抱いた印象も、その背景を掴みやすくなると思うのです。

自己理解と他者理解は二本の柱で、その間にコミュニケーションの橋が架かるイメージと捉えています。

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たけうちのぶお|突破計画
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