理性と感性を駆動させて認識をアップデートする【COTEN RADIO 障害の歴史・社会福祉の歴史を聴いて】
最近の取り組みに関連して COTEN RADIO の「障害の歴史」「社会福祉の歴史」を周辺を何度かリピートしています。そのなかで【番外編#84】株式会社ヘラルボニーの挑戦 〜障害×アートによるビジネスが描く社会の新たな目線〜を聴いていて感じたことです。
番外編の最後に深井さんが発していた言葉、差別に向き合うために視点として「理性」を駆動させる、その具体的なアプローチが「定義を複層的に持つ訓練をする」ことはまさに自分も強く感じています。
ある定義から見ればAとBに分かれるけど、別の定義から見ればCとDに分かれる。そんな思考アプローチを個人の頭のなかでできるように訓練していく。深井さんは定義という言葉で表現したけど、言い換えるとこれは「価値観」だったり「文化」だったり「空気」だったりもする。もっと言えば自分の「認識」なのでしょうね。いかに自分の認識を理性を駆動させて異なる見方を取り入れられるか。
しかし一方で、僕自身に存在する課題感が「理性を駆動させて獲得したはずの認識が定着しない現象」です。
理性で一定は乗り越えることができると感じています、でも乗り越えたはずの認識はいつの間にか「立ち戻る」現象が起こる。
AとBに分かれるけど、別の定義から見ればCとDに分かれる。これを言葉では理解している。でもどうしても自分はAとBから見た世界のままにCとDに分かれることを「知っている」に留まる。知っているだけだからこそ、「思ってもいないことを口にする」とか「それはその通りだけど、でもね」なんて言葉も出てきてしまう。
本当に自分は認識を乗り越えたのかと言われれば、立ち戻るのは実感に欠けているからなのかと感じます。
これは、認識に「新たな軸」を獲得したいという感覚です。今まで一つの軸だけで世界を捉えてところを複数の軸で世界を捉えられるようになりたい。でも、理性だけで認識した軸には結局自分自身でも身が置けていない感覚がある。
となると、これは「感性」の出番かもしれないと思うのです。「理性を駆動させて獲得した認識を感性を駆動させて実感させる」、これが自分の認識軸を増やしていく方法ではないかと。
感性とは何か、言い換えると「身体知」であり「経験」です。僕はよく「メタ認知」の対義語として「ベタ感知」という造語を使います。超上空から俯瞰するメタ認知に対して超地面ベッタリなベタ感知。自分自身の身体通した経験として、理性を駆動させて乗り越えた認識を「実感」することで定着させていくわけですね。
理性を駆動させることで「異なる世界の切り分け方」が自分には見えてきた。しかし感性の世界では未だ「かつて持っていた世界の切り分け方」に留まっている。理性で乗り越えた先に世界に、感性も一緒に連れて行ってみる必要があるんだと感じるのです。
これ、もしかしたら理性を駆動させてきた西洋哲学と身体性に向き合ってきた東洋哲学の融合みたいな感じで表現できるのかもしれません。両方、要るんでしょうね、たぶん。
理性と感性はどっちが先の方がいいのかは分かりません。もしかすると人の認識傾向によって異なるのかもしれません。しかし入口がどちらであれ「どっちも」自分に取り込もうとすることが、自分自身の世界の捉え方を拡張させていくアプローチなのではないかと思います。
自分自身が乗り越えたはずの認識に立ち戻ったり、小さな経験から認識が定着したことなどを振り返ってみても、大きく筋は外していないと感じています。
ある定義から見ればAとBに分かれるけど、別の定義から見ればCとDに分かれる。コレに気づくためにはメタ認知を入口とした「理性」の駆動が必要です。その先に、元の自分の認識が「AとBに分ける」だったなら「CとDに分ける」をいかに実感するかどうかだと思うんですよね。
手前味噌 of 味噌ラーメンですが、自分の取り組む社会問題を解決する目的のゲームである「シリアスゲーム」は「認識のアップデート」と「認識の体験」を実現できるアプローチであるように感じています。認識のアップデートに擬似体験を含んでいるからこそ、その認識は新しい軸となって自分の中に立ってくれる。もちろんあくまでも一つの手段です。だから色んな手段が世界に存在してくれることに意味がある。
理性を駆動させて認識を乗り越えて、感性を駆動させて乗り越えた認識を実感させる。
いくつもの「認識の軸」を体感ベースで持つことが、自分の世界の捉え方を豊かに変えていくのだと思います。そんなことをCOTEN RADIO聴きながら少しだけ言語化ができました。
この認識は、いま自分がやっている取り組みにも関連してきますし、取り組みがあったから気づいた面もあります。色んなご縁から実践できている「アルコールと社会問題」を考えるシリアスゲームプロジェクト、定期的にファシリテーターとして参加している社会問題を身近なものに変えるリディラバのスタディツアー、来年度以降ももう少しこの辺りに関連したテーマそのものへの活動が加速していく兆しも感じています。
どう自分なりに実践して、自分も社会もアップデートしていくか、少しずつ僕自身の取り組みもConnecting The Dotsなところに近づいているような気がしてワクワクもしています。
関連するリンクを幾つか貼っておきます。自分のヤツは超手前味噌ですが・・・
■COTEN RADIO 障害の歴史シリーズ
■COTEN RADIO 社会福祉の歴史シリーズ
■番外編を聞いた岸田奈美さんのnote
■シリアスゲームをつくる意味
■社会問題をみんなのものに変えるリディラバの活動