実践!原体験ジャーニー【目指す未来に向けて線を引く】
twitterでフォローしているチカイケ秀夫さんの「原体験ドリブン」を入手しました。かなり、気になっていた本。ここ数年、自身の状況が変化していくなかで、もう一度自分の「芯」を見直す必要性を感じていたタイミングでの出版です。この波に乗らないわけにはいかない。
さて、原体験の旅に出てみたことで自分は何を掴んだのか。何を掴めていないのか。ようやく輪郭が見えてきた気がするので言語化してみたいと思います。ちなみに、まだ原体験ジャーニーは終わったと感じていません、あと何度か実行してみる必要性も感じています。
1.書籍入手前に実行した原体験ジャーニーは失敗し、遭難
書籍が発売される前から「原体験ジャーニー」というワードにはビシバシと惹かれていました。ああ、なんで東京ブランディング大学校は東京なんだろう笑、大阪でやってよ、なんてコトも考えたり。
とは言え、チカイケさんは原体験ジャーニーの概略を示していてくれたので、一旦自分でトライしてみることにしたのです。しかし、この旅は遭難に終わります。
詳細な解説は書籍を読んでいただければと思いますが、原体験ジャーニーは基本となる質問5項目に回答し、そこを起点に「なぜ」という質問を繰り返しながら「時間軸」も一緒に掘り進めていくイメージです。
ですが、私の場合は最初の5項目を記入した時点で、唐突に複数の6歳~16歳ぐらいまでのエピソードが頭に浮かんでしまいました。なんとなく、最初の5項目とこのエピソードが繋がっている感もあります。なんとなく、原体験と言ってしまっても良い気がする。そんな印象を受けてしまうエピソードでした。
しかし、そのエピソードの印象が強かったために「このまま進めてしまっては、思い浮かんだエピソードに辿り着こうとするような掘り下げ方になるのでは?」という懸念を抱いてしまい、掘り下げが進まなくなってしまったのです。確証バイアスを恐れた、と言えるかもしれません。
結果、初回の原体験ジャーニーは遭難に終わってしまったのです。
2.「今度こそ」と書籍を買って、もういちど原体験の旅にでる
で、ようやく書籍を入手したわけです。読む前は分からなかった留意点なども押さえて、さてもう一度原体験ジャーニーにトライしてみようと思ったのですが、このままでは前回思い浮かんだエピソードに意識が引っ張られてしまいそうな気配も漂っていました。
そこで、どうせエピソードに引っ張られるのであれば、一度自分の体験を整理してみようと思い立ち、36年間の人生を年表にしてみました。最初に記載したのは単純な事実だけです。
もちろん、思い出すことで当時の感情に引っ張られることもありましたが、記載するのは事実だけ。意味付けは原体験の旅が終わってからでも良いと思い、整理することに徹してみました。(画像はちょっとボカしています。)
これは、原体験ジャーニーで紹介されている方法とは異なります。私の場合は最初の失敗があったので、フラットに自分を見るために自分に起こっていたエピソードを抽出する必要があったのです。
この作業を経てから、いよいよ原体験の旅に出ます。
3.「強さ」と「深さ」の違いを意識する
書籍のなかで一番気付きを与えてくれたのは、原体験の軸についてです。
最初の原体験ジャーニーの失敗は、どうも「強い原体験」と「深い原体験」を混同していたことにあるんじゃないか?と気付きました。「強い原体験」は印象に残りやすいので、それ即ち「深い原体験」だと自分で解釈してしまっていたのでしょう。
それぞれ組み合わせると、全部で8パターンの体験がありますね。
基本的にこの組み合わせのなかで「浅い」体験はスルーしても良いかなと判断しました。また、「強くて深い原体験」については気付きやすいですよね、しかし「弱くて深い原体験」は注意を払わないと気付きません。
「弱い」からといって「浅い」とは限らないと気付いたことは、注意深く掘り下げて自分の記憶を丁寧に引っ張り出す切っ掛けとなりました。ここで年表を作っていたことも役立っています。
さてここで一つ、「自分では原体験だと思っていたが、実は原体験と呼べるものではなかった」エピソードを紹介してみます。先ほどの分類で区分すると「強いけど浅い原体験」と呼べるものです。
【奇病を患った高校生時代】
私は、高校一年生のときに奇病を患います(難病指定はされていない)。ある時、手の動きが悪いなぁと思っていたら日に日にその動きが悪化していき、焦って検査入院すると通称、平山病と呼ばれる珍しい病気でした。
症状は進行度合いで人によってまったく異なりますが、私は比較的悪化してしまった方かもしれません。その後、手術を経て悪化は食い止めたものの現在に至るまで左手が開きません。また、腕も上げ難い状態です。利き手は右手だったため、生活が劇的に不便になったということはありません。余談ですがPCのキーボードの左手は人差し指だけ伸びるので一本で打っています。
普通にこのエピソードを聞くと、それなりに大きな体験だっただろうなと思いますよね。私もそう思っていました。
この病気を患ってからは「当たり前のことが突然当たり前で無くなる日がくるから、今を懸命に生きなければいけない」的なことも語っていたわけです。実例があるので説得力がある。自分にとっても大きな体験だったと思っていたのです。
ですが、原体験ジャーニーを実行してみると、どうも様子がおかしい。旅のなかに、このエピソードが出てこない (爆)
強い体験であったのは間違いないのです。でも、どうやら深い体験ではなかったようです。
そう考えてみると、「単なる特徴」程度に捉えているトコロもあり、価値観に影響を与えているとは言い難いなぁと気付いたのです。もちろん、病気を患ってから「工夫すること」は覚えました。でも、そんなモノです。おっぱいが揉みにくいとかも言ってましたね。揉む乳も当時は無かったのに!
これは、自分の記憶の「強さ」に目が向き、「深さ」という視点がなかった故です。初回の遭難した原体験ジャーニーで突然思い浮かんだエピソードの一つでした。でも、丁寧に原体験の旅に出ると、このエピソードには辿り着かない、離れ小島だったのです。
たぶん、「強さ」には誰もが惑わされやすいはず。だから、過去にさかのぼる意識が必要なのでしょう。「なぜ?」を重ねる、質問を重ねて連続性を見出す意味はそこにあるはずです。丁寧に繋がりを意識していけば「強さ」には惑わされず、「深さ」に気付くことができるはずです。
4.旅を終えて「原体験」を見出す
さて、丁寧に原体験ジャーニーを終えると初回の遭難時に思い浮かんだエピソードの一つに辿り着きました。もしかするとコレが自分の原体験かもしれないな・・・でも、他にも様々なエピソードが言語化できているわけです。
それぞれのエピソードや考え方は自分にとってどんな意味を持つのかな?、という疑問から先ほどの8つの区分を使って確認してみることにしました。
それぞれの体験を見渡してみたときに「この体験は深くて強い体験かな?」「こっちは強いけど浅い体験だな」とマーキングしてみたのです。
最終的に出来上がった原体験ジャーニーがコチラです・・・が、字もキタナいしそのまま開示することは若干の抵抗があるので、軽くですがボカシを入れておきます。
結果、おそらくコレが自分の原体験だろう。と感じるものが見つかりました。実は、初回の遭難時にも浮かんでいたエピソードです。
それは私が6歳のころ、通っていた保育園の卒園式での体験です。
卒園式では園児が一人一人「将来の夢」を元気よく発表していきます。
「おおきくなったら、お花屋さんになりたいです!」
「おおきくなったら、サッカー選手になりたいです!」
発表されるたびに大きな拍手が起こり、ニコニコとした幸せな空気が会場に流れます。さて、6歳の自分の出番です。緊張しながら大きな声で夢を叫びました。
「おおきくなったら、ハカセになりたいです!」
その瞬間、会場に起こった大爆笑。
当時の自分は「笑われた」と感じました。恥ずかしかった。
今ならモチロン、その笑いの意味は分かります。当時の親たちが考える「こどもらしい夢」が並ぶ中で、意外すぎる夢の登場。驚きと微笑ましさからの爆笑でしょう。
が、自分はそうは感じなかったのです。ただ、笑われたと感じました。
あろうことか、自分の父親が大口開けて笑っているのも目に入りました。両親との関係性はまた別の部分で自分の体験や自分の形成に影響を与えているのですが、ここでは割愛します。
その後、自分がどう行動を取ったのかまったく覚えていません。しかし、あのときの大爆笑と恥ずかしさは今でも覚えています。
相手にそんな意図はなかった。しかし、自分は「夢を否定された」と感じた。当時の体験を抽象化して整理してみると、繋がっているエピソード、そこで感じたことも説明がつきます。
ちなみに、当時も今も自分が持つハカセのイメージとは
・なんでも作ってしまう、まず手が動く
・課題に対してアウトプットで応える
・結構な頻度で失敗もする
・それでも、ヘコたれない
こんな具合です。
祖母の家にチキチキマシン猛レースのビデオがあり幼い頃によく見ていましたが、登場人物の中だとハカセのおじいちゃんを一番応援していました。新しい価値をこれでもか!と生み出す姿に憧れていたのでしょう。
そして、いまの自分は「プランナー」として活動しています。イベントや空間制作が基本的なフィールドですがマーケティングや企業の事業開発、経営計画に携わることもあります。幼い頃に夢みたハカセの姿に近づいていたんだと、原体験の旅で再確認もできました。これは嬉しかった。
5.原体験かどうか怪しい3つのエピソード
さて、卒園式の体験が自分にとって大きなモノであるとは気づいたものの、一方で「それだけではないかもしれないぞ」という感情も抱いていました。自分を作っている要素として不足を感じていたのです。
初回の遭難ジャーニー時にも、今回のキッチリ原体験ジャーニー時にも、どちらも「強くて遠い」と言える幾つかの体験が他にもありました。その「深さ」についてはどうも判断しかねる体験です。3つあったので紹介させていただきます。
その1☆小学一年生 牛乳残した人がいてクラス全員が連帯責任
今こんなコトしていたらヤバい教師だと叩かれそうな事件です。
当時小学一年生、給食の時間に一人一本ビン牛乳が出るのです。それを「必ず全部飲みなさい」と担任の先生が強制するのです。当時はまだまだ個人の嗜好やアレルギーに対するリテラシーも高くない社会です。牛乳なんて体に良いんだから飲むのが当たり前な価値観なんです。
で、誰かが牛乳を結構残したのです。誰が残したのかは分かりません。そこで、先生は犯人探しをするわけです。「これを残したんは誰や!」と・・・
クラス全員、ずーっとその場に残されるのです。「誰が残してん」みたいな雰囲気もクラスに漂うわけです。先生はなんだかずっと怒ってるんです、恐いんです。
いつまで経っても名乗り出る気配がない。そこで自分が取った行動は「ボクが残した」と名乗りでることでした。当時の自分は牛乳大好きっ子なので残すなんてあり得ないわけですが、このまま状況が改善しないことを小学一年生なりに良くないと感じたのでしょう。
当時の自分の価値観では、間違いなく「牛乳を残したヤツが悪い」だったのですが、同時に「別に悪いことをしていない他のクラスメイトまで割を食らっている」状態がイヤだったのだと思います。
そこで、自分が名乗り出たわけですが、でもヘタレでもあったので先生に怒られることはイヤなわけです。泣きながらウソの「牛乳を残した言い訳」を説明していたなぁ。しかも、そのあとのクラスメイトからの「なんで残してん」みたいな反応が結構シンドかったと記憶しています。
取った手法の是非は小学校一年生にどうこう言えないでしょう。ただ、「理不尽」や「誰かが困っている」ことに対して「アクション」を実践するという気質は今も変わっていません。自分の気質と当時のエピソードが原体験ジャーニーで結びついたのです。
その2☆5歳ぐらい ジャングルジムから飛び降りて骨折
これは保育園のときです。昔から「まず行動する」というクセがあるため無茶もそこそこしていたような気がします。記憶にはありませんが、熱湯の入ったポットに手を突っ込んで大やけどしたこともあるようです。今でもその火傷跡は残っています。
さて、タイトルどおりなのですがジャングルジムから飛び降りて骨折した経験があります。どうやら、ジャングルジムのちょっと高いところから飛び降りたようです。なんで飛び降りたのか全然覚えていないのですが、もう既に骨が折れているであろうタイミングで自分が泣いている記憶と、友達が「なんでそんなトコから飛び降りたん」的なことを言っている記憶があります。
昔からそうなのですが、私は行動が先に出るようです。行動してから考える。PDCAじゃなくてDCAPになっています。ちなみに、先日ストレングス・ファインダーという自分が持つ才能を調べることのできるツールを使ってみたところ、3つめに「活発性」と出てきました。まさにです。
そんな自分を象徴するエピソードなのですが、実はつい3年ほど前までこの性質は抑制されていたように感じます。それも原体験ジャーニーで気付いたのですが「まず行動」という私の性質を封じ込めている2つの体験がありました。異なる人・時間での「〇〇するな」という言葉が鎖のようになって自分を縛り付けていたのです。まさに「鎖につながれた象」と言える状態です。
この鎖は20代中盤からつい3年ほどまでの自分を縛っていました。「ただの言葉」だと気付いてからは、本来の自分が持つ性質に沿った行動を取ることができるようになったのです。
「自分がもともと持っていた性質」が「ある人の言葉や行動」で抑制されていたと、この原体験ジャーニーで改めて整理できた部分もあります。
その3☆3歳後半 弟が生まれたときに、名前を悩む親へボケてみた
これは、自分が持っている「一番古い記憶」かもしれません。3歳の後半なので1987年です。まったく当時の社会情勢なんて分かりません。自分にとっては自分の周りだけが社会そのものですよね。
さて、そんな自分を取り巻く社会に大きな変化が生まれました。それが弟の誕生です。このとき何を感じていたのか、弟が生まれたあとにどんな振る舞いをしていたのか、まったく思い出せません。覚えている記憶はその翌年に保育園でムカデに手を噛まれたイヤ~な記憶ぐらいです。
さて、この弟の誕生について自分が覚えている唯一のエピソード。両親がテーブルに向かい合って、弟の名前をどうしようかとウンウン唸っているのです。結構悩んでいるなぁという光景でした。
そのとき私はチョケるのです。弟の名前に「うんこ」を両親へ提案したのです。わたしの苗字は「たけうち」なので「たけうちうんこ!」と元気よく提案したのです。
このシーンはハッキリ覚えていますよ。面白いと思っていたんだろうなぁ。笑わそうとしていたんだろうなぁ。3歳児の精一杯のボケです。結果はスルーでした。両親、一切リアクションを取らずに悩み続けています。
つまり、これは記憶に残っている中で最も古い「笑わそうとボケた記憶」と「結果、スベった記憶」なわけです。全力で笑わそうとして、がっつりスベった。3歳にしてスベっていたのです。弟よ、ゴメンよ。うんこじゃなくて良かったね。
コレ、今の自分にも通じるところがあって、多くの場面でユーモアを交えようとします。プランナー業を進めるときも、どこかにユーモアを混じれないかと目論んでいます。そして、大体スベります。別にスベり芸というわけではなく、全部ホームランを狙って圧倒的にスベるのです。うまくヒットを狙えばいいのに。
たまーにホームランを打つことがあります。ホント、たまにです。昔近鉄にいたブライアントという三進かホームランかというバッターで喩えようかとも思ったのですが自分はホームラン王なんて獲ったことはないので、おこがましいなぁと思っていたら現役選手に良い喩えになる選手がいました。オリックス・バファローズの杉本裕太郎選手です。現役の通算ヒット数がここまで4年間で13本しかないのですが、うち7本がホームランというアホみたいだけど面白いバッターです。野球に詳しい方はご存知ですかね。
余談中の余談ですが、自分がホームランを打った事例も一応紹介しておこうかな。これは神戸にある近畿タクシーという企業の広告です。
行政(神戸市)が中小企業を支援する目的で開催した公募コンペがあり、そこで審査員とクライアントが血迷って採用してしまったモノです。私はこのデザインの企画とディレクションを担当していました。詳しくは語るまい。でも、なんとなく私の持つ匂いは感じ取ってもらえるかな・・・と。(真面目な仕事もちゃんとやってますよ!)
6.「原体験」と「象徴体験」の違いに疑問を抱く
一体何を聞かされていたのだろう・・・と思いましたか?
私も途中から何を話しているのか分からなくなってしまいました。ノリにノっているときはロジカルな文章校正が出来なくなってしまいます。ゴメンナサイ。
さて、意味も無くこの3つのエピソードを並べたわけではありません。
これらの体験は原体験ジャーニーを進めるなかで「強い」体験だと思ったモノでした。そして、間違いなく今の自分の性質と地続きになっているものです。しかし、私はこれらのエピソードの取り扱いに困りました。
これらの体験は、よくよく考えてみると「自分に変化をもたらした」体験ではないのです。自分を象徴する体験とは言える、でもそれって「原体験」とは言えるのかなぁ・・・と。ここが迷ったところです。
これは解釈が違っているかもしれませんが、「原体験」とは「自分に変化をもたらした体験」を指すのかなと感じています。だから個人の性質や考え方には「ビフォー原体験」と「アフター原体験」があるはずです。
しかし、この3つの原体験はその前後で自分に考え方の変化をもたらしてはいません。「自分の性質」が前提としてあったが故の「行動」となった記憶です。
だから「強い記憶」であることに間違いはないのですが原体験とは呼べないのかな。もしかすると、このような行動に自分を導いた伏線となる「もっと遠い原体験」があるのかもしれません。でも、さすがにそこまで記憶をさかのぼることは出来ませんでした。
この体験の取り扱いに困りました。「原体験」ではない。しかし「自分を象徴」してはいる。だからこの体験のことを「象徴体験」と呼ぶようにしています。
「原体験」と「象徴体験」は関連性があるかもしれないし、無いかもしれない。でも、間違いなくどちらも「今の自分」に繋がっているものであることは間違いない。今のところまだ掘り下げられてはいません。だから、私の原体験ジャーニーはまだ終わった気がしないのです。
7.自分を起点にした考え方に身を置くこと
ここ最近、「自分を起点」とした思考や行動の原理が流行しています。論理思考、デザイン思考の限界が叫ばれるなかで「自分を起点」にする重要性に多くの方が気付き始めています。
私が最初にそこに触れたのはロベルト・ベルガンティの「突破するデザイン」を読んだときでした。その後、佐宗邦威さんの「直感と論理をつなぐ思考法」でビジョン・ドリブンという考え方が示されたり、ここ数年「アート思考」に関連する書籍が一気に増えたのも、その流れを象徴していると思います。
これらはすべて、「自分を起点」にした行動・思考の方法論です。そのなかでも「原体験」に活路を見出すチカイケさんの手法は私の興味を強く惹きました。
原体験ジャーニーを実践してみて、かなり言語化ができたとは感じています。しかし、まだスッキリとはしていません。だから、あと何度か実践する必要があるのかもしれませんし、可能なら書籍で紹介されている「ペアワーク」も本当は実践したいトコロです。
私が今抱いている疑問は、「象徴体験」が示すような「自分の性質」に関連する要素です。
「体験」とは「外部からの影響」です。それが人生に大きな影響を及ぼすという点については同意しています。一方で、私たちには遺伝に代表されるように「そもそも持っている性質」もあります。これを原体験ジャーニーの実践時に、どのように捉えればよいのかが分かりませんでした。
もしかすると、その性質すら「原体験」として読み解けるのかもしれません。しかし、遺伝は原体験として読み解けるのだろうか・・・と。疑問と興味は尽きません。自分でも考えを深めてみたいと思います。
仮に、私たちが最初から持っている性質を「原性質」とでも呼ぶとするならば、原体験バズーカの威力は「原性質」と「原体験」が重なり合ったときに、さらに強力なモノとなるのかもしれません。これは私の妄想です。
原体験ドリブンの表紙に「人生の答えの9割がここにある!」と書いてありました。私の旅はまだ途中です。だから9割とはまだ言えない。でも、8割ぐらいには辿り着いたと感じています。
8.自分が見たい未来と、それを実現するための手段は
8割ぐらいに辿り着いた状態ですが、自分の「原体験」と「原性質」から「自分が見たい未来」を繋げてみたいと思います。
①強い原体験
夢を語って笑われた(と、感じた)経験
②過去の自分にアドバイス/原体験に関わりのある人に言いたいこと
夢に対する承認「あなたのことを、しっかり見ているよ」
関りのある人へ「相手をこどもだと見ずに、一人の人間としてその夢を捉えてみては?」
③価値観(想い)
自分が「思う」ことを続けるチカラを育みたい。
自分を「正しく捉える」チカラを育みたい。
自分に対しても、自分以外の誰かに対しても。
④過去の自分と同じ状況にある人
夢を否定された人
自分との対話がうまくできていない人
⑤手段
自分を起点にした「行為としてのアート」を広める・実践する。
実はこの⑤手段は、もともとやりたいと思っていたことではありました。ただ、自分のなかで説得力が増してきている気がします。エネルギーも増している気がします。それは、これから先さらに深掘りすることで強くなっていくのだろうと思います。
私は「アート」に対する強い期待を抱いており、「アート思考」のブーム自体は好意的に受け取っています。が、一方でアート思考では必ず限界が来ることも予測していて、そのときに必要なものが「行為としてのアート」だと感じています。
原体験ジャーニーも、アート思考も、「言語化」という手段に重きを置いています。それ自体が重要なことは疑いようもないのですが、「行為としてのアート」には言語化も含んだ「表現化」という手段を採ります。
自己を起点とした「表現」を実践することが、自分の解像度を高め・多様なアプローチを生み出す、その可能性が「行為としてのアート」には詰まっていると感じています。
詳しくはコチラの記事でまとめています。「アート思考」に興味がある方はご一読いただけると嬉しく思います。ただ、この記事と同様そこそこボリューミーなので、お時間はいただくことになってしまうかと・・・
最後にもう一度、皆さんにもぜひ原体験への旅はオススメしたい。
そして、この旅の仕方をもっと色んな方向から考察してもいただきたい。それらがかみ合って、もっと多角的な原体験の旅が生まれていくのだと思います。
あぁ、ペアワークやってみたいなぁ。