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吉川英治『三国志』新聞連載版(3)白芙蓉(びやくふよう)

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(一)

  それは約五十名ほどの賊の小隊であつた。中に驢に乗つてゐる二、三の賊将が鉄鞭を指して、何か云つてゐたやうに見えたが、軈(やが)て、馬元義の姿を見かけたか、寺のはうへ向つて、一散に近づいてきた。
「やあ、李朱氾。遅かつたぢやないか」
 此方(こなた)の馬元義も、石段から伸び上つていふと、
「おう大方、これにゐたか」
 と、李と呼ばれた男も、その他の仲間も、続いて驢の鞍から降りながら、
「峠の孔子廟で待つてゐるといふから、あれへ行つた所、姿が見えないので、俺たちこそ、大まごつきだ。遅いどころぢやない」
 と、汗を拭き/\、かへつて馬元義に向つて、不平を並べたが、同類の冗談半分とみえて、責められた馬のほうも、げら/\笑ふのみだつた。
「ところで、ゆうべの収穫(みいり)は何(ど)うだな。洛陽船を的(あて)に、だいぶ諸方の商人(あきんど)が泊つてゐた筈だが」
「大して云ふ程の収穫もなかつたが、一村焼き払つただけの物はあつた。その財物は皆、荷駄にして、例の通りわれわれの営倉へ送つておいたが」
「近頃は人民共も、金は埋(い)けて隠しておく方法を覚えたり、商人なども、隊伍を組んで、俺たちが襲ふ前に、うまく逃げ散つてしまふので、だんだん以前のやうに巧いわけには行かなくなつたなあ」
「ウム、さういえば、昨夜(ゆうべ)も一人惜(をし)いやつを取逃がしたよ」
「惜い奴?——それは何か高価な財宝でも持つてゐたのか」
「なあに、砂金や宝石ぢやないが、洛陽船から、茶を交易した男があるんだ。知つての通り、盟主張角様には、茶ときては、眼のない好物。これはぜひ掠奪(かすめと)つて、大賢良師へ御献納まうさうと、そいつの泊つた旅籠も目ぼしをつけておき、その近所から焼払つて踏み込んだところ、いつの間にか、逃げ失(う)せてしまつて、遂々(とうとう)見つからない。——こいつあ近頃の失策だつたよ」
 賊の李朱氾は、劉備のすぐそばで、それを大声で話してゐるのだつた。
 劉備は、驚いた。
 そして思はず、懐中(ふところ)に秘してゐた錫の小さい茶壺(チヤコ)をそつと触つてみた。
 すると、馬元義は、
「ふーむ」
 と、唸(うめ)きながら、改めて後ろにゐる劉青年を振向いてから、更に、李へ向つて、
「それは、幾才(いくつ)ぐらゐな男か」
「さうさな。俺も見たわけでないが、嗅ぎつけた部下のはなしに依ると、まだ若い見窄(みすぼ)らしい風態(フウテイ)の男だが、どこか凛然としてゐるから、油断のならない人間かも知れないといつてゐたが」
「ぢやあ、この男ではないのか」
 馬元義は、すぐ傍らにゐる劉備を指さして、云つた。
「え?」
 李は、意外な顔したが、馬元義から仔細を聞くと遽(にはか)に怪しみ疑つて、
「そいつかもしれない。——おういつ、丁峰、丁峰」
 と、池畔に屯(たむろ)させてある部下の群へ向つて呶鳴(どな)つた。
 手下の丁峰は、呼ばれて、屯の中から馳けて来た。李は、黄河で茶を交易した若者は、この男ではないかと、劉の顔を指さして、質問した。
 丁は、劉青年を見ると、惑ふ事もなくすぐ答へた。
「あ。この男です。この若い男に違ひありません」
「よし」
 李は、さう云つて、丁峰を退けると、馬元義と共に、いきなり劉備の両手を左右から捻(ね)ぢあげた。
[13]【桃園の巻】昭和14年(1939)9月9日(土)付夕刊掲載

(二)

 「こら。貴様は茶を秘(かく)してゐるといふぢやないか。その茶壺(チヤコ)をこれへ出してしまえ」
 馬元義も責め、李朱氾も共に、劉備のきゝ腕を、捻抑(ねぢおさ)へながら脅した。
「出さぬと、ぶつた斬るぞ。今もいつた通り、張角良師の御好物だが、良師の御威勢でさへ、滅多に手にはいらぬ程の物だ。貴様のやうな下民などが、茶を持つたところで、何となるものか。われわれの手を経て、良師へ献納してしまへ」
 劉備は、云ひ遁(のが)れの利かないことを、はやくも観念した。然(しか)し、故郷(くに)の母が、いかにそれを楽しみに待つてゐるかを思ふと、自分の生命(いのち)を求められたより辛かつた。
(何とか、ここを遁れる工夫はないものか)
 と猶(なほ)、未練をもつて、両手の痛みをこらへてゐると、李朱氾の靴は、気早に劉備の腰を蹴とばして、
「啞(おし)か、つんぼか、汝(おの)れは」
 と、罵つた。
 そして、蹌(よろ)めく劉備の襟がみを、摑みもどして、
「あれに、血に飢ゑている五十の部下が此方(こつち)を見て、餌(え)を欲しがつてゐるのが、眼に見えないか。返辞をしろ」
 と、威猛高(ゐたけだか)に云つた。
 劉備は二人の土足の前へ、さうしてひれ伏した儘、まだ、母の歓びを売つて、この場を助かる気持になれないでゐたが、ふと、眼を上げると、寺門の陰に佇んで、此方(こなた)を覗いてゐた最前の老僧が
(物など惜(をし)むことはない。求める物は、何でも与へてしまへ、与へてしまへ)
 と、手真似を以(もつ)て、頻(しき)りと彼の善処を促してゐた。
 劉備もすぐ
(さうだ。この身体を傷つけたら、母にも大不孝となる)
 と思つて、心をきめたが、それでもまだ懐中の茶壺は出さなかつた。腰に佩(は)いてゐる剣の帯革を解いて、
「これこそは、父の遺物(かたみ)ですから、自分の生命(いのち)の次の物ですが、これを献上します。ですから、茶だけは見のがして下さい」
 と哀願した。
 すると、馬元義は
「おう、その剣は、俺がさつきから眼をつけてゐたのだ。貰つておいてやる」
 と奪上(とりあ)げて、
「茶の事は、俺は知らん」
 と、空嘯(そらうそぶ)いた。
 李朱氾は、前にも増して怒り出して、一方へ剣を渡して、俺になぜ茶壺を渡さないかと責めた。
 劉備は、やむなく、肌深く持っていた錫の小壺(セウコ)まで出してしまつた。李は、宝珠を得たやうに、両掌(りやうて)を捧げて、
「これだ、これだ。洛陽の銘葉に違ひない。さだめし良師がお歓びになるだらう」
 と、云つた。
 賊の小隊はすぐ先へ出発する豫定らしかつたが、ひとりの物見が来て、ここから十里ほどの先の河べりに、県の吏軍(リグン)が約五百ほど野陣を張り、われ/\を捜索してゐるらしいといふ報告を齎(もたら)した。で、遽(にはか)に、
「では、今夜はこゝへ泊れ」
 となつて、約五十の黄巾賊は、そのまゝ寺を宿舎にして、携帯の糧嚢(りやうなう)を解きはじめた。
 夕方の炊事の混雑を窺(うかが)つて、劉備は今こそ逃げるによい機(しお)と、薄暮の門を、そつと外へ踏み出しかけた。
「おい。何処へ行く」
 賊哨兵は、見つけると忽(たちま)ち、大勢して彼を包囲し、奥にゐる馬元義と李朱氾へすぐ知らせた。
[14]【桃園の巻】昭和14年(1939)9月10日(日)付夕刊掲載

(三)

 劉備は縛(いまし)められて、斎堂の丸柱にくゝり付けられた。
 そこは床に瓦を敷き詰め、太い丸柱と、小さい窓しかない石室(いしむろ)だつた。
「やい劉。貴様は、おれの眼を掠(かす)めて、逃げようとしたさうだな。察する所、てめえは官の密偵だらう。いゝや違えねえ。きつと県軍のまはし者だ。——今夜、十里程先まで、県軍が来て野陣を張つてゐるさうだから、それへ聯絡を取る為に、脱(ぬ)け出さうとしたのだらう」
 馬元義と李朱氾は、変る/゛\に来て、彼を拷問した。
「——道理で、貴様の面がまへは、凡者(ただもの)でないはずだ。県軍のまはし者でなければ、洛陽の直属の隠密か。いづれにしても、官人だらう汝(てめえ)は。——さ、泥を吐け。云はねば、痛ひ思ひをするだけだぞ」
 仕舞(しまひ)には、馬と李と、二人がゝりで、劉を蹴つて罵つた。
 劉は一口も物を云はなかつた。かうなつたからには、天命にまかせようと観念してゐるふうだつた。
「こりゃひと筋縄では口をあかんぞ」
 李は、持て餘し気味に、馬へ向つてかう提議した。
「いづれ明日の早暁、俺はこゝを出発して、張角良師の総帥府へ参り、例の茶壺を献上かた/゛\良師の御機嫌伺ひに出るつもりだが、その折、此奴(こいつ)も引つ立てゝ行つて、大方軍本部の軍法会議にさし廻してみたら何(ど)うだらう。思ひがけない拾ひ物になるかもしれぬぜ」
 よからうと、馬も同意だ。
 斎堂の扉(と)は、固く閉められてしまつた。夜が更けると、たゞ一つの高い窓から、今夜も銀河の秋天が冴えて見える。けれど到底、そこから遁(のが)れ出る工夫はない。
 何処かで、馬の嘶きがする。官の県軍が攻めて来たのならよいが——と劉備は、望みをつないだが、それは物見から帰つて来た二、三の賊兵らしく、後は寂(セキ)として、物音もなかつた。
「母へ孝養を努めようとして、かへつて大不孝の子となつてしまつた。死ぬる身は惜(をし)くもないが、老母の餘生を悲しませ、不孝の屍を野に曝すのは悲しい事だ」
 劉備は、星を仰いで嘆いた。そして、孝行するにも、身に不相応な望みを持つたのが悪かつたと悔いた。
 賊府へ曳(ひ)かれて、人中で生恥曝して殺されるよりは、いつそ、ここで、一思ひに死なん乎(か)——と考へた。
 死ぬにも、身に剣はなかつた。柱に頭を打ちつけて憤死する乎。舌を嚙んで星夜を睨(ね)めつけながら呪死せん乎。
 劉備は、悶々と、迷つた。
 ——すると彼の眸の前に一筋の縄が下がつて来た。それは神の意志によつて降(さ)がつて来るやうに高い切窓の口から石の壁に伝はつてスルスルと垂れて来たのである。
「……あ?」
 人影も何も見えない、たゞ四角な星空があるだけだつた。
 劉備は、身を起しかけた。然(しか)しすぐ無益である事を知つた。身は縛(いまし)めにかゝつてゐる、この縄目の解けない以上、救ひ手がそこまで来てゐても、縋り付く術はない。
「……ああ、誰だらう?」
 誰か、窓の下へ、救ひに来てゐる。外で自分を待つて居てくれる者がある。劉備は、猶更もがいた。
 と、——彼の行動が遅いので、早くしろと促すやうに、外の者は焦(じ)れてゐるのであろう。高窓から垂れてゐる縄が左右に動いた。そして縄の端に結(ゆ)ひつけてあつた短剣が、白い魚のように、コト/\と瓦の床を打つて躍つた。
[15]【桃園の巻】昭和14年(1939)9月12日(火)付夕刊掲載

(四)

  足の先で、短剣を寄せた。そして漸(やうや)く、それを手にして、自身の縄目を断ち切ると、劉備は、窓の下に立つた。
(早く。早く)
 と云はんばかりに、無言の縄は外から意志を伝へて、揺れうごいてゐる。
 劉備は、それに摑まつた。石壁に足をかけて、窓から外を見た。
「……オヽ」
 外に佇んでゐたのは、昼間、たゞ独りで曲彔(キヨクロク)に腰かけてゐたあの老僧だ。骨と皮ばかりのやうな彼の細い影であつた。
「——今だよ」
 その細い手が麾(さしまね)く。
 劉備はすぐ地上へ跳び降りた。待つてゐた老僧は、彼の身を抱へるやうにして、物も云はず馳け出した。
 寺の裏に、疎林があつた。樹(こ)の間の細道さへ、銀河の秋は仄(ほの)明(あか)るい。
「老僧、老僧。いつたい何(ど)つちへ逃げるんですか」
「まだ、逃げるのぢやない」
「では、何(ど)うするんです」
「あの塔まで行つてもらふのぢやよ」
 走りながら、老僧は指さした。
 見ると成程、疎林の奥に、疎林の梢(こづゑ)よりも、高く聳えてゐる古い塔がある。老僧は、慌たゞしく古塔の扉(と)をひらいて中へ隠れた。そしてあんなに急(せ)いたのに、なか/\出て来なかつた。
「どうしたのだらう?」
 劉備は気を揉んでゐた。そして賊兵が追つて来はしまいかと、彼方此方見まはしてゐると、軈(やが)て
「青年、青年」
 小声で呼びながら、塔の中から老僧は何か曳(ひ)きながら出て来た。「おや?」
 劉備は眼をみはつた。老僧が引つ張つてゐるのは駒の手綱だつた。銀毛のやうな美しい白馬が曳(ひ)かれ出したのである。
 いや、いや、白馬の毛並の見事さや、背の鞍の華麗などはまだ云ふも愚(おろか)であつた。その駒に続いて、後ろから歩みも嫋(なよや)かに、世間の風にも怖れるものゝやうに、楚々と姿を現した美人がある。眉の麗しさ、耳の白さ、又、眼に含む愁ひの悩ましいばかりなど、思ひがけぬ場合ではあり、星夜の光に見るせゐか、この世の人とも思へぬのであつた。
「青年。わしがお前を助けて上げた事を、恩としてくれるなら、逃げるついでに、この阿嬢(おぢやう)さまを連れて、こゝから十里ほど北へ向つた所の河べりに陣してゐる県軍の隊まで、届けて上げてくれぬか。わづか十里ぢや、この白馬に鞭打てば——」
 老僧のことばに、劉備は、否やもなく、はいと答へるべきであるが、その任務よりも、届ける人の餘りに美し過ぎるので、何となく躊躇(ためら)はれた。
 老僧は、彼のためらひを、どう解釈したか。
「さうだ、氏素性も知れない婦人をと、疑ぐつてをるのぢやらうが、心配するな。このお方は、つい先頃まで、この地方の県城を預かつてをられた領主の阿嬢(おぢやう)さまぢや。黄巾賊の乱入に遭つて、県城は焼かれ、御領主は殺され、家来は四散し、こゝらの寺院さへ、あの通りに成り果てたが、その乱軍の中から迷うてござつた阿嬢さまを、実はわしが、こゝの塔へそつと匿(かくま)うて——」
 と、老僧の眼がふと、古塔の頂(いただ)きを見上げた時、疎林を渡る秋風の外(ほか)に、遽(にはか)に、人の跫音や馬の嘶(いなな)きが聞え出した。
[16]【桃園の巻】昭和14年(1939)9月13日(水)付夕刊掲載

(五)

  劉備が、眼をくばると、
「いや、動かぬがよい。暫くは、かへつてこゝに、凝(じつ)としてゐたはうが……」
 と、老僧が彼の袖を捉へ、そんな危急の中に猶、語りつゞけた。
 県の城長の娘は、名を芙蓉といい姓は鴻といふ事。又、今夜近くの河畔に来て宿陣してゐる県軍は、きつと先に四散した城長の家臣が、残兵を集めて、黄巾賊へ報復を計つてゐるに違いないといふ事。
 だから、芙蓉の身を、そこまで届けてくれさへすれば、後は以前の家来達が守護してくれる——白馬の背へ二人して騎(の)つて、抜け道から一気に逃げのびて行くやうに——と、禱(いの)るやうに云ふのだつた。
「承知しました」
 劉備は、勇気を示して答へた。
「けれど和上、あなたは何(ど)うしますか」
「わしかの」
「さうです。私たちを逃がしたと賊に知られたら、和上の身は、たゞでは済まないでせう」
「案じる事はない。生きてゐたとて、この先幾年生きてゐられよう。ましてこの十数日は、草の根や蟲など食うて、露命をつないでゐた儚(はかな)い身ぢや。それも鴻家の阿嬢(おむすめ)を助けて上げたい一心だけで生きてゐたが——今は、その事も、頼む者に頼み果てたし、貴郎(あなた)といふ者をこの世に見出したので、思ひ残りは少しもない」
 老僧はさう云ひ終ると、風の如く、塔の中へ影をかくした。
 あれよと、芙蓉は、老僧を慕つて追い縋つたが、途端に、塔の口元の扉は内から閉ぢられてゐた。
「和上さま。和上さま!」
 芙蓉は慈父を失つたやうに、扉をたゝいて泣いてゐたが、その時、高い塔の頂(いただ)きで、再び老僧の声がした。
「青年。わしの指を御覧。わしの指さすほうを御覧。——こゝの疎林から西北だよ。北斗星が燦(かがや)いてをる。それを的(あて)にどこまでも逃げてゆくがよい。南も東も蓮池の畔も、寺の近くにも、賊兵の影が道を塞いでゐる。逃げる道は、西北しかない。それも今のうちぢや。はやく白馬に鞭打たんか」
「はいつ」
 答へながら仰ぐと、老僧の影は、塔上の石欄に立つて、一方を指さしてゐるのだつた。
「佳人。はやくお騎(の)りなさい。泣いてゐるところではない」
 劉備は、彼女の細腰(サイエウ)を抱き上げて、白馬の鞍にすがらせた。
 芙蓉の体はいと軽かつた。柔軟で高貴な薫りがあつた。そして彼女の手は、劉備の肩に纏(まと)ひ、劉の頰は、彼女の黒髪に触れた。
 劉備も木石ではない。曽(かつ)て知らない動悸(ときめき)に、血が熱くなつた。けれどそれは、地上から鞍の上まで、彼女の身を移すわづかな間でしかなかつた。
「御免」
 と云ひながら、劉備も騎(の)つて一つ鞍へ跨がつた。そして片手に彼女を支(ささ)へ、片手に白馬の手綱を把(と)つて、老僧の指さした方角へ馬首を向けた。
 塔上の老僧は、それを見下すと、我事(わがこと)了(をわ)れり——と思つたか、突然、歓喜の声をあげて、
「見よ、見よ。凶雲没して、明星出づ。白馬翔(か)けて、黄塵滅す。——こゝ数年を出でないうちぢやらう。青年よ、はや行け。おさらば」
 云ひ終ると、自ら舌を嚙んで、塔上の石欄から百尺下の大地へ、身を躍らして、五体の骨を自分で砕ひてしまつた。
[17]【桃園の巻】昭和14年(1939)9月14日(木)付夕刊掲載

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竹内真彦
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