論文紹介 2014年のウクライナの人々のツイート内容から見えてくる世論の動向
2014年はウクライナの歴史において激動の一年でした。2014年2月22日にウクライナ最高議会はヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領の解任決議案を可決し、翌23日にオレクサンドル・トゥルチノフが大統領代行に選出し、新大統領が決まるまでの体制を整えました。
ウクライナ国民の間では、ヤヌコヴィッチ政権が推進した対ロシア関係の強化と欧州連合(EU)との連携の見直しの是非をめぐって以前から意見が分かれていました。そのため、このような経緯で成立した新体制を支持すべきか否かをめぐって政治的論争が繰り広げられていました。ただ、2014年の政治状況がそれまでと大きく異なっていたのは、この体制変動が契機となって、ウクライナの領土と主権が危険に晒されたことが挙げられます。
2月26日、ロシアはウクライナのクリミア半島に対して武力の行使に踏み切り、軍事的占領を開始しました。トゥルチノフは武力でクリミア半島を取り戻そうとしましたが、2月28日に開催され、トゥルチノフが議長を務めた国家安全保障防衛会議では慎重な意見が相次いで出されました。
当時、ウクライナの国内は極度の混乱状態にあり、ウクライナ軍として作戦に投入できる兵力はほんのわずかでした。このため、奪回作戦を実行しても、軍事的に成功の見通しが立たず、むしろロシアが軍事行動をエスカレートさせる口実を与えるリスクが認識されました。最終的にクリミア半島の奪回は政治的判断で断念されています(詳細は論文紹介 なぜ2014年にウクライナはクリミアを奪回しなかったのか?を参照)。
しかし、クリミア半島の奪回を断念したからといって、ウクライナの領土に対する脅威がなくなったわけではありませんでした。3月に入るとウクライナ東部のドンバス地方に位置するルハンスク州とドネツィク州で蜂起が起こり、市役所や警察署などが占拠されました。これ以降、ウクライナ東部を実効支配するに至った武装勢力を分離主義勢力(the secessionist rebels)という用語で呼びます。
ウクライナ軍は分離主義勢力を鎮圧するため、2014年から2015年にかけてドンバスの各地で交戦しました。公式見解としては否定されていますが、この交戦の最中にロシアがウクライナの分離主義勢力を国外から軍事的に支援し、2014年8月のイロヴァイスクの戦い(Battles of Ilovaisk)と2015年1月のデバルツェボの戦い(Battle of Debaltseve)でウクライナ軍は敗退することになりました。
このような歴史的過程の中で見落とされがちなのは、当時のウクライナの人々、特にロシア語話者のグループに属していた人々の世論です。Jesse Driscoll氏と Zachary C Steinert-Threlkeld氏は、この人々に着目することにしました。
2014年のウクライナの政治史を踏まえ、2014年2月22日から2014年8月28日までの188日間に注目し、Twitterからウクライナ国内(クリミア半島を含む)に位置していたという情報を持つロシア語のツイート6,880,623件を取得しました。著者らは、これらのツイート内容の時期的な変化を分析するため、3月15日のクリミアにおける住民投票までの期間、5月26日のポロシェンコ大統領の当選までの期間、そして、イロヴァイスクの戦いにおける敗北までの期間に区分しました。
この研究では、利用者がツイートで使用している語彙のパターンによって親ロシア派か、反ロシア派かを識別しています。例えば、「テロリスト(tеррорист)」、「テロリズム(терроризм)」のようなキーワードを使用している利用者は反ロシア派として識別し、「急進派(радикалы)」、「急進右翼(праворадикальные)」、「正しいテロリズム(правый терроризм)」、「ネオナチ(неонацистский)」などの語彙を使用している利用者は親ロシア派として識別されています。
著者らは、親ロシア派に特徴的な語彙をより多く登録することで、親ロシア派という属性をかなり広く捉えましたが、それでもキーワード・フィルターを適用すると、当時のウクライナで投稿されたツイートの85%が反ロシア派として判定されました。分析対象とした期間で、親ロシア派のツイートが集中的に投稿されているのは、2014年4月から5月にかけてでしたが、この時期はまだロシアが分離主義勢力を支援するかどうかが不明でした。このトレンドはロシア軍の介入によって変化しています。
注目すべきは、7月17日にウクライナの上空を飛行していたマレーシア航空17便が撃墜される事件が発生してからの動向であり、反ロシア派のツイートが次第に増加して優勢になっています。当時、親ロシア派のツイートでは、ウクライナがこの事件を引き起こしたと主張していましたが、反ロシア派はロシアの支援を受けた分離主義者が地対空ミサイルによって引き起こした事件だと主張し、またドンバスで進行中の武力紛争に関する個人的な観察(国境を越えた武器や装備の輸送、捕虜の交換、ルハンスク州における戦況、分離主義勢力の活動場所など)をツイートしました。
この時期の反ロシア派のツイートは全体の41%を占めており、親ロシア派のツイートの20%を2倍ほど上回っていました。これまでのロシアの情報戦に関する研究では、親ロシア派のツイートを自動的に生成するボット・アカウントが大量に運用されているという見方もあったのですが、著者らが手作業で調べたところ、そのようなアカウントは極めて少数であったことが確認されています。
さらに著者らは親ロシア派のキーワードを含むツイートを産出する地域と、反ロシア派のキーワードを含むツイートを産出する地域の違いを分析していますが、その結果はウクライナの政治分析で繰り返し指摘されてきた東西の分断を再確認するような結果となっています。ウクライナで特に多くの親ロシア派のツイートが産出されていたのはクリミア、特にその主要都市であるセバストポリであり、その次にオデーサ、ザポリージャが挙げられていました。反ロシア派のツイートが特に多く産出されていたのは西部地域であり、これらの地域は歴史的にオーストリア=ハンガリー帝国との結びつきが深いという特性があります。
ただ、オデーサがあるミコライウ州でも特に反ロシア派のツイートが多く、さらに分離主義勢力との戦いの最前線に位置するドンバス、特にルハンスク州で集中して反ロシア派のツイートが投稿されていたことが確認されています。ルハンスク州で反ロシア派のツイートの投稿が増加するのは、ウクライナ軍と分離主義勢力との戦闘が本格化し、各地からTwitterのアカウントを保有するジャーナリストが集まってからのことである点に注意が必要です。
東部に親ロシア派の住民が多い傾向があることは、これまでにも指摘されてきたので、著者らの研究はソーシャル・メディアの新しいデータを使って、既存の地図を再発見したものにすぎないという見方もあるかもしれません。しかし、著者らは今回のデータ分析の結果として得られた地図が、過去の地図と大きく異なっていると述べ、ウクライナの国内における東西の分断が必ずしも親ロシア派の住民の分布と一致するわけではないことを指摘しています。
少なくとも、クリミア半島を除くウクライナのすべての地域で反ロシア派のツイートが優勢になり、親ロシア派のツイートが劣勢になっていたことから、ロシア軍が2014年にクリミア半島より先に進軍しようとした場合、軍事占領に多大な負担が発生した恐れがあると著者らは指摘しています。この見解は、2022年のロシアによるウクライナ侵略が各地域で撃退された理由の一部を説明しているかもしれません。ソーシャル・メディアで利用者が生成したコンテンツを使って政治意識を調べるアプローチは、方法論的な限界があるため、この研究の結果だけに依拠してウクライナ国民の世論動向を評価することは適切ではないと思いますが、軍事情勢に応じて国民の政治意識が変化する過程を追跡することができる利点があります。