論文紹介 指揮統制システムが第三次中東戦争でのイスラエル軍の優位を支えた
1967年に勃発した第三次中東戦争はイスラエルが数的に劣勢であるにもかかわらず、作戦、戦術の運用で優位に立てることを示した出来事でした。この事例はさまざまな研究で分析の対象になりましたが、Horowitz(1970)は、行政学の立場で軍隊の指揮統制が軍事力の有効性を高めることを論じています。
イスラエル軍は1948年の第一次中東戦争以来、アラブ諸国の戦力に対して絶えず戦力規模の面で劣勢に立たされていることを課題として認識してきました。この不利に対応するためイスラエル軍は装備の調達や戦術の開発に取り組んできましたが、その過程で指揮統制システムの効率化にも取り組んできました。一般に指揮統制システムとは、指揮官が指揮下部隊に対して指揮統制を行うために必要な装備や手順を組み合わせたシステムのことをいいますが、著者はこれには複数の類型があると述べています。
著者はこうした部下の行動を縛るタイプの指揮統制のパターンとは異なる三つ目の類型として即時対応のパターンを挙げています。これがイスラエル軍の指揮統制システムの基礎となっています。
1960年にイスラエル軍の参謀総長ハイム・ラスコフは1956年に経験した第二次中東戦争でエジプト軍と交戦したことを振り返り、ひとたび戦闘部隊が敵と接触すれば、迅速な行動のために編成の変更が可能な組織であるべきだと述べており、「このような場合には、固定された組織のパターンに従うのではなく、柔軟な変更が可能なパターンをあらかじめ用意しておくことが望ましい」と述べました(Ibid.: 196)。同年にラスコフとよく似た見解を元参謀総長のモーシェ・ダヤンも述べています。
このような即時対応の指揮統制に基づく部隊行動の速さで優位に立つことを追求してきたことにより、イスラエルは第三次中東戦争で質的優位を獲得することが可能になったと著者は評価しています。著者はリデル・ハートの評論も引用し、当時のイスラエル軍の戦略が迅速に決定的勝利を収める上で機動的に戦力を運用したことを示しています。ちなみに、著者はイスラエルの軍事的成功に関するリデル・ハートの見解に批判を加えており、この勝利は彼が主張するような間接アプローチに基づく機動的な運用の効果だけではなかったと主張しています。むしろ、イスラエルが主動的な地位を維持できたのは、即時対応の指揮統制で各部隊の意思決定が迅速だったことが重要だとしています(Ibid.: 201)。
第三次中東戦争が始まった6月5日にイスラエル・タルの機甲師団はシナイ半島でエジプトの防御線を突破することに成功しましたが、24時間で到達するはずの目標に10時間で到達しました。これは計画外の速さであり、指揮下部隊は事前に立案した作戦計画の通りに行動することを中断し、それぞれが即時対応で部隊を運用しました(Ibid.: 202)。著者は「このような戦場における突発的な状況への対応のパターンは、第三次中東戦争を通じて何度も繰り返された」と述べています(Ibid.: 203)。
イスラエルの事例分析で軍隊の指揮統制のメカニズムが部隊の戦闘効率に与える影響を論じる研究は次第に増加しましたが、後にクレフェルトも古典的業績である『戦争における指揮(Command in War)』(1987)でこの論文を参照しています。ただ、行政学ではなく軍事学の立場で、即時対応というメカニズムはイスラエルの独創だったわけではないことも指摘しておかなければなりません。
このような指揮統制の原型となったのは19世紀のプロイセンで参謀総長を務めたヘルムート・フォン・モルトケが確立した訓令戦術であり、これによって上級部隊の意図や構想に基づき、各部隊の指揮官が柔軟かつ迅速に即時対応できるようになりました。著者は作戦術や戦術の発達の歴史に言及しておらず、また即時対応の成功には長期にわたる専門的な教育投資が必要であることも十分に考慮していないと思います。そのため、その分析の深さに一定の限界があることは事実ですが、クレフェルトの業績が出る前から指揮統制システムが戦場における組織行動の効率を左右することに対して研究者の注意を向けさせたことは有意義だったと思います。