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世界一どうでもいい前髪



明けても暮れてもWEB会議である。

WEB会議が嫌なのではない。明けても暮れてもから文章を始めたいなぁと思っていたところに、ちょうどよくWEB会議がやってきた。

ビデオ会議が主流になり、自身の顔を見ながら会議をすることが激増したのだが重大な事実が発覚した。わたし、あんまり上手に笑えていなかったのだ。自分で想像していたよりずっと。

世にいう満面の笑みのお手本をご存知だろうか。
"満面の笑み" とGoogle画像検索していただくと、茨城県の永源寺にある石像が出てくる。あれこそ満面の笑みだ。当初の想定でいくと、会議中のわたしは常時あの石像みたいに笑っているはずだったのだが、実際モニターで見るとほぼ麗子立像なのでびっくり仰天である。

わたしの表情筋は長らくサボっていたことになるので今までの借りを返してもらうべく働かせた。そして自身の思う笑顔に仕上がってはや一年が経とうとしている。
すると今度は別のところが気になり始めたのだ。前髪である。

ついこの間、上司とのZoom会議で自分の前髪が気になった。いつになく真剣な表情のわたしに "元気ないの?" と上司が尋ねてくれるので、どうも今日は前髪が気に入らないと報告を入れたのだ。
上司はというと、それを聞くか聞かぬか光の速度で『世界一どうでもいいわ』と言い放ち淡々と会議を始めた。
ちなみにこれは我々の戯れのようなものなので、わたしの上司は笑いのわかる人間であるということだけを覚えていてほしい。


自分は気になることが他人からするとどうでもいいということは多々ある。わたしが気にしている前髪は彼にとれば世界一どうでもいいのだ。
逆を返せば、わたしがどうでもいいと思っていることは誰かにとっての一大事なのかもしれない。

中でもひとの目が気になるというのは尊い感性だとわたしは思う。
たまにひとの目なんか気にしてちゃだめだ的なことを言われたりするがそんなの "あいつは危ない男だからやめとけ" と同じく、もはやフリである。
気になるんだから気になるでよいし、もちろん気にならなければ気にならないでよい。

自分の人生において他人の存在を認めているからその目が気になるのだし、生きていく上でその存在が大切な要素だからこそ気にしすぎてしまうのだ。それが他の人から見たとき小さければ小さいほど他者との関わりの中で細部までこだわっていることの表れなのだから、気にしいなんて才能だと思う。

とは言うものの、わたしは上司の目を気にして前髪にこだわっていたわけではないのでじゃあここまでの話は一体なんだったのかとお思いかもしれない。

ひとつ言えることは、わたしの気になる前髪は誰かにとってどうでもいいことなのだ。つまりどう足掻いても自分の目では気にしきれないくらいには、世界って広いのだと思う。
ひとつひとつのピクセルを丁寧に気遣って生きていくことも素晴らしいけれど、たまに遠目で見てみればまた違ったことが気になるかもしれない。そうして行ったり来たりすればよいのではないかしら。


前髪の調子もわたしの視点も日々変化している。
一筋縄ではいかないからこそ気になるのだし、きっとそれでいいのだ。




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