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都会に出た人が戻らない田舎。ヒルビリーエレジーを語り出すと止まらない
最寄の駅から実家まで、母に車で迎えにきてもらい(歩くと30分かかる。バスは1時間に2本で最終が20時台)、むかし「市街地」と呼ばれていたさびれた場所を抜けつつ帰途につく。コロナ以前から「疫病の後ですか?」って聞きたくなるくらい歩く人を見かけない。うっかり一度ヒールで歩いたら、片道で踵がボロボロになって泣いた。歩道が整備される頻度も都会とは違うらしく、日が暮れてから自転車で走ると見えない段差と雑草で転びそうになる(街灯はほぼない)。
ここはもう、私たちが生きているうちにはどうしようもないねと母と話す。都会に出ちゃったら戻りたくないものと正直に言う。
この県ってね、一戸あたりの敷地面積が広いのよ。土地も平らで野菜もとれるし家も広いし、雪かきが大変とかもないし、ずっとここで一緒に住めばいいじゃないって、親は思っちゃう(母からもその圧力は感じる)。下手に教育を受けさせると東京に行っちゃうから、子どもに知恵をつけたくない親も多いのよねー。と、母。
事実だと思った。魅力度ランキングが低いのは偶然じゃない。たぶん。中途半端に豊かであるが故の怠惰なのだ。(ごめんね地元)
そんな中でも、地元の外で教育を受けさせてくれた親には感謝。でも、教育熱心というほどでもなかった。「○○大(旧帝大レベル?とも言われる、そこそこ難関の地元国立大)に行ってくれたら嬉しいけど、国立は難しいかしらね」程度。…偏差値や一般社会的評価の前に、地理がくる。
一流の教授陣が揃い、各界に有力なOBのいる、いわゆる一流大学に。なんて言われたこともない。わたしもそんなにこだわりがなかった。実家からは通えない、東京のできるだけ実家から遠い方向でさえあればよかった。
いま、社会に出て思う。もっと真剣に、もっとできる限り名の高い大学を狙うべきだったと。学歴は紛れもなく資産だ。
大学どころか専門学校だけでもいいと思った時代さえあった。おしゃれな横文字の専門職に憧れて(スタイリストとかね)その専門学校が近道かと。「今道を決めるな潰しは効かせておけ」と高校教師から強く勧められて、大学に行けた。ありがとう先生。社会に出てわかったことは、おしゃれ横文字職業人も、売れっ子さんは高学歴っていう事実。
田舎にいては、学歴のありがたさはわからない。「〇〇大学って言えたら、かっこいいな」程度。受けられる講義の質が違うとか、築ける人脈が違うとか、それが社会人になってどれほど人生を左右するかとか、全く想像もつかない。だって、身近に4年制大学を出た大人さえ、数えるほどしかいないのだもの。
ヒルビリーの話は、もう1回くらい書きたいと思います…