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死にたいと思う人の気持ちを想像してみた

今年は特別な年で、辛い思いをする人も多かったことだろう。

*久しぶりの投稿なのに、どんよりした話題です。暗い気持ちになりたくない人は、読まないでください(読者もついてないけど)*

素敵な(本当に素敵な人だった。数多お会いした女優さんの中でも、とびきりだと思った)女優さんまで旅立って、そういう(自らそちら側を選ぶ)気持ちを想像せずにいられなかった。

個人的にも、辛い年だったから、想像してみた。

思考のプロセス自体は、多分単純。

痛くないかな?苦しくないかな? → もっとも楽そうにみえる方法を調べる。 
失敗するとかえって大変なんだな → 失敗しない方法を考える。
場所、選ばないとね。成し遂げるまで見つからなくて、失敗しなくて、残された人に(賠償などの)ダメージが低くてすむ場所 → ひたすら、探し続ける
どんな葬式に? → まだ、遺影にしたいような写真がないと思う

ここまでで第一段階。

タイミングはいつ? → あの仕事が片付くまではやめようか?とか考える
残された人はどんな気持ちに? → ここで一旦想像を絶つ。

第二段階まで進めたら、遺書を書ける。でも、多くの人は、残された仕事と人の気持ちを具体的に考え始めて躊躇するのではなかろうか。

それでも、辛い日々の中で、それはずーっと頭の中を占めている。いつか、いつかするかもしれないと思っている。

そしてある日、ふと、酔った瞬間に、なーんにも考えずに超えてみようかな…とか思う。そんな感じだったんじゃないかな。

境界線は常に側にあって、でも、深く大きなものだったはずなのに、ある日突然時空の歪みが起こったかのように軽く超えられるものになる。その機会を逃しちゃいけないと思う。段階一まで想定してた人なら、準備ができているから、すぐ行ける。

後悔するかもしれないし、残された人をみて痛いかもしれない。でも、それを感じる自分はもう消えている


予防するとしたら、自分が残された側になる想像も、まめなしておくとことだろう。




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