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これは一体誰の人生なの?

ずっと怒ってる

そりゃそうだろう
自分のために動いているつもり
やってあげているつもり
それなのになんで幸せになれないの?

誰かに言われたからする
誰かのせいで私は不幸せ
霊的な物のせいで私は不幸だ

そうやってずっと誰かのせいにしてきたんだから

飽きるほど
あなたの体はあなたに対して愛を与え
サインを送ってきた

それを自分を責める道具にすることも許し
どんな状況でもあなたという構成要素であることをやめなかった

これを読んでいる人ならもれなく
肉体はあなたの方向を向いているだろう

その、十分に暖かく冷静な肉体達に囲まれて
愛を受け取らない選択肢があるだろうか

もちろん
あなたがその愛を受け取りたくない理由があることも知っている

しかし、敢えて言おう

あなたはすでに許されている

どんな姿であってもゆるされているし

どんなあなたでも認めている

どんなあなたでも愛されているのだ

気持ちがわるかったり
体が痛かったり
痒いこともあるだろう

死んだ方がマシ
そう思う日だってある

エゴと
ハートと
魂と

そのすべてが調和することだってできるのだ

あなたは今それを選んでいないだけ

それが選べないのは

誰かのせいにしていたいから

誰かの、何かのせいにしていたら楽だったこともあるだろう
だけれど
そんなことやって楽しいの?
楽を超えるには楽しさが必要だといわれている。

もしくはミッションが明確であるか。そのどちらかで楽を超えられる。

うん、そんなこと言われたって。
と、拗ねたなら、もうここで画面を閉じよう。

一生誰かのせいにして引きこもってたらいい。

それが嫌だと思うなら

「私があなたを幸せにしてもいいかな?」
「私があなたを幸せにするね」
「私が決めた道を一緒に歩んでほしいな」

等、自分のしっくりくる言葉でまずは肉体を通して
肉体という全受容のツールを使って
あなたの魂に話しかけて見て欲しい

あいされることが重荷になって、ほしい愛じゃないと叫んで怒っているならば
愛してみたらいい


ほしい愛がわからないなら
自分に聞いてみたらいんだ

その上で
それは誰のものか丁寧に見ていけばいい

誰かに頼るのと
誰かのせいにするのとは
似て非なるもの

汝を愛せよ
汝の隣人を愛せよ

全ては自分
全てある


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