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【自己】『何をしても熱くなれない期』について

 今回は私の生活の中で昔から時折訪れる『何をしても熱くなれない期』についてまとめていこうと思います。

【大前提】そもそも『何をしても熱くなれない期』とは

①基本、何かに熱中していることが多い習性

 まずは、私の基本的な習性について書かせていただきます。
 私は自分でも趣味は多い方……、少なくはないほうだと自覚しています。これは、自分で思っているだけではなく言われることもあるため、事実として少なくはないのだと思います。
 平日が仕事であるため休日に入る金曜日の夜は、休日に何をするかをメモしていますし、休日は金曜の職場の建物を出た瞬間から始まっていると考えています。
 趣味が多いから何をするかメモをしているというよりは、「この土日はこれをやりたい‼︎」という、やりたいという気持ちが先行し、それを忘れないためにメモをしている印象です。
 このメモはそのままTodoリストになるため、予定通りできた時の達成感も感じられ、一石二鳥です。
 基本的にはこの「やりたい‼︎」という衝動が尽きることはなく、調子がいい時には休日と言わず、平日も職場を出た瞬間に「今日は寝る前にこれだけはやろう‼︎」と考えることもあるほどです。

②「やりたい‼︎」という衝動の枯渇&やっても楽しめない時期

 ①にて「やりたい‼︎」という衝動が尽きることはないと書きましたが、これはあくまでも基本的にはという話で、やはり枯渇する時があります。
 枯渇までいかずとも「やりたい‼︎」と思っていたことをやっても熱を持って楽しめていないと感じる時もあります。
 この時期を私は『何もしても熱くなれない期』と呼称しております。
 勿論、どんなに好きなことでも継続していく中で楽しめない時や上手くいかない時はあります。
 ですが、そういう時はその趣味を楽しむ能力が備わっていない、1つの壁の前にいて乗り越えるために上手くいっていない、と自覚が出来ており、より楽しむためにはどのようにしたら良いかを考えていくため、『熱くなれない』とは明確に違いがあります。
 アラフォーまで生きると、継続することでより楽しくなるだろうという予測がたつようになり、継続する中で楽しくない時期がくるのは当然なことだと思えるようになるので、歳をとるというのはいいことだと感じています。

【症状】気軽に始められる新しいことを求める

 どのような時期かについて書かせていただきましたが、この『何をしても熱くなれない期』には、ある症状が発症します。
 それは、『何か新しいことを始めようとする』ということ。
 長年、『何をしても熱くなれない期』は全ての趣味に対して『飽き』のようなものを感じている時期なのだという理解をしていました。
 そうでなければ、例えば『プラモデル熱』が下がってくると『ゲーム熱』が上がってくる等、他の趣味に興味がいくことが多かったためです。
 『飽き』に対して自然と『新しい何か』を求めることが『何か新しいことを始めようとする』という行動に繋がっているのだと考えていました。
 『何か新しいこと』といっても、全く興味がない新しい趣味ではなく、『新しいアプリゲームを始めてみる』とか気軽にできることに手を出し始めます。
 『何か新しいことを始める』のはいいことでないかとも思われるかもしれませんが、その新しいことで、これまで感じていたような『熱』を感じられることはありませんし、その『新しいこと』がその後継続されることもないため、明らかな暇つぶしな時間となっており、自分としては無駄な時間のように思えてしまいます。
 このような時期が訪れてしまい、無駄な時間を過ごしてしまうことが、1つの悩みでした。

【原因及び解決策の検討】疲労と睡眠

 自分の中で『飽き』が原因なのではないかと考えていましたが、2,3年前の妻からの一言で原因についての考え方が一気に変わります。
 「ただ疲れてるんじゃないの?」という一言。この言葉には目から鱗が落ちる思いを感じるほど、腑に落ちるものがありました。
 『新しいこと』をしても、それは根本的な解決策にはならず、ただ行き過ぎる時間を無駄に過ごしているだけで積極的に解決していけている感覚を感じていなかったこと、そして、確かに疲れている時にはどんなにやりたいことでも楽しむ体力がないのだろうという単純な納得を感じたためです。
 原因がわかれば根本的な解決策はすぐに導き出てきます。『睡眠』をとることです。
 私はその後、そこまで興味が無い新しいアプリゲームを始めることは無くなり、意識して『睡眠』をとるようになっていきました。

【迷走】『睡眠』で解決しない

 『睡眠』については、平日も休日も基本的には11時台に寝て、6時台に起きるという生活をしており、日中眠くなることはないくらいには眠れていました。
 この通常の『睡眠』に加え、更に『睡眠』による『休息』をとることを意識し、休日に少し遅くまで寝てみたり、昼寝をしてみました。
 ですが、この『何をしても熱くならない期』は訪れるのです。
 というか、休日遅くまで寝ていると生活リズムが狂ってきているような感覚があり、あまり良くない感じがしますし、休日の昼寝は「せっかくの休日なのに、なんか勿体無い‼︎」と逆にストレスが溜まる気がします。
 感覚的に『疲労』が原因であることは遠い感覚はしないのですが、何か上手くいかない、解決されない。これは再検討が必要そうです。

【原因及び解決策の再検討】訪れるものと許し

 再検討が必要なことはわかってはいますが、自分自身ではみえてこないことばかりです。
 今回も1番近くで客観的に私をみてくれている妻の出番です。
 これまでの経緯等を話すと、妻から一言。
 「一定周期で、そういう時期がくるってだけじゃない?」
 この言葉にも目から鱗が落ちる思いを感じました。
 たぶん、直接的には『疲労』や『ストレス』も一因ではあるのでしょうが、そういう状態になりやすい時期が一定周期でくる身体と心のつくりなのではないかという話になりました。
 それならば、この『何をしても熱くなれない期』は『訪れるもの』だと受け入れるしかありません。
 何か意識的に対策をしようとすること自体がストレスになるものだと考え、【症状】の部分で書かせていただいた『気軽に始められる新しいことを求める』のは、無意識にこの時期にストレスを増大させずに過ごす処世術のようなものだったのではと、考えを改めました。
 この処世術のような『新しいことを求める』ことについて、以前は『継続』されないことを始めるのが、無駄のように思えストレスになっていました。
 きっと自分の中で『継続できること』を神格化し、『継続できないこと』に時間を費やしている自分をダメな自分だと思っていたのだと思います。
 ですが、この『何をやっても熱くなれない期』に『継続できないこと』でも気になったことをやってみることは、『継続できること』をやり続けることで知らず知らずのうちに溜まっていたストレスから避難しているような感覚になり、自然とストレス解消になっているのかもしれません。
 無駄だと思うようなことでも、気になったことに手を出してみる自分を許してあげる必要があるのだと感じ始めています。


 今回は長年悩んでいた『何をしても熱くなれない期』について、現時点での対応策が決まったのでまとめてみました。
 結果的には完全に一周回って元の場所に戻っただけです。
 でも、この一周回るような検討、経験があったからこそ、今は同じことでも自分に必要なことなのだと納得して過ごすことが出来ます。
 何事においても無駄なことはないのかもしれませんね。

 私の文章を読んでいただき、誠にありがとうございます。
 今後、また読んでいただける機会があれば、その時にまた。

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