2021年11月15日
【今日は何の日?】11月15日:生コンクリート記念日
1949(昭和24)年11月15日に、生コンクリートが初めて市場に出荷。それまでは、工事現場で直接セメントの材料を混ぜて作るのが主流でしたが、工場で混ぜた生コンクリートの状態で現場に運ぶことができるようになり、工事現場での作業の負担が大幅に軽減されました。この画期的な出荷技術の確立を記念して、全国生コンクリート工業組合連合会が記念日に制定しております。
さて、本日の一話は?
「ダム屋の絆」
ダム工事には、様々な業種の人が関わっている。
測量屋、設計屋、石屋、機械屋……もちろん、正式な業種名ではないのだが、それぞれの業種をして彼らは自分または仲間を「○○屋」と称する。これを総じて、水道屋、または〈ダム屋〉と自称する。
ダム工事は、人里離れた山間を丸ごとコンクリートの水瓶に変える工事だ。難所も多く、何年にも渡って続く大規模事業でもあり、事故も絶えない。
ダムを見学する機会があれば、注意してみるといい。大小の差はあっても、事故被災者慰霊碑のないダムは、日本には存在しない。工事が終わった後には、必ず慰霊碑が造られる。ダムは、そうした人柱の上に建っているものなのだ。
「だから俺たちダム屋ってのは、人一倍固い絆で結ばれてるんだ」
沼尻の親父はたたき上げのダム屋。本来は設計屋として机の上に座っている身分のはずだったが、徹底した現場主義が彼を現地測量の鬼にさせている。
そんな現場一徹親父が黒部ダムに行ったときのこと。
不可能と言われた日本の土木史上屈指の難工事のひとつである黒部第四ダムの建設は、ダム屋の悲願でありダム屋の誇りでもある、と親父は力説する。
長く続く暗い坑道には、ぽつぽつと照明が灯る。
掘削工事はとうの昔に終わって、今は設備作業員が働いている。
そのはずだが、泥やススに汚れた作業員もいる。
作業員は親父に気付いて親しげに手を振ってきた。
親父は無視した。
相棒の貫田はにこやかに手を振り返した。
「よさねえか、バカ」
親父はそう言って相棒をたしなめた。
「いいじゃねえか、手ぇ振るくらい」
「相手にすると寄ってくるだろ。あ、ほら」
見ると、同様の薄汚れた作業服の男たちの人数がにわかに増えた気がする。
腕のない男。
顔が潰れた男。
両膝下がない男。
煎餅のように平たい男。
正視に耐えない風体の作業員たちが、にこやかにこちらを見ている。
「見ろ、いわんこっちゃない……」
こういう場所だ。当然のことながら“出る”のである。
それ以上何をするというわけでもないが、相手にするとウザイので、無視して先を歩く。本社から派遣されてきたという大学を出たばかりの新人が、親父と貫田のやりとりを不思議そうに眺めて、言った。
「あのう、誰かいるんですか?」
ダム工事で死んだ同志たちは、ヒヨっ子の新人には見えない。
ベテランのダム屋は誰でも見る。必ず見る。
親父と貫田は声を揃えて言った。
「ダム屋の絆だ」
沼尻の親父は「あれが見えないうちは、まだまだ半人前」だと、笑った。
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――「ダム屋の絆」加藤一『禍禍―プチ怪談の詰め合わせ』より