怪奇事件を占いで読み解く新連載「幽木武彦の算命学で怪を斬る!」~津山三十人殺しと都井睦雄【前編】~
算命学とは、古代中国で生まれ、王家秘伝の軍略として伝承されてきた占術。恐ろしいほどの的中率をもつその占いは、生年月日から導く命式で霊感の有無、時には寿命までわかってしまうという。
本企画は、算命学の占い師・幽木武彦が怪奇な事件・事象・人物を宿命という観点から読み解いていく。
津山三十人殺し/都井睦雄と運命の夜
序
日本犯罪史上最悪の連続殺人。そんな呼び声の高い、異様な事件がある。
津山三十人殺し。
昭和13年(1938年)5月21日、午前1時40分ごろ。
岡山の貝尾集落というところで発生した、常軌を逸したとしか言いようのない凄惨な連続殺人だ。
犯人の名は、都井睦雄。21歳。
睦雄はわずか一時間半ほどの間に、集落で暮らす30人にものぼる村民たち(内2名は隣の集落)を片っ端から殺していった。(ちなみに当時の貝尾集落は全22戸。人口111人)
この事件のことは、子供のころに読んだ横溝正史の『八つ墓村』で知った。
何度も映画やドラマ、舞台作品にもなってきた名作だが、私の世代では渥美清が金田一耕助に扮し、萩原健一が主役を演じた野村芳太郎監督版が、とりわけ印象が強い。
濃茶の尼の「祟りじゃ~!」というセリフは、当時私のまわりでも、ちょっとしたギャグにさえなった。それぐらい人気を呼んだ。
そんな『八つ墓村』のモデルになったのが、この事件だ。
酸鼻をきわめ、異常としか言いようのないこの事件は、文献を読めば読むほどなんとも言えない気持ちになる。
竹書房怪談文庫から上梓された実話怪談『広島 岡山の怖い話』(岡利昌)には、そんな津山三十人殺しの舞台となった集落にスポットを当てたエピソードがある。
今回私がこの事件と犯人、都井睦雄にフォーカスしてみたいと思ったのは、この『広島 岡山の怖い話』がきっかけだった。
都井睦雄の生い立ち
睦雄は倉見という集落で生を受けた、名家の嫡流だ。
都井家の資産は莫大なもので、睦雄の生後に起きたいたましい事件さえなかったら、彼は日本の犯罪史に名を残す残虐な殺人鬼になどなってはいなかったろう。
だが、大庄屋の家柄である名家・都井家を立てつづけに不幸が襲う。
睦雄が生まれた翌年、祖父が亡くなり、同じ年に父親も肺結核で亡くなってしまう。
それだけではない。
さらにその翌年には、母親までもが同じ肺結核でこの世を去ってしまうのである。
睦雄はまだ二歳であった。
当時の肺結核(結核菌による感染症)は、日本人の死因第一位をしめるような恐ろしい病気だった。
空気感染もした。
2021年現在、コロナウィルス(現在の主流はデルタ株だが、最凶だと言われるラムダ株もすでに上陸している)におびえ、日常が完全に瓦解している私たちならば、その恐怖は多少なりとも肌で分かるのではないだろうか。
当時、岡山のそのあたりでは、結核で死者を出す家は「ロウガイスジ」と呼ばれ、ひどい差別にあったという。
都井家でも当然のようにお家騒動が勃発し、睦雄たち家族は本来継げるべき莫大な財産のほとんどを親戚筋にうばわれ、生地の倉見も石もて追われるようにしてあとにした。
睦雄は3歳違いの姉、血縁関係のない祖母とともに貝尾に越し、そこで成長することになった。
そして睦雄は新天地となった貝尾で、自分が背負う「ロウガイスジ」などの宿命を知ることもなく、成績の優秀な男子へと成長していった。
顔立ちのととのった美少年でもあったという。
だが彼自身もやがて14歳になり、ついに肋膜炎をわずらってしまう。病状は快方に向かったが、18歳のとき、今度は肺尖カタルの診断を受ける。
導火線に、火が点いた。
当時、そのあたりには「夜這い」の風習が残っており、肺尖カタルが発覚するまでは、睦雄も村の女性たちとこっそりと関係を持つような日々を送っていた。
しかし発病と同時に、女性たちの態度は一変した。
誰もが睦雄を拒絶するようになった。
またこのころ、睦雄は自らの人生の宿痾――ロウガイスジだという宿命、親族に財産を奪われたこと、実の祖母だと思っていた祖母がそうではなかったことなどを知り、それらのこともまた、関係を結んでいた女性をつうじて集落に住む人々の知るところとなった。
絶望的な孤独。
睦雄は蝕まれた。
もしかしたら、行き場をなくした性への渇望もあったかもしれない。
名家の嫡男に生まれた優秀な美少年は、こうして狂気を増幅させ、やがて――。
昭和13年(1938年)5月21日。
この日を迎える。
以上が、やるせない宿痾の実録譚、その主人公である都井睦雄と事件発生までの概略だ。
短い文面でとても紹介しきれるものではないが、興味のあるかたは『広島 岡山の怖い話』や津山三十人殺しをテーマにした文献を当たっていただきたい。
以下、私が試みたいと思うのは、都井睦雄という稀代の殺人鬼がどんな宿命(命式)を持って生まれてきたのかをあぶりだすことと、事件発生当日の彼の運勢である。
日本犯罪史上最凶最悪と呼ばれる事件の主は、いったいどんな宿命のもとに生まれてきたのか。
そして。
事件当夜となったその忌まわしい日は、睦雄にとってどんな意味を持っていたのか。
それらを私なりに知恵をしぼって検証してみたい。
算命学にくわしい先輩諸氏には、もしかしたら私の見立てに異論があるかもしれないが、あくまでも幽木個人の見解とご容赦いただきたい。
都井睦雄の命式
都井睦雄(1917年3月5日生まれ。享年21歳)
これが睦雄の命式である。
生年月日を干支に直したもので、右から年干支、月干支、日干支。
ちなみに狭義では、睦雄自身は日干「丙」ととる。
★丙 壬 丁
午 寅 巳
そして、これらの干支を五行(木火土金水)に直すと、以下のようになる。
★火 水 火
火 木 火
異様に火が多い。
全6干支中、4つもある。
しかも、じつはこれだけではない。
睦雄の命式にある地支の「午」と「寅」は「寅午の半会」という結びつきを発生させ、この2つがくっつくと、本来は木性である「寅」も火性に変わるという特徴がある。
そうすると――
★火 水 火
火 火 火
なんと、月干の水性「壬」ひとつを残し、あとはすべてが火性という特徴的な宿命になる。
もしもこれが、
火 火 火
火 火 火
ならば完全に火性一色で「火性一気格」という完全格に入格する命式だ。
運勢は、最高に強くなる。
そして睦雄のように、完全格に一箇所だけたりない命式は「一点破格」と言い、完全格に準ずる強運の命式となる。
いずれにしても生まれつき、人より恵まれた命式を持っていたことは間違いない。
だがこういう命式は、禍福はあざなえる縄のごとしでもある。
その人間に強烈な幸運をもたらす分、宿命を消化していくことはとても難しく、極端にダメな人生へと転落する可能性も秘めている。
ちなみに火性一気格は「炎上格」とも呼ばれる。
一気格の中でも周囲に与える影響がもっとも大きくなる宿命で、場合によっては他人の人生をねじ曲げてしまうやっかいさを孕んでいる。
来るものは拒まないが、自分から遠ざかろうとする者のことは憎む。
激しく、憎む。
そして睦雄の命式の「守護神」(命式のバランスをとるもの=人生を生きやすくしてくれるもの)は、一点破格の水性「壬」になる。
火 ★水 火
火 火 火
だが、水性は守護神ではあるものの、つまるところ「水火の激突」(もっとも激しい衝突)。
守護神の「水」によって一定の歯止めをかけられているとは言え、持って生まれた命式は大火事状態の炎と、それを鎮めようとする水の激突になっているという、とても不安定な状態だ。
また、紅蓮の炎をあげて炎上する火性に対し、守護神の水性は、やはり多勢に無勢という感じもいなめない。
不安定。
とても不安定。
まずこれが、睦雄の命式のいちばんの特徴だと私は思う。
そして二番目は、「生月中殺」になっていること。
上でも紹介したが、睦雄は「寅卯天中殺」の宿命である。
寅卯天中殺。
これは、寅年、卯年は気をつけて過ごした方がいい、ぐらいにしか多くの人に認知されていないが、じつはそれだけではない。
丙 壬 丁
午 ★寅 巳
---------------------
戊 戊
己 丙 庚
丁 甲 丙
睦雄の場合、月支に天中殺の十二支「寅」がすっぽりと入っている。
これは、誰の命式にもふつうにあることではない。
ちなみに、年干支、月干支、日干支にはそれぞれ意味があり、
・年干支 両親
・月干支 子供、家系
・日干支 自分と伴侶
と解釈することもできるが、睦雄の場合「月」が中殺されているため――
・子供中殺
・家系中殺
という宿命になり、本来は家の跡取りにはなれない人間だ。
嫡男に生まれたのに、家督を継げない宿命……。
こういうことは、往々にしてある。
現に、世襲が当然の代議士の世界にだって、睦雄のような宿命の政治家はいる。
では、いったいどうすればよいのか。
こういう人が家督を継ぐための、唯一のと言ってもいい不気味な条件がある。
丙 壬 丁
午 ★寅 巳
---------------------
戊 戊
己 丙 庚
丁 甲 丙
中殺されている月支の上下にある――
丙 ★壬 丁
午 寅 巳
---------------------
★戊 戊
己 ★丙 庚
丁 ★甲 丙
これらの干の「人物」に犠牲になってもらうのだ。
では、これらの人物とは具体的には誰か。睦雄の家系図をたどってみると――
甲 → 母親
戊 → (準)父親
と出る(ちなみに「壬」は母方の祖母。「丙」は父方の祖母)。
つまり――。
津山三十人殺しに関連した一般的な解釈では、睦雄の父や母が、当時としては忌みきらわれていた結核で連続死するような「呪われた家系」に生まれたことが睦雄の不幸のはじまりというような言い方をされるが、算命学的に言うとそうとばかりも言えない。
睦雄(生月中殺の跡取り)が生まれてきたから両親が頓死した、という見方もできるのである。
しかし、それでも跡取りとしての睦雄の人生は、思うようには発展しない。
親戚に財産をとられ、生地を追われ、その上、自らも発病してしまう。
そして集落の女や男たちの醜い裏の顔をまのあたりにすることでじわじわと狂気を増大させ、ついに運命の夜――
昭和13年(1938年)5月21日
を迎えるのである。
ではこの日は、睦雄にとっていったいどんな一日だったのか。
そのことについて調べた私はたまらず絶句し、戦慄をおぼえることになるのだった。
(以下「後編」につづく)
著者プロフィール
幽木武彦 Takehiko
占術家、怪異蒐集家。算命学、九星気学などを使い、広大なネットのあちこちに占い師として出没。朝から夜中まで占い漬けになりつつ、お客様など、怖い話と縁が深そうな語り部を発掘しては奇妙な怪談に耳を傾ける日々を送る。トラウマ的な恐怖体験は23歳の冬。ある朝起きたら難病患者になっており、24時間で全身が麻痺して絶命しそうになったこと。退院までに、怖い病院で一年半を費やすホラーな青春を送る。中の人、結城武彦が運営しているのは「結城武彦/幽木武彦公式サイト」。