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怪奇事件を占いで読み解く「幽木武彦の算命学で怪を斬る!」~連合赤軍・永田洋子と同士リンチ殺人事件【前編】

算命学とは、古代中国で生まれ、王家秘伝の軍略として伝承されてきた占術。恐ろしいほどの的中率をもつその占いは、生年月日から導く命式で霊感の有無、時には寿命までわかってしまうという。

本企画は、算命学の占い師・幽木武彦が怪奇な事件・事象・人物を宿命という観点から読み解いていこうという試みである。

津山三十人殺し、大久保清連続殺人事件につづき、今回も昭和という時代を揺るがした大事件、1972年連合赤軍の同士リンチ殺人事件とその中心人物、女帝=永田洋子の宿命を紐解いていく。

総括せよ!1972年、連合赤軍の狂気 永田洋子と同士リンチ殺人事件【前編】


 ときは昭和。1970年代。

 私がまだ小さかったころ、お笑い界の二大スターといえば、ドリフターズと萩本欽一だった。
 ドリフターズについては、中心メンバーの一人だった志村けんが急逝してしまったこともあり、このところふたたびスポットが当たることが多い。
 土曜の夜、8時になるとTVの前にかぶりつき、胸躍らせた世代としては幸甚のいたりだ。
 だがその一方、あの萩本欽一、欽ちゃんが「仮装大賞」ぐらいでしかお目にかかれないのは、やはりさびしい。

 今の若い人は知らないだろうし興味もないかもしれないが、日本のTV界に大きな潮流を作ったまぎれもない天才が萩本欽一だった。
 そして、じつは今回の主役である永田洋子(事件当時27歳)ひきいる連合赤軍が、そんな萩本欽一と一枚噛んでいると聞いたら、あなたはどう思うだろう。

連合赤軍と「あさま山荘事件」

 連合赤軍は1970年代初頭、毛沢東主義を掲げ、武力による革命をめざして活動した極左テロ組織。武闘派として鳴らした「赤軍派」と「革命左派(京浜安保共闘)」が合流して誕生した。

 1960年代から70年代にかけ、日本は空前の「政治の時代」にあった。
 学生運動や反権力闘争が盛りあがり、そうした中「世の中を本当に幸せなものに変えていきたい」と夢見た若者たちが組織を作る。さまざまな事件を起こす。
 若者たちの夢の王国は、やがて権力とのはてしない戦いの中で先鋭化し、孤立を強いられ、グロテスクにゆがんだ。
 その結果、暴発せざるを得ないような形で発生したのが、のちに「あさま山荘事件」「山岳ベース事件」などとして歴史に名を刻むことになる、一連の劇場的だったり凄惨だったりする事件だった。

 当時、「赤軍派」「革命左派」のメンバーは、警察に追われるようにして群馬県の山岳地帯に逃げこみ、「連合赤軍」として山岳ベースを作った。
 銃を手に、男も女も過酷な戦闘訓練をおこない、真の革命戦士になるためにはなにが足りないかを自己批判したりさせたりする「総括」なる活動も、ときとともにエスカレートしていった。
 そんな彼らに、警察の手が伸びてくる。
 群馬県警は350名にものぼる警察官を動員して山狩りをし、連合赤軍を追いつめた。
「あさま山荘事件」は、こうして起きた。
 捜査の手から逃がれようとした5人のメンバーが軽井沢の別荘地にまぎれこみ、逃げこんだあさま山荘を舞台に、管理人の妻を人質にして籠城したのである。

 日本で起こっているとは思えないこの籠城事件を、TVは生中継で大々的に報じた。
 しかも、連日のようにだ。
 視聴者たちは、日常を逸脱してくり広げられる特別報道番組に夢中になった。
 へたなドラマ顔負けの、エキサイティングな展開。連合赤軍メンバーと警察による銃撃戦。警官が殉死し、民間人にも死者が出た。しまいには群馬県警の秘密兵器、巨大な鉄球までもが登場し、山荘を破壊するというスペクタクルな勝負でクライマックスを迎える……。

 犯人たちの籠城は全10日間、219時間にもわたった。
 その間の平均視聴率は、なんと50.8パーセント
 事件の最終日になると、NHKは10時間40分にわたって生中継で事件を報じ、民放とあわせた最高視聴率は、じつに89.7パーセントを記録した。

 昭和の爆笑王、萩本欽一は、連日ぶっ通しで山荘を映しつづける報道番組を見ているうち、ピンと来たという。

 TVとは、なにかが「起きている」から見るのでない。
 なにかが「起こりそう」だから注目を集めるのだと。

 萩本はこれにヒントを得て、以降積極的に、素人などを起用していく。
 万事心得たプロではとうてい出すことのできない、危なっかしいハプニング性。放送事故上等とでもいうような、ドキュメント性を重視した笑いを作りはじめる。
 その結果萩本は、最盛期には「視聴率100パーセント男」などと呼ばれるほどの一時代を築くことになり、彼の生みだした潮流は、後続の笑芸人たちにも影響を与えた。

 天才・萩本欽一と連合赤軍は、こんな形で結びついていたのである。

 もっとも、「あさま山荘事件」に、今回フォーカスする永田洋子は直接関係していない。
 山荘に立てこもったのは、ほかのメンバーたち。そのころ永田は連合赤軍最高幹部、森恒夫(逮捕後、獄中で自殺)とともに、すでに逮捕されていた(1971年2月17日)
 だが永田の名は、連合赤軍のアジトである「山岳ベース」を舞台に、「総括」の名のもと同士たちをあやめたむごたらしいリンチ殺人事件で、今も人々の記憶に残っている。

永田洋子という女帝

 先にも書いたが、連合赤軍のメンバーたちは群馬山中で戦闘訓練をおこないつつ、理想の革命戦士をめざすための自己批判=「総括」をエスカレートさせていった。
 主導したのは、森恒夫
 だが「革命左派」出身で組織ナンバー2のポジションとなった永田(唯一の女性幹部、中央委員会副委員長)も森に追随し、意識が低いと判断したメンバーたちに、ほかの仲間とともに凄絶なリンチを加えていった。

 その結果、1971年12月からの2か月ほどの間に12人もの若者が命を奪われ、それらの遺体は無残にも裸にひん剥かれ、土中に埋められた
 事件が発覚したのは「あさま山荘事件」のあと。
 ショッキングなニュースと直面した社会にはさらなる動揺が走り、その結果、学生運動そのものも人々の支持を急速に失い、退潮していくことになったのだった。

 そんな狂気の連続殺人事件に、指導者の一人として手を染めた永田洋子とは、いったいどんな人物だったのだろう。

永田洋子の命式

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 1945年、東京お茶の水生まれ。
 誕生したのは太平洋戦争のただ中で、生後一週間も経たないうちに、防空壕に入らざるを得ないような生活だったという。
 幼いころの記憶として強烈に残っているのは、日本の敗戦。米軍の全面的な占領下にあった往時の暮らしだ。
 戦争なんて二度としてはならない――幼心にそう思った永田は、早いうちから反戦の気持ちを持つようになった。成長すると、労働者たちの闘争にも心を打たれた。
 そして、GHQ(連合国最高司令官総司令部)によるレッドパージ(いわゆる「赤狩り」。共産党員らの徹底した追放排除)を目のあたりにして反戦、反権力思想は決定的なものになったというのが、永田自身の述懐だ(『十六の墓標 炎と死の青春/永田洋子』)。

 中学、高校と私立の女子校で青春をすごした永田は、薬剤師になるべく大学の薬学部に進み、念願の資格を取る。
 だが大学在学中、共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派の学生組織に参加するようになった彼女の運命は、大きくねじれていった。

 時代の波に、呑みこまれた。

永田の宿命をつらぬく「貫索星」という星

 永田は「生月中殺」の宿命だ。
 彼女は「寅卯天中殺」だが、天中殺の十二支である「寅」がスッポリと月支に入っている(誰にでもあることではない)。

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するとどうなるか――。

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 命式から作られる人体図の★の部分が中殺される。「貫索星中殺」「天貴星中殺」の宿命だ。

 人体図は、その人の性格などを見るときに使う。
 中心になるのは真ん中の星。性格の半分前後がその星の支配を受ける。永田の場合は「貫索星」である。

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 貫索星は、がんこ、独立独歩、マイペースの星
 自分で納得できなければ、人の言うことにしたがえない。融通がきかず、とてつもなく意志が強い。いったんこうと決めたなら、たとえ間違っていようとも、とことんそれを貫こうとする
「たとえ間違っていようとも」というのが、なんとも意味深だ。

 だが、そうした特徴を持つのが、貫索星人間。しかも永田の場合、貫索星は3つもある。

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 貫索星にかぎらず、同じ星が3つも4つもあると、性格はどうしてもかたよる。
 かなりかたよる。
 その結果、理解者に恵まれにくくなったりもするが、その分エネルギーの集中力も半端ではなくなる。
 永田のように貫索星がうじゃうじゃという場合は、ただでさえがんこな貫索星の質がいやでも強調され、とんでもない石頭になる。途中で発想を転換することが難しい人になり、幅広い考えかたはできにくくなる。

 その上「貫索星中殺」だ。
 中殺の出方はそれぞれだが、場合によってはリミッターが破壊されたような状態になる。周囲の反対をものともせず、我が道を突き進もうとするようなことも出てくるだろう。
 永田の場合、もしかしたらこんな宿命が、その行動に大きく影響していたのではないだろうか。

 しかも、それに加えて「天貴星中殺」である。

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 天貴星は、人生の「児童期」を象徴するような、とてもピュアな星。純粋な人となりになりやすく、「正しいこと」を求めて行動しやすい。
 どんなこととも真剣に向きあい、なにごとであろうとしっかりとけじめをつけなければ、先に進めない。
 そんな星が中殺されている。そのせいで星の質が、ひときわ強調されることも出てくる。親との縁は薄くなりがちで、尋常ではないプライドとともに、信じた道を突き進む。

 連合赤軍の女帝、永田洋子の行動の裏には、彼女の持つこんな宿命があったのである。

 では、そんな永田にとって、連合赤軍が怒濤の勢いで崩壊していった「あさま山荘事件」「山岳ベース事件」の年――1972年とは、いったいどんな年だったのだろう。

 いつものように、運勢を推しはかる「五柱法」で1972年の永田を見た私は、今回もまた、唖然とせざるを得なかった。

☞後編へつづく

参考資料:
書籍『十六の墓標 炎と死の青春/永田洋子 上・下』(彩流社)
書籍『証言 連合赤軍/連合赤軍事件の全体像を残す会』(皓星社)
書籍『連合赤軍事件を読む年表/椎野礼仁』(彩流社)
書籍『連合赤軍事件 50年目の真相/別冊宝島編集部』
書籍『日本凶悪犯罪大全217/犯罪事件研究倶楽部』(イースト・プレス)
映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程/若松孝二監督』(若松プロダクション)
映画『光の雨/高橋伴明監督』(シネカノン)
TV『田原総一朗の遺言 永田洋子と連合赤軍』(ポニーキャニオン)

(ご注意)
本連載は実際に起きた犯罪事件を扱っており、様々な命式や人体図が出てきますが、それらの命式や人体図を持つ人がすなわち犯罪傾向にあるという意味では全くございません。持って生まれた宿命以上に取り巻く環境が重要であり、運勢は流動的なものです。逆にどんなに立派な宿命を持って生まれたとしても環境が悪ければ宿命は歪んでしまいます。持って生まれた宿命を生かすも殺すもその人次第(環境、生き方)であり、運命は変えられることを教えてくれるのもまた算命学であります。宿命から危機と傾向を知り、よりよく生きるための占術と捉えていただければ幸いです。

著者プロフィール

幽木武彦 Takehiko Yuuki

占術家、怪異蒐集家。算命学、九星気学などを使い、広大なネットのあちこちに占い師として出没。朝から夜中まで占い漬けになりつつ、お客様など、怖い話と縁が深そうな語り部を発掘しては奇妙な怪談に耳を傾ける日々を送る。トラウマ的な恐怖体験は23歳の冬。ある朝起きたら難病患者になっており、24時間で全身が麻痺して絶命しそうになったこと。退院までに、怖い病院で一年半を費やすホラーな青春を送る。中の人、結城武彦が運営しているのは「結城武彦/幽木武彦公式サイト」。