怪奇事件を占いで読み解く新連載「幽木武彦の算命学で怪を斬る!」~津山三十人殺しと都井睦雄【後編】~
算命学とは、古代中国で生まれ、王家秘伝の軍略として伝承されてきた占術。恐ろしいほどの的中率をもつその占いは、生年月日から導く命式で霊感の有無、時には寿命までわかってしまうという。
本企画は、算命学の占い師・幽木武彦が怪奇な事件・事象・人物を宿命という観点から読み解いていく。
今回、取り上げるのはかの有名な「津山三十人殺し」事件と、その実行犯・都井睦雄である。前半に引き続き、お楽しみいただきたい。
運命の夜
それでは後編、スタートである。
睦雄の宿命と事件当日の運勢を、算命学を使って分析しようと考えている。
都井睦雄(事件発生当時21歳)という人間の輪郭と、宿痾とも言える人生の背景、事件当日へと至るドラマについては、ごく簡単ではあるが前編で紹介した。
基本的な宿命についても考察した。
当時、夜這いの風習が残っていたという貝尾集落で、睦雄は村の女性たちとひそかに男女の関係を結んでいたという。
だが、両親の命を奪い去った結核に自らも罹患することで、仲よくしていた女たちからいきなりうとまれ、嫌われ、それ以外のさまざまなファクターも重なって、ついに人生に絶望することになった睦雄は、どす黒い怨嗟を集落の人々に向けるようになっていった。
特に、自分を袖にしてほかの男に嫁いだ二人の女性には、激しい殺意を抱いていたという。
そして睦雄は、この二人が集落に戻ってくる日を調べ、その当日、計画を実行に移したのである。
当時、駐在所の巡査は出征で欠員中だった。
睦雄は昭和13年(1938年)5月20日の17時ごろ、電柱にのぼって送電線を切断。田舎のせいもあって復旧は翌日以降となり、その夜、集落は完全な闇に閉ざされた。
そして。
ついに睦雄は炎上した。
事件当日の運勢(大運・年運)
火性一気格(炎上格)一点破格の男が、憎悪に燃える殺人鬼として紅蓮の炎をあげ、昭和13年5月21日土曜、深夜1時40分ごろ、いよいよ歴史に残る大虐殺を開始したのである。
その夜の睦雄のいでたちを『広島 岡山の怖い話』(岡利昌・著)から再掲しよう。
想像するだけでゾッとくる身なりである。
こうして睦雄は集落の人々を怨嗟とともに血祭りにあげ始めた。
私が背筋に鳥肌を立てたのは、事件の決行日となったこの日の睦雄の運勢だ。
これが、前編でもご紹介した睦雄の宿命6干支(生年月日を干支に直したもの)。
運勢を見る場合、これに加えて10年に一度変わる「大運干支」、その年の「年運干支」まで含めた「五柱法」という見方で推しはかるのが一般的だ。
ということで、まずここに10年に一度変わる「大運干支」を加えてみる。
睦雄は20歳のときから「庚子」という新たな大運干支が回ってきていた。(事件を起こしたのは21歳のとき)
――庚。
実に不気味だと思うのは、睦雄にとってこの「庚」は祖父を表す干でもあるものの、とっくに祖父を亡くしている当時の状況としては「妻(あるいは、より大きな意味で「女性」)」を示唆する干だということだ。
殺人事件の動機には、村の女たちとのゆがんだ関係が大きく関与していたという。
ロウガイスジの烙印を押され、結婚したくてもできない立場へと転落していた睦雄にとっては、結婚問題、女性問題はとんでもなく大きな苦しみになっていたことだろう。
そんなところに回ってきたのが「庚」。
妻。
女。
結婚問題。
20歳からの10年間の大きなテーマは、結果がどうなるにせよこれらの問題になるという暗示が、しっかりと出ていたことになる。
これは、ただの偶然だろうか?
そして。
年運に当たる1938年の干支は「戊寅」。
睦雄はこの年から、2年間の天中殺に突入していた(寅卯天中殺)。
天中殺は、天井知らずの強烈さでいいことも悪いことも降ってくるとき。運気はどうしても不安定になる。
決して悪いことばかりではないが、いつもと違うときであることに変わりはない。
強運とは言え、生まれつき不安定な宿命を持つ人間が、さらに不安定な状態に置かれてしまったのである。
さらに。
私はここに事件当日――「5月21日」も加えてみたい。
事件当日の運勢(月運・日運)
1938年の5月は「丁巳」だ。まずは月運を追加すると……
●1938年5月
月運干支の「丁巳」が、年干支の「丁巳」と「律音(りっちん)」の関係を構成している。
律音の象意は、ズバリ――「リセット」。
リセット。
やり直し。
再出発。
これもまた、単なる偶然なのだろうか。
睦雄が自分の人生を、自爆という形でリセットしようとしたその月に、運勢には「律音」という状態が発生していた。
そして、いよいよ事件当日。
21日の日運干支は「癸丑」である。日運を加えてみる。
●1938年5月21日
これが、津山三十人殺しが発生した当日の睦雄の運勢。
妻、女、結婚問題を示唆する十干がまわり(「庚」)、天中殺がやってきていた(「寅」)。
そして睦雄の人生には「リセット」の象意も発生している(丁巳=律音)。
そして、事件当日の干支「癸丑」を加え、火性一気格一点破格という宿命は堅持する前提で、その他の干支をルールにしたがって変化させ(干合、半会、支合など)、その十干十二支を五行(木火土金水)に直してみたところ……
なんと14個ある干支の内、10個までもが火性という異常事態。
しかもあとに残るのは、宿命6干支でも水だけだったが、この日の運勢でも同じようにそのほとんどが「水」(全部で3つ)である。
ただひとつ、女、妻を暗示する「庚(金性)」だけを残して。
ちなみに宿命でも運勢でも、干支の半分が同じ五行になったら、その五行はもう完全に「忌神」である(完全格の場合は別)。
つまり事件当日の睦雄の運勢は、忌神大襲来。
そして、水性は守護神ではあるものの、宿命に輪をかけた「水火の激突(激しい葛藤、衝突)」の状態も強まっている。
そんな中に「庚(金性)」。
私には、轟々と燃えさかる紅蓮の炎の真ん中に「妻」という、睦雄が永遠に得ることのかなわなかった悲しくも残酷な墓碑が、天高くつきだしている光景にも見えた。
1938年5月21日。
事件の現場となった貝尾集落では、こんな風景を心に持つ殺人鬼が、村の電気をすべて切断した闇の中でただ一人狂おしく炎上し、無理心中さながらの大殺戮をくり広げていったのである。
そのいちばん最初の犠牲者は、長いこと実の祖母だと信じて疑わなかった、ともに暮らした祖母(祖父の後妻)だったという。
睦雄の大殺戮は一時間半にも及び、村人たち30人が犠牲になった。
村での一大凶行劇を終えた睦雄は、それからどうしたか。もう一度『広島 岡山の怖い話』から引用させていただく。
その後睦雄は3.5キロほど離れた荒坂峠の山頂で遺書を書き、自決をした。
猟銃で自分の胸を撃ち抜き、即死だったという。
言語道断の非道かつ残虐な連続殺人。
だが、事件に関係した文献を読むと、私はなんとも形容しようのない、せつない感情にも襲われるのだった。
(完)
参考文献:
『広島 岡山の怖い話』岡利昌(竹書房)
『津山三十人殺し 七十六年目の真実』石川清(学研プラス)
『日本凶悪犯罪大全217』犯罪事件研究倶楽部(イースト・プレス)
著者プロフィール
幽木武彦 Takehiko Yuuki
占術家、怪異蒐集家。算命学、九星気学などを使い、広大なネットのあちこちに占い師として出没。朝から夜中まで占い漬けになりつつ、お客様など、怖い話と縁が深そうな語り部を発掘しては奇妙な怪談に耳を傾ける日々を送る。トラウマ的な恐怖体験は23歳の冬。ある朝起きたら難病患者になっており、24時間で全身が麻痺して絶命しそうになったこと。退院までに、怖い病院で一年半を費やすホラーな青春を送る。中の人、結城武彦が運営しているのは「結城武彦/幽木武彦公式サイト」。