怪奇事件を占いで読み解く「幽木武彦の算命学で怪を斬る!」~大久保清連続殺人事件【後編】~
算命学とは、古代中国で生まれ、王家秘伝の軍略として伝承されてきた占術。恐ろしいほどの的中率をもつその占いは、生年月日から導く命式で霊感の有無、時には寿命までわかってしまうという。
本企画は、算命学の占い師・幽木武彦が怪奇な事件・事象・人物を宿命という観点から読み解いていこうという試みである。
今回の題材は、1971年の大事件「大久保清連続殺人事件」。女性8人を次々と殺害した稀代のマザコン殺人鬼の宿命から事件を紐解いてみる3回連載。
まずは前編・中編を未読の方はこちらからご覧いただきたい。
「ボクちゃん」の深い闇~1971年、大久保清連続殺人事件【後編】
序
中編では、今回(連載第三回)の主人公である大久保清とよく似た宿命を持つ「スナックママ連続殺人事件」の犯人、西川正勝をとりあげた。
両者の幼少期の環境は、ある意味対極的ともいえる。
だが「マザコン」というキーワードによる視点に立つと、その後半生は奇妙な相似を見せるところが、いささか不気味である。
ということで、いよいよ大久保清編、最終回。
今回は、大久保が8人もの罪もない女性をあやめるにいたった1971年の、彼の運勢について考察してみたい。
算命学はまたしても、じつに不思議で薄気味悪いものを見せてくれる。
1971年の大久保清
大久保の身柄が拘束されたのは、1971年5月13日。
女性会社員Aさんの誘拐容疑(わいせつ目的誘拐罪)だった。
取り調べ班として大久保と激突したのは、群馬県警本部捜査第一課強行犯係の班長以下四名。この時点では、まだ殺人事件とは断定されていなかった。
だが。
――被害者は殺されている。
警察では、そう確信していた。
しかし肝心の死体がない。
警察と大久保の激しい攻防が始まった。
「刑事さん、俺はね、悪いやつなんですよ」
前編でもとりあげたが、取り調べで向きあうベテラン刑事に、すごみをきかせて大久保は言った。
「人間の血は捨てたんだよ。だから人間ではないんだ。爬虫類なんだからさ、いくら調べても無駄だよ。いくら俺を責めたって、警察権力には負けないんだ。強行班だかなんだか知らねえけど、あんた方は運が悪いよ」(『完全自供 殺人魔大久保清vs.捜査官/飯塚訓』より)
大久保の徹底抗戦は熾烈をきわめた。
取り調べ班は翻弄される。
「大久保ってやつは、気味の悪い野郎だ。かつてなかった犯罪者の臭いがするぜ」(同)
これは、大久保の事件にたずさわった捜査第一課長が取り調べ班員を前につぶやいた言葉。
大久保という前代未聞の犯罪者の不気味さは、彼と向かいあう百戦錬磨の刑事たちをも戦慄させた。
しかし取り調べ班の、なんと80日間にも及ぶ懸命の捜査のすえ、ついに大久保は計8件にものぼる連続殺人を自供したのである。
事件の発生日と被害者は、以下のとおりだ(Wikipediaより)。
①1971年3月31日 女子高校生(17)
②1971年4月6日 ウェイトレス(17)
③1971年4月17日 県庁臨時職員(19)
④1971年4月18日 女子高校生(17)
⑤1971年4月27日 女子高校生(16)
⑥1971年5月3日 電電公社職員(18)
⑦1971年5月9日 会社員(21)※上記の「会社員Aさん」
⑧1971年5月10日 無職(21)
大久保は3月の終わりから凶行を開始し、41日間という短い間に、尊い8人もの人命を奪ったのである。
寒々しさをおぼえざるを得ない、なんともいたましい話だが、ではこの年の、そしてこの時期の大久保の運勢とは、いったいどのようなものだったのであろう。
算命学が照射する、事件の年の大久保清
これが大久保の命式。
生年月日を干支に直したもので、右から年干支、月干支、日干支。大久保自身は(狭義では)日干「癸」と考える。
そして、運勢を推しはかる場合、この宿命6干支に加え、10年に一度変わる「大運干支」とその年の「年運干支」を加え、「五柱法」という見方で見ることが一般的だ。
実際にやってみよう。
大久保は、7歳、17歳、27歳と、7歳を基点に大運が変化していく「7歳運」。
1971年(正確には1971年2月4日~1972年2月4日)、大久保は37歳になる年だ。つまりちょうど第4旬の大運「辛巳」がスタートしたばかりだった。
大運にやってくる十干は、その10年の「テーマとなる人物」を示唆する。
つまり、第4旬の大久保の大きなテーマは「辛(金性)」。これは大久保にとっては「母親(金性)」か「子ども(金性)」を意味する。
37歳という年齢を考えたなら、妥当にいけば「子ども」がテーマとなる10年であってもおかしくはない。
だが現実問題、そうはならなかった。
そうなると、やはり1971年からはじまった10年は、大久保にとって「母親」、もっと広げれば「(大久保にとっての)女」というものがクローズアップされ、彼なりの形で落とし前をつけなければならない大運だったと考えてよいのではないだろうか。
大久保に、つねに色濃く影響を与えつづけた母親へのマザコン的愛情。
その人生に、つねに鬱屈した、ゆがんだ影を落とすことになる「女性」という存在。
そうしたものが、今までの人生の総決算のように一大テーマとなる10年が、1971年2月4日にはじまった。
そして同時にスタートした1971年の「年運干支」はと言えば――。
なんと、1971年の「年運干」にも「辛」が回ってきている。
しかもさらに言うなら、大久保が連続殺人という鬼畜道へと転がりおちた3月の「月運」もまた――。
1971年3月の「月運干支」は「辛卯」。
つまり大運干、年運干、月運干のすべてが「母親」、あるいは「女性」を暗示する「辛」という不思議さ、そして不気味さ。
単なる偶然にしては、できすぎな気がするがどうだろう。
さて。
それはさておき、「五柱法」に戻ろう。
1971年の年運干支が「辛亥」であることはすでにご紹介した通りである。
すると、大久保の場合は大運干支が「辛巳」なため、大運と年運で「納音(なっちん)」という状態が発生する。
宿命の「外」で発生しているので、正確には「外納音」だ。
「納音」は、人生が180度変わる暗示。天干(十干)が同じで、地支(十二支)が対極の位置関係にある十二支同士のものを言う。
十二支にはそれぞれ固有の季節(月)があるが、「巳」は5月(夏)、「亥」は11月(冬)。まさに対極(180度)の位置関係にある。
「納音」はその人の人生が突然大転換する可能性を示唆している。「外納音」は思いがけず、いきなり外から災厄(あるいは幸福。それまで送ってきた人生によって違う)が降りかかってくる感じであろうか。
「外納音」は、じつはことのほかおそろしい。
私は身をもって、それを体験している。
忘れもしない23歳の冬。突然難病にかかり、病院にかつぎこまれた。そしてそのまま、一年半を病院で過ごした。
もう四半世紀以上も前のことだが、私はいまだにそのときの後遺症と戦っている。というか、もう死ぬまでの戦いだ。
突然病魔に襲われたその年、私の運勢には「外納音」が発生していた。もちろん、そんなことは算命学を学ぶようになってから分かったことだ。
だがそうと知ったときの、ゾゾッと背すじに鳥肌が駆けあがる感覚は、今でもよくおぼえている。
もう一つ例をあげよう。
元ビートルズのジョン・レノンが射殺された年も「外納音」が出ていた。
天干が同じ「庚」で、地支が「寅」(2月)と「申」(8月)。
ジョンが射殺されたのは、1980年12月8日。スタジオでの作業を終え、妻のヨーコとニューヨークのアパートに帰ってきたところで殺害された。
見事に「外納音」の年だった。
また本年、東京オリンピック開会式の音楽を担当していたにもかかわらず、突然スキャンダルの主となって表舞台から退場した音楽家のO氏も、本年は「外納音」。
同じく仲間たちに、権力の頂点から引きずり下ろされた前総理大臣も、今年は「外納音」。
「外納音」がどんなものか、だいたいお分かりいただけたのではないだろうか。
そんな「外納音」が、1971年の大久保には出ていた。
しかも色濃く暗示されているのは「辛」=「母親」、あるいは「女」というときである。
しかもこの年は、運勢が「二重冲動」にもなっている。
十二支の「巳」と「亥」は「巳亥の冲動」という激しい散法になる。
対極にあるもの同士の激しいぶつかりあいだ。
ひとつ発生するだけでも運勢の震動は激しくなり、ガタガタと揺れて不安定さが増すが、この年の大久保には、そんな「巳亥の冲動」がふたつも発生していた。
これは、相当に不吉である。
運勢の荒波はどうしても強さを増し、相当気をつけて進まないと、かなりの危険が予測される。
そして見事に、大久保を乗せた船は転覆した。耳を疑う大殺戮の末、彼が逮捕されたのは、前述の通り1971年5月13日のことだった。
5月の「月運干支」は「癸巳」。
なんと、大久保の日干支と同じである。
これは「律音(りっちん)」と呼ばれる。
象意はズバリ――リセット。
津山三十人殺しの都井睦雄が事件を起こし、自決した月に出ていたのとまったく同じものが、大久保の逮捕時にも出ていたのである。
1973年2月22日、前橋地裁は大久保に死刑判決を出した。
大久保は控訴しなかった。
そして、それから約3年。
1976年1月22日、彼の死刑は収監先の東京拘置所で執行された。
大久保清連続殺人事件【完】
参考文献:
『昭和四十六年、群馬の春―大久保清の犯罪/筑波昭』(草思社)
『完全自供 殺人魔大久保清vs.捜査官/飯塚訓』(講談社)
『日本凶悪犯罪大全217/犯罪事件研究倶楽部』(イースト・プレス)
『死刑囚200人 最後の言葉/別冊宝島編集部』(宝島社)
著者プロフィール
幽木武彦 Takehiko Yuuki
占術家、怪異蒐集家。算命学、九星気学などを使い、広大なネットのあちこちに占い師として出没。朝から夜中まで占い漬けになりつつ、お客様など、怖い話と縁が深そうな語り部を発掘しては奇妙な怪談に耳を傾ける日々を送る。トラウマ的な恐怖体験は23歳の冬。ある朝起きたら難病患者になっており、24時間で全身が麻痺して絶命しそうになったこと。退院までに、怖い病院で一年半を費やすホラーな青春を送る。中の人、結城武彦が運営しているのは「結城武彦/幽木武彦公式サイト」。