『5年後も、僕は生きています。⑨違和感をキャッチする」
⑨違和感をキャッチする
第1話から読みたい方はこちらから。
2017年10月、退院から3か月たち、体調が徐々に上向いてきました。
身体のだるさにも徐々に慣れてきて、気持ちがだるさにやられて、動くのがおっくうになることも少なくなりました。
そうだ、ジムに行ってみよう!
何度もお見舞いに来てくれた真部会長にも、挨拶をしなくちゃ。
ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、僕はガンなる前まで都内の葛飾区にあるボクシングジムのトレーナーとしてプロ選手の指導をしていました。
(いつも笑顔と笑いの絶えない、明るくて楽しいジムです)
メンタルトレーナーじゃないですよ、れっきとしたボクシングのトレーナーです(笑)。
僕が教えた選手、半数が日本ランキングに入りました。自分で言うのもなんなんですが、まあ、そこそこ腕のいいトレーナーだったと思います(自画自賛/笑)。
それは置いておきまして、久々にジムのみんなに会ったり、身体を動かしたくなったのです。
ジムに行ってみんなと話したり、サンドバックを打っている姿を想像すると、ワクワクしてきました。
僕は「無理しないでね」という妻の言葉を背に、家を出ました。
早く、ボクシングがしたい。
早く、サンドバッグを叩きたい。
最寄りの駅を降り、ジムに向かう道を歩いていると、その歩きなれた道がなんだかとても新鮮な、まるで初めて歩く道のように感じられました。
そして、前回に歩いたときの感覚を思い出しました。
元気な身体で、この道を歩くことはないだろうな…僕のいのちは長くないかもしれない…。
そう、あのときはジムで汗を流すボクサーたちを見ていて、自然に涙が出てきました。
もう二度と、あんなふうに動くことは、僕には出来ないんだ…
悔しい
悲しい
またあんなふうに、元気に動きたい…
その機会が、来たのです!
ジムに向かうビルの階段を登り、ガラスのドアを開けると同時に、マナベジムの真部会長が満面の笑顔で出迎えてくれました。
「お帰りなさい、刀根さん、みんな待ってましたよ!」
見ると会員さんたちがみんなニコニコしながらこっちを見て、声をかけてくれました。
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
トレーナーのひとりがニコニコしながら言いました。
「いやあ、刀根さん、さすがに痩せましたね。どのくらい落ちました?」
「癌になる前は61から2くらいだったんですけどね、最高50キロくらいまで落ちましたよ。ですから11キロ、12キロくらいでしょうか」
「50キロですか…それじゃフライ級ですね」
「ええ、減量なしでフライ級です。長嶺と一緒ですよ」
あのとき僕は、僕の教え子長嶺克則選手と同じくらいの体重になっていました。長嶺選手は通常6~7キロ減量してフライ級の計量をクリアしていたけれど、僕は何もしないで50キロでした。
「あそこから減量したら、たぶん死にますね」僕は笑いました。
あの骨と皮みたいになった体重50キロの記念写真を、一枚くらい撮っておけば良かったな、と思いましたが、それはいまだから言えることですね。
みなに一通り挨拶を済ませて、更衣室で着替えてリングシューズの紐を締め、バンデージを巻きました。ひとつひとつの作業を味わってやりました。
そう、いま、僕はここにいる。
ここに戻ってきた。
喜びと実感が湧いてきました。
軽いストレッチをしてみると、体中がバキバキに堅くなっています。前屈は以前は手のひらまでべったりと着いたのに、指先が床につきませんでした。
でも、僕はうれしかったのです。
こうしていま、リングシューズを履き、トレーニングウェアを着てストレッチをしている僕がいる。なんて幸せなことなんだろう。
ストレッチを終えて、軽くシャドーボクシングをしてみたら、すぐに息が切れました。
当たり前ですね、なんたって肺ガンステージ4から生還してまだ3か月なんですから。
ジャブを早く打っただけで、はぁはぁと息が切れました。フォームを確認しながらワンツーをゆっくりと打ってみると、フォームは見るからにへなちょこになっています。
身体の筋肉、特に体幹の筋肉がすっかり落ちてしまったので、地に足がしっかりと着いていないのです。やっぱり筋力、特に体幹の筋肉は大事です。
こりゃ、ダメだな
続いてサンドバックを叩いてみました。やっぱり、すぐに息が切れます。癌になる前は、8ラウンドから10ラウンドくらいはバシバシと普通に打っていたのに、いまは5発打っただけなのに、ハアハアと息切れです。
よし、今日はフォームを重視して、チョー軽めでいこう、なんたって復帰初日だし。
僕はへなちょこパンチで、サンドバックを叩きました。ペシペシという情けない音がしましたが、これはご愛敬です(笑)。拳に伝わってくる衝撃の感触が全くなくなっていました。まるで撫ぜてるようです。
僕は自分のありさまにちょっと悲しくなりました。
しばらくペシペシとサンドバックを叩いていたとき、なにか突然、ふと気づきました。
あれ? おかしいな、なんか楽しくないぞ…
以前の僕は、サンドバックを叩くことに喜びを感じていました。楽しくて仕方がなかったのです。
鏡で自分のフォームをチェックしながらサンドバックを叩く。
うん、ちょっと重心が高い。うん、ちょっと左足が突っ張ってる。うん、ちょっと右の肩甲骨が使えていない。
修正、修正、よし、いい感じ。じゃあ、もっとこうしてみよう。もっとああしてみよう。
すると、パンチを打ったときの拳の感触や筋肉の実感が、正しい身体の動き使い方をフィードバックしてくれるのです。
身体全体、ひとつひとつの関節や筋肉に無駄のない動きをしたときに、身体が教えてくれる「そうだ!それだよ!」という快感がたまらなく好きでした。
それらを発見して修正することが、とても楽しかったのです。
僕はいわゆる、ボクシングおたくでした。
でもいま、同じようにサンドバックを打っていても、何も感じないのです。
おかしい。
得意のステップを踏んで、パンチを打ってみる。同じく、何も感じない。
なんだ? ぜんぜん楽しくない。
おかしい、ボクシングが楽しくない!
なんだんだよ、この違和感は?
以前感じていた、あの喜びは、全く感じなくなっていたのです。
僕は、どうなってしまったんだろう?
それから数日後、2017年10月12日に後楽園ホールに行きました。
この日は僕が入院しているとき、自分の試合の翌日にもかかわらず、東大病院にお見舞いに来てくれた勅使河原弘晶(てしがわら・ひろあき)選手の応援でした。
勅使河原選手は現在、東洋タイトルやアジアタイトルを獲り、昨年末の2021年末にアメリカで世界タイトル挑戦者決定戦にまで進出することになります。(残念ながら敗れてしまいましたが)
勅使河原弘晶選手
2017年のその試合は、勝てばアジア・パシフィック地域のチャンピオンになるという大事な一戦でした。
(2017年10月の試合前、控え室で/まだ髪が生えていないので、帽子かぶってました)
僕が後楽園ホールに来るのは、1年と3か月ぶりでした。
前座の若い選手の熱い試合を眺めていると、後ろから声がかかりました。
「刀根さん、お久しぶりです」
それは総合格闘技のプロ選手、征矢貴(そや・たかき)選手でした。彼はボクシングの技術を学びに高校生の頃から僕のジムに通っていました。
征矢貴選手
僕もトレーナーとして、彼にボクシングの技術を教えたことがありました。そのボクシングセンスと技術はボクサーたちに劣らぬすばらしいものでした。
「すいません、入院したことは知っていたのですが…お見舞いに行けなくて…」
「いいんだよ、みんなそれぞれ忙しいからね。今はこうして話せるしさ。で、征矢の方は最近どう?」
「はい、実は結婚しまして…」
「おお、そうか、それはおめでとう! 良かったね」
「ありがとうございます…」征矢選手の表情はなぜか沈んでいました。
「なんかあったの?」
「実は嫁が…白血病になりまして」
「えっ?」
「はい、以前もなってたんですけど。一度寛解したんですが、再発しまして」
「そうなんだ…」
『寛解』という言葉を普通に使っているということは、相当な闘病の経験があるということだ、と僕は思いました。
「それで、バタバタしてまして」
「いやいや、それじゃしょうがないって。でも大丈夫だよ、オレも肺癌ステージ4から生還することが出来たんだから。きっと奥さんも復活できる。大丈夫だって」
「はい、俺もそう思ってます」
「なんか出来ることある?」
「いえ、今のところは大丈夫です」
「じゃあ、落ち着いたらメシでも食べに行こうよ」
「はい! ぜひ食べに行きたいです」
「そうだね」
「落ち着いたら連絡入れます」
「おう、待ってるよ」
大変なのは僕だけじゃなかったのです。
なんか僕が役に立つことないだろうか。ステージ4から生還した僕だからこそ、役に立てることが。
お目当ての試合は、勅使河原選手の一方的な展開になり、後半にダウンを奪い、圧倒的な強さを見せてTKOで勝利、見事に新チャンピオンに輝きました。
「いままで、輪島ジムではひとりもチャンピオンがいなかったので、このベルトは輪島会長にプレゼントします!」
勅使河原選手からチャンピオンベルトを肩にかけてもらった輪島功一会長が、最高の笑顔でテレビのインタビューに応えていました。
勅使河原選手は子どものころに継母から虐待を受け、いわゆる非行少年になって少年院に入り(しかも2度も)、その図書室で出会った輪島会長の著書を読んで感動し、更正し、ボクサーになっていま・ここにたどり着いたのです。
彼が世界チャンピオンになったら、きっとすごい、すさまじく、そして若い人たちへ道を示すような素晴らしい自伝を書くことが出来るでしょう。
勅使河原選手のブログは、絶賛おすすめです。
すばらしい境地に達しています。
それから約10日後の10月21日。
同じく後楽園ホールで、僕が教えていた長嶺選手の試合の応援で僕はまた後楽園ホールに行きました。
(長嶺選手とトレーナー時代の僕)
この日は最強挑戦者決定戦と銘打たれ、日本チャンピオンに挑戦する最強の挑戦者を決めるための重要な試合でした。長嶺選手は日本1位まで昇り詰めていて、相手の選手は日本2位。勝者が日本王者に挑戦する権利を得ることが出来るのです。
僕は控え室から長嶺選手に付き添っていましが、毎日練習を見ていたわけではありませんでした。
ですから、彼がこの試合に向けて何を課題とし、何を克服し、何を積み重ねてきたのかを、僕は全く知りませんでした。
そのせいか、一緒の空間にいても、ぽっかりとした寂しさ、自分だけ置いて行かれているような孤独を感じました。
長嶺選手の見事な左フック(別の試合画像ですが)
肝心の試合は、長嶺選手らしからぬ手数の少ない苦戦となりましたが、ぎりぎりで挑戦者の座を射止めることが出来きました。
あとで彼から聞き出した話だと、親しくしていた人が数日前、突然に亡くなり、メンタルが乱れていたとのことでしたが、彼は一切言い訳をしなませんでした。
ボクサーというのは、そういう人種なんです。
こういう大事な試合は、結果よければ全てよし…なのですが…。
でもまた僕は、あの違和感を感じてしまったのです。
ボクシングの聖地、後楽園ホールという空間に、男たちが命を懸けて挑む『祭り』の空間に、明らかに感覚のズレを感じていました。
こんな感覚で、こんな中途半端な気持ちで、僕はまたこのボクシングという過酷な世界に戻れるんだろうか?
僕は自問自答しながら後楽園ホールを後にしました。
なんなんだろう、どうしたんだろう?
おかしい…
いま(2022年の僕)から振り返ると、こんな解説が出来ると思います。
そもそも、ボクシングをスキだった「僕」って誰なのか?
ボクシングを「やっている僕」がスキだったのでは、ないのか?
「強い自分」
「ボクシングをやっている自分」
「ボクシングを教えている自分」
「体力があって、けんかが強い自分」
ほか、もろもろ、そういう「自分」
いわゆる「自己概念」「自己イメージ」というものです。
『エゴ(自我)』が「わたしって、〇〇な人』という『〇〇』の部分ですね。
僕はガンという体験を通じて、この「自己概念」が一回ぶち壊れるという体験をしました。そのとき、それまでの「ボクシングが大好きだった私」も一緒に吹き飛んでしまったのではないかと推測されます。
いわゆるBeing(存在)の周波数が変わってしまった…
どちら良くて、ダメどか言うことでではなく、ただ単に変わってしまった…
そういうことだと思います。
自分の周波数が変わると、それまで「普通」だと感じていた周囲と「違和感」を感じるようになります。
それは環境だったり、趣味だったり、好みだったり、対人関係(友人)だったり、様々です。
何度も言いますが、いい・悪い、ではありません。変わってしまったのです。
でも、その違和感を感じたとき、その「感覚」に従ってみること大切だと思います。
僕たちは、過去を引きずって生きています。
過去の延長線に未来を描く癖があります。
過去スキだったからと言って、いまもスキかは分かりません。
過去、大事だったからと言って、いまも大事とは限りません。
僕たちは「いま」を生きる存在です。
僕たちの目の前には「いま」しかありません。
過去は「記憶」の中にしかありませんし、「未来」はまだやってきていない「幻想/フィクション」です。
「いま」の自分からのメッセージを大切にする。
「「いま」感じていることを、大切にする。
「過去」ではなく、「いま」を生きる。
僕たちに「過去」はありません。
「いま・ここ」以外はすべてフィクション。
僕たちが生きている時間は「いま」しかないのですから。
そういうことではないでしょうか。
⑩へつづく
新刊です。
自分の魂の声が聞こえずに、何をどう生きたらいいのか分からない人は、ぜひ読んでみて下さい。このような方におすすめします。
①いまの自分が「ほんとうの自分」を生きていないような気がする
②不安や恐れがあたまから離れないときがある
③「ねばならない」で苦しくなる時がある
④自己否定感の渦に落ちしまうことがある
⑤評価や持ち物などに執着して苦しくなる時がある
⑥「心の平安」や「ほんとうの自分」は何か知りたい
ガン生還体験記はこちらです。
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