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「5年後も、僕は生きています ㉞「手放す」と「流れ」が来る。
㉞「手放す」と「流れ」が来る。
不思議なことが起こりました。
2018年11月の下旬だったでしょうか、夜も午後11時を過ぎたとき、僕の携帯が鳴りました。
こんな夜遅くに、誰だろう?
なにかの緊急連絡?
発信者を見ると、なんと寺山心一郎先生ではありませんか!
僕はあわてて電話に出ました。
「はい、刀根です。先生、どうかしましたか?」
「ああ、刀根さん、すいません。間違って刀根さんの番号を押してしまったようで…」
なんと、間違い電話だったのです。
「いえいえ、いいんです。僕は寺山先生のお声が聞けてとても嬉しいです
寺山先生の声は、とっても暖かいぽかぽかの太陽のようです。
こっちまで暖まります。
しばらく話をしていると、寺山先生が言いました。
「10日に講演会をするのですが、もし良ければいらっしゃいませんか?」
「そうなんですか? はい、ぜひ、行かせていただきます!」
ということで、10日に講演会に行くことになりました。
間違い電話から始まった、予期せぬお誘いでした。
12月10日、講演会の会場で寺山先生にご挨拶をすると、寺山先生は言いました。
「刀根さん、今日お時間を15分ほど差し上げますので、ぜひ、この会場に来ている方々に刀根さんの体験をお話ししてください」
「えっ、いいんですか?」
これも、予期せぬ展開です。
「もちろんです」
寺山先生はにっこりと笑いました。
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こうして僕は寺山先生の講演会の時間を少しいただいて、僕の体験を話すことになりました。
とくに伝えたかったことは、治療のやり方ではなく、気持ちの大事さです。
不安や恐れを外に出すこと、ガンを作ったネガティブなエネルギーを出すこと。
時間は少しオーバーしてしまいましたが、寺山先生もとても喜んでくれました。
そしてそのあと、その会の主催をしているイーハトーヴ・クリニックの萩原先生からも、こんなお話を頂きました。
「3月にガン生還者の体験談を企画しているので、是非そこでもお話しいただけますでしょうか?」
寺山先生の間違い電話が、みんなの前でシェアすることにつながって、さらに次の講演ににつながるなんて…。
これが“流れに乗っている”っていうことなんだろうか?
「手放したら、予期せぬものが、やってくる」
そんな言葉が、僕の中に響いてきました。
僕は、何か大きなものが僕を動かしているような、不思議な感覚を感じました。
同じころ、ふと思いました。
原稿、ボツになったな~
ま、あれはあれでしょうがないというか、そういう「流れ」だったってことなんだけど…
でも、なんだか心の深いところで、声が聞こえるのです。
僕の生還体験を、待っている人がいるよ
あれこれ回り道しての生還だからこそ、誰かの役に立つんじゃない?
でも原稿、ボツになっちゃったし…
僕の思考が言い返します。
また声が聴こえます。
それはさ、あの原稿がボツだってことで、また違う原稿を書けばいいんじゃない?
こんどは自分が本当に納得する、自分の原稿、体験をさ。
そうか、そうなんだ!
そう、それは直感でした。
こころと身体の両方に、魂からのメッセージがストンと、腹落ちしたような感じです。
胸の真ん中がズオ~ンっと響き、びりびりとしびれたような、魂からの合図でした。
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これか…
これが直観
よし、直感に従ってみよう。
僕は、あきらめていた出版にもういちどチャレンジすることを決めました。
で、さて、どうしよう…?
出版社に「企画書」でも書いて、送ってみる?
そう思った瞬間、心の中に違和感が走りました。
いや、それ、なんか違う。
それじゃ今までと同じ“DOING”になっちゃう。
同じことやったって、意味がないし。
そもそも、それ、「いまの僕」じゃない。
う~ん…
しばらく考えていたら、ふと閃きました。
そうだ、フェイスブックに記事を書いてみよう!
イメージ的には、池の中に石を投げて、静かに波紋が広がっていく…
その石を、ポーンと、投げ入れる…
そんな感じです。
僕はさっそくPCを開き、フェイスブックに記事を書きはじめました。
一度だけ、そう、一度だけ記事をアップしよう。
何度も書くのは
「違う」
「それじゃDoingでしょ」
一度だけ記事にしてみて、結果につながらなければ、ほんとうに諦めよう。
僕の直感が、そう言っていました。
『こんにちは、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、依然書いていた本が出版社の都合でボツになりました。
このまま埋もれさせてしまうのはもったいないと感じています。
どなたか出版社関係の方をご存じの方がはいらっしゃいませんか?』
するとさっそく、たくさんのコメントが入り始めました。
その中でも、3人の方に「知人に出版社の人がいる」と、返信を頂きました。
おお、来た。
これが「流れに乗ってる」ってことなのか。
これが自分を「手放し」て、周囲、いや、広くは「宇宙」に頼るってことなんだな。
これが自分を「手放し」て、周囲、いや、広くは「宇宙」に頼るってことなんだな。
僕は、その友人たちに連絡を取りました。
一人目は、僕が心理学を教えた女性でした。
「知人に出版社の人がいます。ぜひお力になりたいです」
半年ほど前、彼女は僕の生還体験を真剣に聞いてくれていたこともあり、とても熱心に返事をしてくれました。
二人目は、2008年に僕が『ストローク・ライフのすすめ』を出版したとき、そのきっかけを作ってくれた佐藤岬さんでした。
岬(みさき)さんは、当時(2008年)東京・赤坂でスペイン料理店『岬んち』を経営していて、スペイン大使館主催のオムレツコンクールで金賞を取ったこともある、腕利きのシェフです。
彼の作るスペインオムレツは、美味しくてため息が出ます。
生きててよかった、と感じられる料理を作るって、すごいことだと思います。(今はお店を閉めています)
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僕との出会いも不思議なご縁で、実は同じボクシングジムで一緒に練習をしていたボクシング仲間だったのです。
一緒に練習したり、殴り合ったりしているうちに仲良くなり、いろんなことを話すようになりました。
そして、岬さんのお父さんが著名な編集者だというつながりで、僕の最初の著者「ストローク・ライフのすすめ」は世に出ることになったのです。
しかし、お父さんは数年前に僕と同じ肺ガンになり、惜しまれつつも他界していました。
僕もお別れ会に参列しましたが、まさか、数年後に同じ肺ガンになるなんて、露ほども思わず…
岬さんからは、こんなお返事を頂きました。
「以前お会いしていただいたこともある編集をやっている方にお話をしたら、ぜひとも原稿を読ませていただきたい、と言っていただきまして、それと一緒にぜひお会いしたい、とも言っています」
「ありがとうございます!」
三人目は、これも、ボクシングジムからのご縁でした。
僕がトレーナーになる前ですから、もう15年以上前になります。
そのころの僕は、仕事が忙しくてジムに行く時間が遅くなり、毎回ほぼ夜9時過ぎにジムに入り、10時過ぎまで身体を動かしていました。ジムを出るのは10時半過ぎくらいでした。
その時間帯はさすがに人も少なく、一緒に練習するメンバーはほぼ同じでした。
その中の一人に小西さんがいました。
小西さんは仕事の都合で途中からジムに来れなくなりましたが、フェイスブックでのつながりは残っていました。
もう15年以上、会っていません。
その小西さんから、連絡が来たのです。
「こんんちは。同級生が出版社に務めています。ご紹介してもいいですか?」
「もちろんです! よろしくお願いいたします」
どこが、どうつながっていくかは、さっぱり分かりません。
すべて僕の見えないところ、見えない世界で起こっていることなのです。
ひらめいたことを、迷わずに実行すること。
直感に従って、何も考えずに動いてみること。
具体的に動けば、具体的な動きが、宇宙の返事となって返ってくるのです。
1週間もすると、それぞれの人たちからの次の返事が返ってきました。
㉟へづづく
「5年後も、僕は生きています」第1話から読みたい方はこちらからお読みくださいね。
僕自身の体験と気づきの「生還記」です。肺がんステージ4宣告から、生還までの体験記(2016年9月~2017年7月まで)です。
発売以来のロングセラーとなっています。
斎藤一人さんからもご推薦いただいております。
何かのご参考になれば光栄です。
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