「照見五蘊皆空 度一切苦厄」
こんにちは。
今日もいい天気。
般若心経の僕なりの解釈の続きです。
前回、 般若心経の意味は「素晴らしき 向こう側に渡るための教え」と書きました。
今回はその続き「照見五蘊皆空 度一切苦厄」のところ。
「照見」は照らして見る、ということ。
何を照らして見るのかというと、それは「五蘊」です。
五蘊とは「色受想行識」の5つをさします。
それぞれの漢字の意味は、
色…物質
受…感覚器官(眼・鼻・ 耳・舌・身体感覚)
想…サングラス、概念、見え方
行…エネルギー、・思考・行動
識…・データ化・データバンク
つまり、感覚器官で外の世界(物質世界)をキャッチし(①)、
それを概念というフィルターを通して無意識に選別し(②)、
思考や行動といったエネルギーに変換し(③)、
それを記憶という形で蓄積していく(④)
という流れです。
僕たちはこの五蘊の流れで3次元世界を生きています。
ブッダは瞑想を通じてこの五蘊が全て「空」であるということを見抜いた、というのが「照見五蘊皆空」ということです。
では「空」とは何か。
僕が思うに「空」とは「 エネルギー」のこと。
量子力学的に言えば物質と空間は同じです。
全てはエネルギー。 全ては波動。
素粒子が止まっていればそれは物質で、素粒子が動いていればそれは波となり、空間になります。(図参照)
それが「色即是空
空即是色」の意味でもあります。
ブッダはそれを見抜いたのです。
僕たちが見ていて「 リアル」に感じていたもの 捉えていたものは、実は「リアル」ではない。
それはあくまでも僕たちの感覚器官がとらえたものを、今までの経験や概念や思考が構築し直して作り上げた、いわゆる幻想の世界なのです。
目の前にある世界は、本当には存在しない。
そこにあるのは全てを含んだ「空間」だけ。
それが「全ては空である」という意味だと、思います。
そして、それが腑に落ちたとき、全ての苦しみや災厄を度することが出来る。
度というのは「渡す」 と同じ意味で使い、僕の私訳としては「渡りきる」と 捉えています。
つまり続けて翻訳してみると
観自在菩薩(ブッダ)が瞑想を通じて深く深く自分の内面に降りていったところ、
僕たちが見たり聞いたり考えたり行動したりしていること全ては、実際の「リアル」ではないということが分かった。
それが本当に腑に落ちた時、全ての苦しみから脱することができた。
ということなのでしょう。
僕たちは「五蘊」に囚われています。
五蘊がこの世界の全てだと思っています。
そうではない。
五蘊は自分の脳内の幻想である、フィクションである、ということに気づくこと、知ること、見抜くこと。
全てはこの3次元世界を体験するために僕たち(宇宙)が創り上げた「体験劇場」なのです。
深刻に眉間にしわを寄せ、サバイバルでこの世界を体験するのではなく、遠足に行くように、遊園地で遊ぶように、この世界を楽しんでいきましょう。
それが「度する」ということなのでしょう。
だって全ては「照見五蘊皆空」なんですから(^-^)。
今日もいい天気。
ご機嫌で遊びましょう!