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【第25話】アゲインストの風の力に

注:この物語は、私の身に起きた「完全実話」ですが、
プライバシーに配慮し、登場人物や企業名等は原則仮名です

(前回より続き)

前回、なぜ私が、異動から僅か1か月でいきなり成績が上がったのか、二つの部門にあった盲点と、その背景をお話した。

そこだけを聞くと、まるで私が何の苦労もせずに、ラッキーだけで成績が上がってしまったように思った人もいたかも知れない。

しかし、現実的にはもちろん、相当な努力もした

私も、外交セールス部の先輩方に見習って、通勤・帰宅ラッシュの駅前で、毎日のようにチラシを配った。

チラシのハンディングと一言で言っても、コツがある

地域によっても反響の質が違ったり、差し出すタイミングや、手の高さも関係がある。

駅の形状によって人の流れを読み、配りやすい場所を探った。

都内の各所で、人の流れ、配りやすい時間帯などのデータを取って分析した。

そして、その情報を、部内のみんなで共有した。

ポスティングも、集合ビルの多い地域をリストアップし、効率よく回れるルートを検証し、片っ端から回った。

恐らく、東京23区内の大半のエリア、少なくとも山手線内は、行ったことがない場所は無いのではないだろうか

ポスティングをするときには、大きなアタッシュケースに何百枚ものチラシを入れて、持って歩かなければならない。

ケースの重さも入れて、10kgは優に超える重さだ。

それを持って、都内中を歩いた。

成功を夢見ていた私は、

「このケースの中身は今はチラシだが、この苦労が結果として中身を札束に変えるんだ」

なんて自分に言い聞かせながら出かけた。

少し話しはそれるが、私の新しい上司となった今井次長は、山川本部長とほぼ同期で、以前は、共に電話営業部の営業マンとして、トップクラスの成績を競い合っていたそうだ。

その後、山川本部長は電話営業部のトップに。

そして、今井次長は、外交セールス部の中で、当時、比較的知名度が低く、売上も伸び悩んでいたB商品を扱う新部署の立ち上げを会社から任された。

しかし、電話営業部と異なり、顧客開拓から全てをやる外交セールス部において、すぐに会社に貢献できるような売上を出すことは非常に難しい

特に、なかなか軌道に乗らないB商品を扱う新部署は、まるで、会社のお荷物部門のように扱われ、相当悔しい思いをしてきたという。

電話営業部の売上記録更新で打ち上げがあった時、その宴席で、当時、うだつの上がらない外交セールス部は、非難の矢面となってしまったこともあったらしい。

だから、電話営業部と外交セールス部は、どことなく交わらない感じがあった。

古参の社員は、今井次長のかつての実力を知っているので、手腕を発揮しにくい部門に回され、空回りしているだけだ、と思われていた。

しかし、今井次長自身は、この厳しい条件の新部署にあっても、ここで何とか一花咲かせたいと夢を語ってくれ、私もそれに共感した

私は、自分自身のために頑張ったのはもちろんだったが、何とか、今井次長の力になりたい、という気持ちも強かったのだ。

また、外交セールス部は、基本的に「ユーザー上がり」の営業マンが多い。

そう、電話営業部時代に、「田久保が売れないのは、ユーザー上がりだからだ」というレッテルを貼られた、あのジンクスの対象者だ。

事実、山川本部長が睨みを利かせていたために、電話営業部では常に絶えなかった、ピリッとした緊張感の空気は、外交セールス部にはあまり無かった。

それがこの部の良さでもあったが、何となくマンネリした売上のままで停滞していた要因が、ここにもあるようにも見えた。

ユーザー上がりであることそのものが、マンネリ化の直接的要因とは思わないが、風潮として「だから外交セールス部は売れない」という空気を、受け入れてしまっていたような側面もある。

「ユーザー上がりの俺たちだって、これだけ出来るんだ」

自分の心に以前から何となくあった違和感も手伝って、ここで実績を上げて見返してやろう、という気持ちがあった。

こうしたさまざまな思いや状況は、まるで離陸時の飛行機のように、アゲインストの風となって、私を高い空へと押し上げる力に変わっていった

(次回へ続く)


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