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【コラム6】「脳」を創造した偉大なる"何か"と ~成功法則・願望実現法 その1~(後半)
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プライバシーに配慮し、登場人物や企業名等は原則仮名です
コラム『心の旅の協力者』6
例えば、前半に書いた、恐怖心という「妄想」に立ち向かい、行動に踏み込ませるためのノウハウなどは、非常に有効的だ。
私が営業マンとして電話営業をしていた時代、「また断られるんじゃないか」という恐怖心や、湧き上がるネガティブな思いにグッと立ち向かい、
受話器を取り続けるという「行動」を起こさせたのも、この成功法則のノウハウの一つとも言える。
そしてもちろん、その行動がなければ、外交セールス部に移動してからも、私は業績を上げることなど出来なかった。
しかし時に、その有効的な手法すらも、正しい使い方が出来なければ、むしろ間違った方向に自分を進ませる推進力になってしまうこともある。
同じような意味で、以前、私がX(旧Twitter)で、
『「信念の力」は、時に強烈な創造のパワーになるが、盲目になって間違った方向に突進する欠点もある』
というメッセージをつぶやいたら、ある人からこんな言葉が返ってきた。
「間違った信念か、正しい信念か、自分で判断することが難しいと思うのですが…」
プラス思考は「信念」とはイコールではないが、私の営業マン時代の「信念」とは、絶対的な揺るがぬ「プラス思考」であったと表現することも出来る。
私は、営業マン時代には、この「プラス思考」でそれなりの業績を上げることが出来たのだが、
その一方で、独立した後には、その徹底的な「プラス思考」こそが、自分を盲目にさせ、自分自身を苦しめる要因になった。
確かに、プラス思考を「行動を促す原動力」とするのか、それとも「本当はそう思えないのに、自分の感覚神経を麻痺させてフタを被せる様に使ってしまう」のか、
その使い方の間違いに自分で気づくのは、判断が難しい時もあるかもしれない。
深い意味では、自分の奥深くに存在する「本当の自分」が、実は教えてくれていて、それは様々な心の反応や現象面に常にメッセージとして示されているのだが、
あまりにも信念が強固になってしまうと、自分のセンサーが完全に麻痺して、メッセージをキャッチできなくさせてしまうことがあるからだ。
更に奥深く言ってしまうと、「本当の自分」はそのメッセージを無視し続けても、手を替え品を替え、人を介したり、病気という信号に現したり、あらゆる手段を使って、自分が気がつくまでメッセージを発信し続けてくれる。
だから、「麻痺してしまうことによって、そのメッセージはどんどん強烈なものとなり、終いには爆弾のような巨大なメッセージを受け取る」という経験を通して、役割に誘われることもあるのだが、
その部分はもう少し、今後の記事の中で深く触れていきたいと思う。
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さて、私はなぜ、「成功法則」や「願望実現法」によって、若い頃に立てた自分の目標を実現したにもかかわらず、その後、今度は同じそれらの「手法」によって、迷いと苦難の道へ入ってしまったのだろう。
「自分探しの旅の大いなる流れ」という視点をちょっと脇に置き、この時代の自分の過ちにスポットを当てて考えてみた。
「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」
という言葉がある。
つまりこれは、中庸の重要性を説いた言葉だ。
私たち人間は、「脳」(思考)という道具を持つことで、他の動物から比べ、極端に運動能力が低いに関わらず、種を存続させ、更には文明を発達させた。
しかし、同時に私たち人間は、その「脳」で作りあげた様々なもの…例えば「核兵器」など、自分たちを一瞬にして自滅させるものまで作りあげた。
この「脳」を道具に例えてみよう。
仮に、目の前に見たことも聞いた事もない道具があるとき、私たちはどうするだろうか。
きっと、その道具を作り上げた人に、「何のために作った道具ですか」「どう使うのですか」と、その存在の「意図」と「使い方」の両方を聞くのではないだろうか。
単に使い方だけを学んでも、その道具が作られた元々の意図を知らなければ、使い方を誤り、目的を違えてしまうだろう。
私たち人間の「脳」という道具にも、「脳」を創造した偉大なる“何か”の意図がある。
しかし、私たち人間は「脳」という道具の使い方はたくさん学ぶが、その存在の「意図」を知らずに行き過ぎてしまったのではないか。
その「神」とも呼ぶべき偉大なる“何か”の意図とは、つまり、「普遍意識」「宇宙意識」のことだ。
「脳」という道具を使うには、ただひたすらに使い方を学び、その技術を磨くだけではなく、その「脳」を使うための「意識」もまた、同時に発達させる必要がある。
「意識」というより、「魂」と言うべきかもしれない。
今、私たちには、その「脳」と「魂」のバランスを取る時期が訪れているのかもしれない。
私は、営業マン時代に培った「成功法則」という道具を、ある時点から、「魂」を置き去りにして、磨きすぎてしまったのではないか。
だからバランスを取るために、魂を磨くための期間が用意されたのではないかと思う。
そして、営業マン時代の私には気づくことが出来なかった、もう一つの「成功法則」や「願望実現法」の落とし穴があった。
その事実に、当時の私は目覚めることは出来なかった。
そうやって、「気づく事が出来なかった」ことで、頭だけではなく体でその事実を学び、今の役割を果たす上での必要な経験をさせてもらったのだろう。
この「成功法則」や「願望実現法」の落とし穴については、この先のコラムでも触れたいと思うが、
その前に、まずは、私が実際にこの「落とし穴」にはまっていったプロセスを、「自分探しの旅」の本編の中で描くことにしようと思う。
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