見出し画像

【第19話】神のオブジェの片鱗

注:この物語は、私の身に起きた「完全実話」ですが、
プライバシーに配慮し、登場人物や企業名等は原則仮名です

(前回より続き)

私が入った電話営業部の中には、 ”ユーザー上がりは売れない” というジンクスがあった。

ユーザー上がりとはつまり、この会社に入る前に、一般の商品ユーザーの一人として商品を購入し、後に社員になった人のことを指す。

なぜ、ユーザーだとダメなのかと不思議に思うが、確かにその当時、その部署では、「商品」から入社した人と、「会社」に入って商品を知った人とでは、成績に差が出る傾向にあったことは事実だった。

一般的にも営業の世界には、「商品に惚れるな」という言葉があるように、「商品」に思い入れがあり過ぎると、「営業」という仕事に焦点が定まらなくなる人が多いのかも知れない。

しかし、私の本音には、微妙な違和感があった

私は、この会社で扱っている商品が、自分が心の底から良いと思える商品だからこそ、人に紹介したいと思っていた。

もちろん、私だけではなく他の社員も商品に対する想いは人それぞれにあったはずだ。

でも、私は「自分が好きな商品じゃなければ絶対に売れない」という想いが、他の人より特に強烈だったように思う。

そして、この数年後、私の商品への強い想いこそが、別の形で私の人生に大きな影響を与え、私はまたしても人生を180度転換させる日が来るのだが、

それはまだ、この時には予想すらできない、遠い将来の話だ。

では、なぜ、売れなかったのだろうか

人は誰でも、「なぜこうなってしまうのだろう?」と思う様な出来事に、遭遇することがあるだろう。

「どうしてこんなことが起こるのか?」

「なぜ、こうなってしまったのか?」

そもそも、私たちが疑問を抱くのは「理解」ができないからだ。

通常、理解とは、自分の過去の経験で知っている範囲のことを指す。

または、自分の肉体の知覚器官で認識できる範囲のことだ。

その領域を超えると、人は「なぜ?」と疑問を抱く。

しかし、例えば人間が肉眼で認識できない、可視光線を超えた領域にも「紫外線」や「赤外線」が事実として存在する。

高い山に登れば視点が変わり、見える範囲も変化する。

真実とは、私たちが認識している範囲だけではないのだ。

もしも、私たちの理解を遥かに凌駕する究極の視点、「宇宙意識」「神の視点」からこの世の事象を見ることが出来たなら、「なぜ」は「そうだ」に変わる

その視点から全ての物事を見たら、全てが必然であり、「なぜ」ではなく、そうなるべくしてなっているという、事実がそこにあるだけだ。

「なぜ?」「どうして?」と疑問を持つ事は、決して悪い事ではないが、

疑問への答えが見つからない時、得てして人は、その「疑問」を、自分自身や周囲の人、そして事象などを責めるための「道具」にしてしまうことがある。

その「責める」気持ちが、私たちの心に最も良くない影響を与える

自分の中の究極の視点の存在を認識できると、

「今の自分には分からないけど、完璧で必然な流れなんだ」

という事実を受け入れられるので、波立った心を、凪の状態に戻すことが出来る。

今になって当時を振り返ると、入社して10ヶ月もの間、これだけ努力しても成績が伸びなかった事実と、それでも自分の心が折れることなくこの仕事を続けられたという事実は、

実は、「神」「宇宙意識」つまり自分本来の姿である「普遍意識」の計らいだったとしか思えない。

一つ一つの点と線が結びつき、大きなオブジェを描く。

そのオブジェは、渦中にいる間は決して見えないだろう。

私は電話営業部で伸び悩んだ当時、神の計らいによって描かれた、大きなオブジェは見えていなかった

しかし、入社から10ヶ月を過ぎた頃、神のオブジェの片鱗を垣間みるような出来事が起きる。

10ヶ月伸び悩み、それでも辞めなかったことを「そうだったのか」と分かる日が来るのだ。

この頃は苦しくて、何も見えていなかった私だったが、私自身の心の奥にある「本当の自分」は、自分が最も必要な場所へ導かれることを理解していたのだろう。

(次回へ続く)


→続きを読む

→『自分探しの旅』をはじめから読む
→『自分探しの旅』目次はこちら



いいなと思ったら応援しよう!