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【第50話】自我の終焉へのプロローグ

注:この物語は、私の身に起きた「完全実話」ですが、
プライバシーに配慮し、登場人物や企業名等は原則仮名です

(前回より続き)

「本当の自分」は、すでに完全で完璧で、何一つ欠けていない、ただひとつの普遍意識

この辺りの話は、精神世界や真理を求め、「本当の自分に出会いたい!」と思っている人には当たり前の話かも知れない。

しかし、どれだけ追い求めても、この結論に到達しないまま、外にある「何か」に救いを求め、彷徨っている人も結構いるのではないだろうか。

私自身、やはりこのような結論に達したのは、単に書籍などで情報を集めたから、という理由だけでなく、

思春期のコンプレックスから脱却し、学生プロレスであれだけの栄誉や名声を掴んでも、むしろ強烈な虚脱感に襲われた経験や、

能力開発教材の会社で営業マンとして磨かれ、永続的な実績を上げていても、常に満たされない心から逃れることの出来なかった自分・・・

そういった、外にある何かを掴むことで自己を確立しようとしては崩壊していく様を、自分の実体験として繰り返して来たからこそ、得られた視点であったと思う。

少なくとも、若いときの「頭でっかち」で、知識だけは豊富で、何も行動せず、頭で「わかった」ような気持ちになっては、知識で人を裁いたり、外に救いを求めるばかりの自分だった頃には、決して辿り着けない結論だったと思う。

「・・・なるほど。

だとすれば、この有限の「肉体」を自分だと信じ込んでいる自分が、どこまでいっても、その不完全さを補うべく、様々なものを求め続けるのは当然だな。

これが飽くなき欲求の正体だ。

じゃあ、その普遍意識に目覚めるには、一体、どうしたらいいんだ??」

理論上では結論に達してみても、やはりそれはどこまでいっても理論に過ぎず、実際に「本当の自分」に出逢わなければ、この飽くなき欲求から逃れられない…

徐々に私の心は、「本当の自分」を実体験するための手段に焦点が移行していった。

当時、私が触れた多くの情報の中にも、明確に「人間の実在は宇宙意識」と言い切る情報は沢山あった。

しかし、「宇宙意識に目覚める方法は?」となると、途端に曖昧になって、掴みどころがない。

ただ、私が知り得た情報を総合的に見てみると、私たちの「五官」と波立つ「心」が邪魔をして、その実在を見えなくさせている、という理論は分かった。

ならば、その「心」をクリアにし、変性意識状態になれば、高次元にアクセスする事が出来る…そんな図式が見えてきた。

今では、この論理にも少々破綻があることは分かるのだが、この当時は当然、そんなことまでは分からない。

また、「高次元の意識」もまた様々な表現がある。

例えば一般的には「ハイヤーセルフ」など。

確かに、ハイヤーセルフとの繋がりも興味があるし、以前、貪るように読んだチャネリングなどにも関心はある。

しかし、私の感覚からして、「ハイヤーセルフ」の声を人にチャネリングしてもらうことと、自分自身が「本当の自分」に目覚めることとは、ダイレクトには繋がらなかった

「宗教などに入って修業をするのか?」

「LSDみたいな薬物や、意識を変容させるお茶とかを飲めばいいのか?」

過呼吸の手法や、その他、かなり怪しいものまで含めて、様々な情報を収集し、実行可能なものは貪欲に実行した。

(LSDとかの薬物はやっていません。念のため。しかし、こういったことに関する書物は、とにかく読みまくりました)

とにかく様々な手法をあらゆる角度で模索する中で、自分が納得し深く追究して取り組みたいと思った手法が「瞑想」だった。

以前から瞑想は、若い頃から興味があったし、能力開発教材の会社にいた頃にも、能力開発の一手法として実践していた。

しかし、その頃はどちらかというと、イメージトレーニングや癒しが目的で、「本当の自分に目覚める」という、本来の瞑想の目的で実践したことはなかった。

そしてこの頃、少し前から読んでいたある瞑想の本にかなり強烈に影響を受け、その本で紹介されていた、変性意識状態の瞑想をするための機械を購入し、自分なりに瞑想を実践してみた。

しかし、如何せん我流だったので、もしかしたら正しいやり方からズレていて、無駄になっているのでは?という不安から、直接教わりたいと思い、更に情報を集めた。

その本の著者は、活動拠点が東京ではないために、直接の指導は無理だったが、その弟子の一人が、東京で瞑想教室を開いていることが分かった。

即コンタクトをとって教室に入会した。

「月末には借金か…」と半分覚悟していた、丁度その頃のことだ。

自分の貯金も底を尽きかけており、会社の経営も最悪の状態になりつつあった時期だった。

教室初日。とにかく暑い日だった。

最寄の駅を降り、真っすぐな道を12~3分歩くと、その先に、古い公民館のような建物があった。

瞑想教室は、その建物の一室で行われていた。

先生は、この瞑想教室で生計を立てていたようだったが、生徒は10人もいなかったと思う。

以前は、ある外食産業のチェーン店でかなりの実績を上げた店長さんだったらしいが、この瞑想の開発者の先生と出会い、弟子となって自ら教室を開くようになったそうだ。

愛想の良い、でもまだ瞑想を極めたような感じではなく、先生も板についてない様子だ。

「修行の身として、瞑想教室を一生懸命やっていますが、そんな僕自身も結構まだ迷いも多くあります…」

そんな感じだった。

しかし、悪いイメージではなく、正直で誠実な印象ではあった。

その日は基礎コースで、先生ともう一人の生徒さんと私の3人。

その内容は、非常に興味深いセッションだった。

「潜在意識」と「顕在意識」がなぜ分離してしまったのか、という説明から始まった。

そしてその理由とは、「自分にウソをつくから」「自分に言い訳をするから」ということだった。

ここで行った瞑想のセッションから、私は無意識に自分についていた「意外な嘘」に、少しずつ、目を向けざるを得なくなっていく。

それは ある意味、凄まじいほどの「自己の崩壊」の体験であり、私が最も見たくなかった自分に向き合う、強烈に苦しい体験の始まりだった。

そしてこれが、自我を終焉させるための、本格的な、棘(いばら)の道への入り口でもあった。

(次回へ続く)


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