【第41話】決断…魂の修行へ
この時の自分の気持ちを部分的に捉えると、なんと幼稚で、社会をなめた甘い発想だったのだろう。
しかし、当時の自分は、完全に盲目になっていた。
ましてや、その無責任な甘い発想が、もっと大きな視点で見た時に、私の魂の修行のための完璧で絶対的な必要プロセスだったことなど、知る由もなかった。
日に日に、今のこの窮屈な環境から抜け出して、東山さんと一緒に新しい会社を経営し、自分の好きな分野だけを自由に追究して大成功をするんだ、という気持ちが急激に膨らんでいった。
またしても、成功の甘い夢に取り付かれて、同じ過ちを繰り返そうとしている自分がそこにはいた。
流石に以前とは違い、熟慮があっても良さそうなものだが、今回は違う意味で、更に厄介な自分だった。
この頃、私が自分に対しやったことは、それまでの成功哲学で強靭なまでに培ったプラス思考による、徹底的な自己説得だった。
(・・・そうだ、俺は出来るんだ。
ほら、最近では、みんなが独立すればいいって、シンクロのように言ってくるじゃないか。
北野本部長も去ってしまったし、自分はここまで実力もつけ、信念の力だってこんなに身に付いた。
俺はもう、どこでだってやっていける。
・・・確かに一からの立ち上げで大変だろうけど、多少の蓄えもあるし、大丈夫、大丈夫・・・。
きっと半年もすりゃ一気に軌道にのるさ・・・。
そんな、今の心の奥にある、小さな心配なんて、プラス思考で乗り越えりゃいいんだから!)
こうやって、一瞬自分の心の奥によぎる心配を、持ち前のプラス思考でグイッとフタをし、
自分の「独立」という選択を、あらゆる角度から正当化した。
心の奥から湧き上がる正常な信号から目を伏せ、それに反応しないように、必死に感覚を麻痺させたのだ。
まさかこの、自分の感覚を麻痺させるという、プラス思考の間違った使い方によって、この先、強烈な苦悩を経験することになるなどとは、思いもよらなかった。
僅かに残っていた不安という心のセンサーは、独立への大きなワクワク感の中で、露と消えた。
「よし!決めた!」
あとは妻を説得するだけだ。
妻にこのことを伝えると、当然、不安そうではあったが、フリーター時代の不甲斐ない自分とは明らかに違っていたし、
その時の私の自信に満ちた態度や、独立への熱意の勢いは、信頼を与えるというよりは、妻の不安を吹き飛ばすような感覚だったと思う。
また、この時代の超多忙さで、ほとんど家庭を顧みる時間も取れず、1歳を迎えようとしていた息子の世話も全て妻まかせだったので、「独立したら、もっと家族との時間も増える」という私の言葉に、妻は反応したのではないかと思う。
浅はかな自分は、まるで全てがお膳立てされた企業を当たり前と勘違いし、別の企業に転職するような、非常識な程に軽い気持ちだったに違いない。
営業力と強い信念があれば、全てやっていけると大きな錯覚をしていた。
独立起業という意味が全く解っていなかった。
若さや浅はかさは時にとても恐ろしい。
だからこそ、思い切ったことが出来るし、
だからこそ、今の自分に繋がっているとも言える。
この時の私の失敗談が、大きな経験を生む。
この経験がなければ、今の自分はいない。
誰もがそうやって、あらゆる経験を積み、失敗も成功も、全てが協力者となって、本当の自分へと導かれていくのだろう。
今、幸せな自分がいるからこそ、俯瞰して笑いながら、この時代を懐かしく振り返ることが出来るのだけれど。
しかし、これから始まる苦難の時代は、思い出すだけで胸が苦しくなる。
その苦難の時代に巻き込んでしまった家族や周囲の人々。
その人たちへの無責任な自分の行動や、自分の甘さの部分だけに想いを馳せてしまうと、苦しい感情と共に、自責の念で、今でも胸が締め付けられるような辛い気分になる。
今、究極の真理に気づき、感情の波に呑み込まれることなく真実の視点から俯瞰して過去を振り返れるからこそ、自分の恥ずかしい過去も明らかに出来るが、
この後の人生で、「本当の自分」とは何かを正しく理解する経験がなければ、一生の恥として胸の奥に思い出を封じ込め、こうして自分の過去を世間にさらすことは、決してなかっただろう。
さて、決意も固まり、妻の承諾も得た。
東山さんに、決断を伝えた。
少なくともここまで、多くの苦労をして立ち上げたのだから、新会社の社長は彼がいい。
私には肩書きにはまったくこだわりもなかったし、まして、何もせずに後から来て、社長面などしたくなかった。
私は共同経営者として彼の会社に名を連ね、とうとう新たなステージへとその一歩を踏み出した。
社内では、まず直属の上司、山川本部長に辞職の意を伝えた。
きっと、当時の私の実績や立場を考えても、それを全て捨てて会社を辞めると言うのだから、よくよく考えた末の決断だと思ったのだろう。
「残念だけど、わかった。引き継ぎを頼む。」
そうして、すんなりと受理された。
今井次長がまだいた当時から、常に私をサポートし、年下の私にずっとついて来てくれた、最も信頼出来る部下の高岡さんにも、その後すぐにこの事を伝えた。
最初はかなりびっくりしていたが、私の性質や人となりをずっと傍で見て理解してくれていた高岡さんは、受け入れも早く、その後の引き継ぎを快諾してくれた。
お世話になった方への挨拶も込めて、社内に自分の退職を知らせるメールを配信すると、私を育ててくれた今井次長から、ほどなく返信のメールが来た。
私はそのメールを印刷し、今でも大事に保管している。
そこには、全く今井次長らしいユーモアと、愛溢れる言葉が書かれている。
「・・・あまりに急で、贈る言葉も見つからないが、自分自身の決断を信じるしかない。
とにかく奥さんのため、息子のため、そして自分のために、火の玉のように生きてくれ。
(ヒトダマじゃないぞ。念のため)
つきなみだが、頑張れ。
気合い入りまくった人生を祈る。またな。」
まだ春寒の、風も冷たい3月初旬。
私はついにこの会社を退職した。