【コラム2】あなたはノアの箱船に乗れるか? 〜チャネリング・バシャールと日月神示〜(後半)
コラム『心の旅の協力者』2
(前半より続き)
禅宗には「不立文字」という言葉がある。
「悟りとは言葉によって表現できるものではない」という意味だが、その言葉の通り、心の世界は掴みどころが無く、どれだけ繊細に表現しても、それを受け取る相手の心によってフィルターがかけられ、いかようにも意味が変化してしまうきらいがある。
私も当時の自分の心のフィルターで、自分の都合の良い様に解釈して捉えていたからこそ、このような間違った捉え方をしてしまった。
だからと言って、今でも全てを理解している訳ではないのだが、現在は「心の世界」を表現する側の立場になって、その難しさを痛感している。
どんなに丁寧に説明したつもりでも、10人いれば10通りの解釈となり、中には誤解によって折角の機会を損失させてしまうこともある。
私が、心の世界について「理解」だけではなく「現実」が変わらなければ意味が無いですよ、という点に重きを置いてクライアントに話をするのは、ここに理由がある。
とにかく私たちは、何か得体の知れない大いなる力、特にチャネリングのような、一般的に現実離れしたものに弱い。
「アセンション」という言葉に、悩みや不安から全て解放された状態をイメージし、そこに強烈な魅力を膨らませてしまう。
この分野に全く興味がない人も沢山いるが、特に大きな悩みや問題を抱えていたり、心に迷いや不安がある時には、普段ではスピリチュアルに興味のない人まで、このような世界に惹かれてしまうことがある。
その仕組みは、やはり現実逃避からくる。
この社会人に成りたての頃の私の場合などは、成功できない者の遠吠えにも近い。
この手の書物に書かれたことは、本質を捉えて深く理解し、現実から目を背けるのではなく、むしろ現実に向き合ってきちんと生かせれば、非常に私たちを生き易くしてくれる手助けになることが多い。
例えば「バシャール」の本などは、最近でもまた、色々な著名人との対談本なども数多く出版され、今のこの立場になった私が改めて読んでみると、その表現などには学ぶべき点も多く、やはり心の世界の奥深さを実感させてくれる。
しかしその一方で、こういう「チャネリング」や「啓示もの」にハマっていく人たちの中には、残念ながら、社会人に成り立ての当時の私のように、なかなか現実社会でその本質を生かしきれず、
一歩間違えれば、単なる精神世界オタクとなってしまう人が数多くいることも事実だ。
その理由は明白で、現実から逃避して、そのような「神秘的な世界」に依存し、自分ではなく、そのような畏敬の念を持って見ている高次の世界(又はそのような対象の人)が、自分を救ってくれるはずだと信じてしまうからだ。
本来は、その「対象」も、自分の目の前に起こっている「現実」も、自分と分離などしてはいないのに、その事実には気づかず、また目を向けようともしない。
今になって思えば、「サラリーマン」であろうが、どんな仕事に就こうが、しっかりと地に足を付け現実を見据えた上で、自分の人生の本質に、こういう精神世界を生かすことこそ意味があるのであって、
知識や観念だけで分かったつもりになってしまうことは、むしろ知識が無いことよりも厄介な場合が多くあるように思う。
事実、その時代の私は、心がいつも波立ち、仕事も現実もぐちゃぐちゃだったのに、
当時、精神世界の知識のない人たちを見ては、地道に働く彼らを見下す気持ちが、心の中にあったことは否定できない。
しかし、「精神世界」に引き寄せられ、大いに魅力を感じつつも、不思議と自分の気持ちの中には、そのような類いのものにハマっている人たちから自然と感じる、
「こういう精神世界などに関心を寄せている私達って、崇高でスピリチュアルで、いつか大洪水がきてもノアの箱舟に乗れるのよ!」
といった匂いに、常に違和感や嫌悪感があった。
そのような「仲間」の人たちの中に行くと、そこに居場所を見つけられない自分がいた。
そして、その違和感こそが、私を次なる「成功哲学」のステージへと導くことになった。
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