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【コラム5】使命に導かれる出逢い 〜因と縁〜(後半)
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コラム『心の旅の協力者』5
仏教の世界でよく使われる「因・縁・果」という言葉がある。
私は、仏教について深く語れるほどの豊富な知識を持ち合わせている訳ではないが、この3つの言葉の奥に秘められた意味を、このように解釈している。
「縁」とは、その存在だけでは自分にとって意味を成さないこともあるが、自分の中にその縁に反応を起こす「因」が存在すると、花が咲き、やがて「果」となる。
「縁」とはすなわち「自分自身に出逢うこと」なのだ。
自分の中に「因」があるのだから、その必要な「縁」に反応を起こすタイミングは、自分自身が決めている、と言える。
しかしそれは、自分の「頭」で意識して決めているのではない場合がほとんどで、それは、無意識の領域や、「本当の自分」という、深い意識が引き寄せていることが非常に多い。
何故なら、意識領域で引き寄せるレベルより、無意識領域や、その更に奥深くの領域の方が、引き寄せる引力が圧倒的に強いからだ。
自分で「縁」を引き寄せているのだから、出逢う人や目の前に起こることに、不必要なものなど存在しないし、そのタイミングが完璧なのも、ごく自然なことと言える。
同じ本屋に行き、同じ棚を眺めても、手に取る本は人によって違う。
同じ人から同じ話を聞いても、感動する人もいれば、気にも止めない人もいる。
自分の中に、その人や物・出来事などに反応する「因」があって、初めて「縁」が生かされ、「果」と成る。
「因」とは物事の原因、つまり植物に例えれば「種」とも言えるだろう。
種は、もともときれいな花を咲かせるために必要な遺伝子を、もう既にその種皮の内側に持っている。
最初から、その花を咲かせる使命を持って存在しているのだ。
しかし、その花の種を何にも触れさせず放置していては、絶対に花は開かない。
花が開くためには、土や水、空気、太陽など、様々な縁との出逢いが必要だ。
全てのあらゆる縁が見事に重なり合って、初めて種は開花することが出来る。
そしてまた、開いた花が「果」となり、新たな「因」となっていく。
このことを、仏教では「縁起」という言葉で表現する。
私たち人間も、全く同じだ。
私たちは、既に自分の生まれて来た役割、使命、天命があって、それはあなたの最も奥深くに眠る「因」に刻まれている。
そして、必ずその人が必要なタイミングで、必要な「縁」に出逢うように出来ているのだ。
しかし、その「縁」は、いつも菩薩様のような優しい顔をしているとは限らない。
時に、仁王様のように怖い顔や、もしかしたら、あなたの好きではない顔をして、あなたの前に現れているかもしれない。
だから、自分の固定概念で「良い事」「悪い事」と決めてしまい、もしかしたら仁王様の顔をしているかもしれない「縁」との出逢いを忌み嫌ってしまうと、
「本当の自分」という花の開花を遅らせてしまうこともあるだろう。
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縁のない種は自力では咲かない。
だから、「使命(本当の自分)を発見したい」と思うなら、様々な「縁」と出逢い続けることが重要なのだ。
「縁」とは、自分自身に化学反応を起こさせるきっかけであり、「別の側面の自分自身」でもあるのだ。
アルバート・アインシュタインの有名な言葉に、
「問題は、その問題を作り上げた心では解決できない」
という主旨ものがある。
このアインシュタインの言葉が指し示すように、自分で自分を変えること、自分に科学反応を起こすことは、簡単なようで実はとても難しい。
自分一人の考えで、どんなに新たな答えを導きだそうとしても、それはどこまで行っても「自分の考え」であって、そこから出ることはあり得ないからだ。
しかし、外的なきっかけがあれば、簡単に化学反応が起こり、変化していくことはある。
薬品を入れた試験管に同じ薬品を入れても、その薬品の成分は変わらない。
しかし、別の薬品をわずか一滴垂らすだけで、驚くような化学反応を起こすことは良くある。
中には、見た目には大きな変化を感じない場合もあるかもしれない。
しかし、その薬品の成分をよく調べてみれば、別の薬品を一滴混ぜた時点で、すでに性質の変化は起きているし、一滴が二滴、三滴と増えていけば、明らかな変化を起こしていくこともあるだろう。
人は「縁」に出逢い続ける限り、必ず毎日変化が起きている。
日々の変化は小さくても、その「縁」を増やし続ければ、やがて大きな変化となり、ある時、臨界点に達して、大きな化学変化を起こす日が来るかもしれない。
このブログに綴っている私の体験というものが、誰かの、何かの化学変化を起こすきっかけになれたなら、本当に嬉しく思う。
さて、ストーリーの中では、まるですっかり成功を収め、すでにハッピーエンドを目前に控えたようにも見える私の「自分探しの旅」は、実はまだ佳境にもさしかかってはいない。
この時期、沢山の「縁」に出逢い、ある意味での「果」を実らせた私は、新たな「因」を自分の中に作り上げようとしていた。
しかし、私が大きく実らせた「果」がしっかりと熟成し、「因」となるまでには、そのプロセスを通過するための更なる経験が必要だった。
種を覆う殻は、固くなればなるほど、割れる時は粉々になる。
私はこの先、まさに「自己」が粉々に崩壊するような体験を、この身を持って味わうのだが、
そのために必要な、絶対に割れることのないほどに、強固な殻を作り上げる時期がやって来る。
様々な「縁」が複雑に絡み合い、自らの殻を完全強固なものに仕上げ、私という「因」が大化学反応を引き起こすまでに、
私はもう少し、様々な縁と出逢い続けることになる。
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