【第14話】道具より魂は磨かれているか
悔しさと諦めの中で買った一冊の就職情報誌。
その号では、たまたま営業職特集が掲載されていた。
そもそも内向的で、(当時は)口べたで、引っ込み思案な自分が、営業なんて考えられなかったが、一つの求人広告に目を奪われた。
それは、今、まさに自分が商品に惚れ込み、代理店権利を得たものの、送られて来た膨大なチラシを前に尻込みし、
結局、商品を売る術が分からないままに放置している、あの「能力開発教材」の販売元の、社員募集の記事だったのだ。
嬉しかった。これしかないと思った。
会社勤めは嫌だけど、もうそれは受け入れるしかない。
でもせめてやるなら、自分がやりたいと本気で思えることをしたい。
その能力開発教材は、商品には本当に惚れ込んでいたが、売り方が分からなかっただけだった。
その商品を販売する会社で、先輩に売り方を教わりながら生計を立てられ、親や彼女も安心させられる。
営業職という職種に少々の迷いはあったものの、それ以上に、
「こんな素晴らしい商品を扱っているところだから、私に販売指導をしてくれた担当者のような素晴らしい人だらけの環境で、積極思考そのものの社風で働けるんだ」
「能力開発教材を扱うのだから、それこそ成功できるはずだ」
と、期待感で一杯になった。
そして何より驚いたのは、あまりのタイミングの良さだった。
こんなに願ってもみない条件が、間髪置かず現れた。
まさにシンクロそのものだった。
少し話はそれるが、以前、X(当時のTwitter)で、
「シンクロは起きてくるんじゃなくて、すでに起きていたことが見えたってこと」
とつぶやいたことがあった。
今になって過去の自分を振り返ると、その瞬間は見えていなかったあらゆる瞬間が、全て「シンクロニシティ」だったことに気づかされる。
そのあまりの完璧さは、「偶然」などではなく、全てが「必然」で起こっていたことを物語っている。
「シンクロニシティ」に関しては、他にも色々な気づきもあるのだが、この数年後、本当にバタバタと次々にシンクロが起こり、またしても大転換期を迎えていくので、その時にでも詳しくお伝えしたいと思う。
さて、さっそく求人広告に書かれた番号に電話をかけ、面接を取り付けた私。
数日後、意気揚々とその日を迎えた。
筆記試験の後、面談の時間になった。
面接官を担当してくれた方は、後の上司となる人だった。
面談が始まると、いきなり厳しいことをガツンと言われた。
「我が社の商品を購入したユーザーの方が、自分の好きな商品を売って仕事にしたいと沢山入ってくるが、
商品が好きな事と、実際に売れることは全く違う。
営業は(この会社の場合)、休みもないし、夜は遅いし、かなり厳しい世界だぞ」
新卒で入社した会社でルートセールスの経験はあったが、直接お客さんに物を売るセールスマンとは世界が違う。
もともと人見知りが強く、暗く内向的な自分に、本当にこの仕事が出来るのか…
そんな自分だからこそ、自分を変えたいと思ってここに来たが、いざ、その世界に飛び込む現実に直面すると、正直迷った。
確かに好きな商品を扱うことはやりがいを持てる。
しかし、自由を求めて会社を辞めたのに、やはり会社に拘束され、しかもこれまで以上に厳しい世界に身を投じなければならないのか…
またしても、自分の甘さが浮き彫りになった。
当時のことを今、冷静に振り返ると、ここで私が、根本的に自分の魂磨きのために、その世界へと身を投じようとしていたことが分かる。
その当時は当然、そんなことは見えていなかったが、無意識に、自分にとって最も必要な学びの場へ導かれていった。
その頃の自分は、精神世界、成功哲学といった、心の世界の知識は沢山身についていた。
しかし、知識偏重で、現実に生かす事が出来なかった。
頭に知識を詰め込むだけでは、足りないのだ。
世の中に、真面目で一生懸命に学び、知識を詰め込んでも、それを現実社会に生かせない人は、意外に多くいる様に思う。
私は、この「知識」「頭」「観念」を道具に例えて説明することがある。
道具は、それそのものには、良いも悪いもない。
問題は、その道具を使う人の「心」なのだ。
例えば、「知識」を「包丁」という道具に置き換えてみよう。
包丁は、磨けば磨くほど切れ味が鋭くなり、愛に溢れた人がその包丁を使えば、美味しい料理で多くの人を幸せにしてあげることも出来る。
一方、心が荒れてしまっている人にその包丁を渡せば、体を傷つけることも出来る。
しかも、切れ味が鋭ければ鋭いほど、危険を伴う。
その刃を人に向ければ、
「こんなに良い教えがあるのに、あの人はなんでこうなんだ」
「全く、世の中はなってない」
と相手を裁く。
刃を自分に向ければ、
「こんなに良い教えを学んでいるのに、どうして自分はいつまでもダメなんだ」
と、自分を責める。
矢印の方向が変わっただけで、これは全く同じ行為なのだ。
大切な事は、知識と魂の両方を磨くバランスだ。
私は、包丁を必死に磨いていたが、それを扱う自分の「魂」を磨かなければ意味がないことを、この時は、本質的に理解していなかった。
いや、それは頭で理解する世界でもないのかも知れない。
だから、現実の「営業」という厳しい世界で、まさに私の心を磨くステージが与えられようとしていた。
それは、その後、更なる自分の役割を果たしていくために、欠かすことの出来ないプロセスだったのだ。
面接の後、採用結果を待つまでの間、私の心の中には、合格してほしい自分と、落ちてほしい、二人の自分がいた。
1週間後、スキーに遊びに出かけようとしていたその時に、「採用」の電話が入った。
電話口で、「休みも少ないし、夜も遅いし、結果重視の厳しい世界だ。本当にいいか?」と念押しされた。
「お願いします」と答え、電話を切った。
当分の間、これが最後のレジャーになるかも知れないな…
そう思いながら、スキーに出かけた。
2月初旬、私の魂修行の「営業」人生が幕を開ける。