![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159778019/rectangle_large_type_2_a7253148f334ec27a121716c04d88d87.png?width=1200)
【第8話】ワクワクという名の現実逃避
![](https://assets.st-note.com/img/1730186985-xzpktGLVbUu0CBEIfvTw7W6y.png?width=1200)
プライバシーに配慮し、登場人物や企業名等は原則仮名です
前回は社会人一年生の頃の、ずいぶんとダメ社員ぶりを暴露してしまったので、もしかしたら、「精神世界の講師だなんて相応しくないのでは?」なんて思われてしまったかも知れません。
しかし、ここに書いている私の経験は、何一つ飾ることの無い、私の等身大の話です。
心の世界というと、何か、神秘的な、不思議なパワーとか、難しい専門用語とか、そんな、耳触りの良い言葉で自分を飾り立て、すっかり分かった様な気持ちになることがあります。
しかし、実際はどうでしょうか。
本当の学びは、常に自分の足下に示されていて、その事実に気づけるか、見過ごしてしまうのか・・・
少なくとも私が若い頃には、いつも目の前にあった「答え」に気づかず、何か「神聖な世界」に答えがあると信じていました。
(精神世界を探求する多くの人が陥っているような気がします)
そんな私の経験が、もしかすると何かのヒントになるのでは…と思い、話を続けていきます。
* * *
社会人になって1年。
相変わらず、無気力と無感動の日々が続いた。
自分はバカだったと思うが、一つだけ言えることは、いつも自分の心にだけは「正直」でいた、ということ。
さぼったり逃避もしたが、本音中の本音は、曲がったことが大嫌いな性質だった。
ある時、こんなことがあった。
生産中止になり、一切の在庫切れになった無線機のパーツを電話で注文してきたお客様がいた。
初めは丁重に、誠意を込めて状況を説明していたが、とにかくネチネチと、しつこく責め立てられた。
「なんとかしろ、どこかに一個くらいあるだろ!」と、あまりに自分本位な無理難題を言う。
私は、相手のあまりにしつこく横暴な態度についに切れてしまった。
(私も若かったのです・・・)
「無いもんは無いんだ!」
と思わず口走った。
「お~言ったな。お前名前を教えろ!本社に連絡するからな」
と言われたので、
「田久保剛です。どうぞ、今すぐ本社に連絡して下さい。他に何か、私に聞くことはありますか?」
と、堂々と答えてしまった。
「俺は後ろめたいことは何もない。文句があるか!」という気持ちだったのである。
(流石にそこまでは言わなかったが (^_^;)
この時、すぐに本社の営業部長から電話があり、当然、注意は受けたが、
「若いな!(そうも言いたくなるよな~)はっっはっっは~」
と、思いっきり笑われてしまった。
![](https://assets.st-note.com/img/1730271661-SR6Cjl9AI4a15eGftpYJkHT7.jpg)
とにかく得意先や会社からは、今思えば愛されていた。
しかし、そんな風に自分の正直な気持ちを曲げられない、不器用で生真面目な自分でもあった。
やりがいの無さを仕事のせいにしたりはしたが、やりがいを持とうと努力しても、ダメだったのだ。
そんな不器用な自分だったからこそ、やりがいを感じないまま、漫然と毎日を過ごし、適当に自分をごまかしては、器用に世の中を渡ることが出来なかったのだ。
仕事に不満を持ちながらその会社にいることが周囲にも申し訳なかったし、甘んじている自分も嫌だった。
その時の自分にとっては、それが本当に正直な気持ちだった。
日々、会社や仕事へのモチベーションはどんどん落ちた。
その頃に読み漁った、精神世界や成功哲学の本の影響で、
「サラリーマンで決まった給料で我慢して働くのは嫌だ!好きな事をやってお金を稼いで自由な生活を送るんだ!」
そんな、「若気の至り」の感情に支配され始めていた。
まだ何一つ、会社に貢献していない自分を棚に上げ、一緒に働いている同僚を見ては、
「何でサラリーマンなんかで満足しているんだ、こいつらは!」
なんて、心の中では全く失礼な裁きをしていた。
そして私は、やりがいの無い生活から脱するため、とうとう無謀な決断をしてしまった。
今、振り返れば、学生プロレスで輝いていた過去の栄光を思い出しては、情けなくつまらない現状とのギャップを嘆き、自己を確立できず、いつかの時の自分のように何かの支えを懸命に探していた。
同じ過ちを繰り返そうとしていることにも気づかず。
当時、流行ったスピリチュアル系の本に、「ワクワクする事をやればうまくいく!」という主旨の本があった。
現実を受け止めず、その本に書かれた本質も理解できずに、その言葉に踊らされる様に、多くの若者が「自分探し」と称して会社を辞めた。
一種の社会問題になっていたこの現象で、会社を辞めた若者達が目指したものは、
「ワクワクした事をやれば、きっと成功できる!」
「とにかくお金を稼ぎ、欲しい物は何でも手に入れ、好きなことだけをして人生を送るんだ!」
という発想だった。
今では私も、このワクワクという感情の本質が何を意味しているのか分かるが、本質を捉えきれない、表面的な理解から来るその発想は、まさに「現実逃避」という無責任なものだった。
多分に漏れずこの私も、その頃、どうすれば成功出来るのかを必死に考えた。
「成功者はみなプラス思考を身に着けていた。
世の中はネガティブな奴らばっかりだ。
俺は違うぞ。
俺はプラス思考を潜在意識に叩き込んで、真の成功者になるんだ!
そして俺もワクワクする事だけをするんだ!」
家族の反対を押し切って、自己を超越する、というセミナーに参加したのもこの頃。
今思えば、こういう経験も本当に貴重だった。
現在の私があるのも、この「失敗談」とも言える、この頃の経験が生きている事は間違いない。
しかし、そもそもの動機が、現実逃避から来る「プラス思考」や「積極思考」の理論武装に過ぎなかった訳で、
この時に闇雲に学び、強烈に身に付いた、「プラス思考」の間違った身につけ方のお陰で、今の自分に至るまでに、更なる大きな「学び」を経験する要因にもなっていくのだった。
やがて後先も考えず、
「俺は自分のやりたい事をやるんだ!」
と、訳のわからない虚構の自信を引っ提げて、約二年間務めた会社を辞めることになる。
そして、私のさらなる自己探求という迷走が始まるのだった。
→続きを読む
→『自分探しの旅』をはじめから読む
→『自分探しの旅』目次はこちら
![](https://assets.st-note.com/img/1730271894-UFIwDgjMv1atxcZl5zyJOKoC.png?width=1200)