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【第16話】魂の修行

注:この物語は、私の身に起きた「完全実話」ですが、
プライバシーに配慮し、登場人物や企業名等は原則仮名です

(前回より続き)

ビギナーズラックで新人一番乗りを果たした後、同期がどんどんと売り上げを伸ばす中、頑張っているのに一向に売れない日々が続いた。

以前の無線機メーカーにいた頃のように、さぼっていたから売れなかったのではない。

それどころか、朝から晩まで電話をかけ、休みの日も出勤して、かなり真面目にやっていた。

ここで私がなかなか成績を上げられなかったことは、実は後に、大きな意味を持つのだが、その時は当然、そんな先のことなど分からない。

頑張っているのに報われない…

そんな日々が続いた。

しかし、私の成績はまるで悲惨そのものだったが、暗く惨めで、苦悩ばかりの苦しい日々かと思えば、今振り返ると意外とそうでもなかった様な気がする。

体育会系で、結果や実力だけが評価される厳しさもあったが、もともとが、能力開発の教材を販売するところだけに、上司や同僚達はみんな、プラス思考で前向きで、生き生きとその時代を生きている人たちばかりだった。

年齢も勤続年数も関係なく、成績を上げたものが役職に付き、部下を引っ張り面倒を見る。

部下も、自分の上司がたとえ自分より年下であろうと、成績が伴っているので、誰も疑問を感じることもない。

そして、自分もそこを目指して必死に上司から学び、いつか追い抜こうと頑張る。

陰湿な空気を出す人がいれば、それは自然と会社の雰囲気によって淘汰された。

だから、厳しい上下関係の中でも、それはサッパリとした、とても清々しい空気が流れていた。

入社当時、私の所属した電話営業部は4部に分かれていて、それぞれの営業部には2つの課があった。

その4つの営業部をすべて取り仕切っていたのが、面接官を務めてくれた、山川本部長だった。

1つの課には5~6人が所属し、部内の全ての課が、一つの広々としたフロアで机を並べて仕事していた。

部下の指導は基本的に課長に託されていて、優しく丁寧に育てるタイプも人もいれば、何も教えず、自分で見て先輩から盗め、といった放任のタイプの人もいた。

この課長達はとても個性派が多く、面白い話が沢山ある。

彼らの話は色々と、是非お話ししたいこともあるのだが、私の体験の話の本筋からズレてしまうので、いつか機会があればにしよう。

そんな、個性派揃いの課長の中でも、私が最初に所属した営業3部第1課の藤崎課長は、頭脳明晰の切れ者で、山川本部長からの信頼も厚く成績ももちろん素晴らしかった。

しかし、頭が良いだけに、成績の伸び悩む部下をからかって遊ぶような、趣味の悪さがあった。

ちょっと部下をいじめて面白がるようなところがあり、藤崎課長は、成績の悪い私に色んなことをさせた

声が小さいから、と「立って電話しろ」と言われた。

広いフロアの一番向こうに聞こえるような大きな声で話せ、と言われ、私は本当にずっと立ったまま電話させられた。

恥ずかしかったが、その恥ずかしさを克服しながら思いっきりフロアに響く声で電話をかけた。

お客様から断られて、すごすごと電話を切ると、「なんで自分から切るんだ!」と横から蹴り飛ばされる

断られるのが嫌で、次第に電話するのをためらう私に、「そういう時こそ躊躇せずにかけろ」と叱った。

私も電話から逃げない様、自分から克服しようとして、ガムテープで受話器を手にぐるぐる巻きつけて固定したりもした。

究極は、その日一日、全く成約出来ないと、罰ゲームで、パンツ一枚でビルの廊下を一周させられた。

今の時代であれば、こんな指導はとても考えられないだろう。

ほぼ間違いなく「パワハラだ」と訴えられるだろうし、そもそも周囲の空気がそれを許さないだろう。

しかし、この時代、特に成功報酬の伴う営業の世界では、こういうしごきは珍しいことでは無かった。

パンツ一枚で走らされるのは、少し行き過ぎかもしれないが(笑)

少なくとも私自身は、そのせいで辞めたい、という気持ちは不思議と湧かなかった。

自分を引き留めていたものは何だったのか

確かに、成功報酬を得ることが一番のモチベーションであったことは間違いないが、それだけではない何か、私自身の魂の修行に必要なもの

そしてそれが、私にとって報酬以上に尊い価値を得られる何かであることを、無意識に知っていたのかもしれない

(次回へ続く)


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