【第42話】骨董通りの実のないオフィス
会社を退職し、新たな道へと足を踏み入れることになった3月初旬。
私の足取りは軽かった。
能力開発教材の営業マンとして会社にいた時代は、毎日終電近くまで仕事をし、休みもほとんどなく、子どもの面倒も妻に任せきりだったので、
新しい会社で仕事を始めるまでの間、10日間の休みを取って、今まで出来なかった分の家族サービスをした。
これからは自由に時間も調整できるし、収入だってもっと増やせる。
私は妻にそう言っていた。
何もないところからのスタートなのだから、多少なりとも不安や心配がありそうなものだが、強固なまでに完成されたプラス思考と、錯覚の自信によって全く感じなかった。
いや、そもそも独立して会社を経営する、ということがどういうものなのか、全く分かっていなかったのだから、普通の人が起業をする際にはどんな不安があるのかも、分かっていなかったのだろう。
自分の営業力があれば何だって乗り越えられる、という虚構の自信に、一点の疑いもなかった。
これでやっと、自分の思う理想の能力開発サービスを自由に提供することができる!
そして、最高のサービスを提供し、自分自身も、物心共に豊かになって大成功するんだ!
そこには希望と期待と夢しかなかった。
それがどれだけ甘く、世間知らずな考えだったかを思い知るには、もう少し時間がかかった。
東山さんと共に経営したその会社は、形だけだった。
中身が何もなかった。
私は、東山さんが先に用意してくれていたオフィスに足を運んだ。
そのオフィスは青山骨董通りにあった。
東京近郊に住む方や、都内で働く人なら、「青山」というエリア名だけでも、大体どんな場所かは想像が出来るだろう。
しかも、青山骨董通りはその名の通り、古美術品を扱う骨董品店や高級ブティックが並ぶ、やけにオシャレな通りだ。
オフィスに入るとそこには、土地柄によく似合う、センスの良い、落ち着いた空間が広がっていた。
約10坪の事務所は、小さくもオープンな雰囲気で、広めのデスクが中央を向くように3方向に置かれ、私の座ることになっていた場所には、革張りの広い背もたれの役員椅子があった。
部屋の一角にはガラス越しの中庭があり、観葉植物が置かれていた。
中央には来客にも対応出来る、おしゃれなテーブルが配置され、打ち合わせスペースが出来ていた。
3つの各デスクにはデスクトップPCが1台ずつ。
そのうち2台は最新ハイスペックのmac。
この時代、SOHOという言葉が流行し、個人でもPCやインターネットを駆使して起業する人が増えてはいたが、営業マンが一人1台のPCを持つなど、まだ決して、多くはない時代だ。
そのオフィスは明らかにSOHOよりグレードが高く、でもベンチャー企業というには小規模な感じだった。
洒落た街の一角の、小さいがスマートで明るく洗練された印象のオフィス。
いわゆる一般企業の殺伐とした事務所でしか働いたことのなかった自分にとっては、正直言って、なんとなく居心地の悪さを感じたが、
「まぁ、こんなものかな」と思った。
この時の私は、起業というものがどういうことなのか、いまいち分かっていなかったのだろう。
実は、そもそも「青山」なんて土地柄が、自分には性分に合わない気もしてはいたのだが、与えられた環境に疑問を抱くような経験値も、この時の自分には無かったのだから、受け入れるしかない。
後になって思えば、私と違い、東山さんはもともと大企業にいたせいか、形にこだわるタイプの人だったらしい。
とにかく、そのオフィスは「スマートな大人のビジネス」を “演出” するには、最高の場所ではあった。
メンバーは、社長の東山さんとアルバイトの沼田君。
沼田君は東山さんの知人の息子で、まだ20才そこそこの若い青年だったが、PCに関心があるという理由で、PC作業と雑用その他で雇ったらしい。
私は、東山さんのお兄さんが抜けたあとの専務取締役を引き継ぐ形で入り、ハイスペックmacの置かれた、やたらと立派な役員の席を与えられた。
とりあえず、腰を下ろすものの、
「俺はいったい、何をしたらいいんだ?」
そんな感じだった。
突然、異次元の世界に連れて行かれた異邦人のように、身の置き所が無かった。
起業して間もない、まだ何も始めてすらいない、その時の自分たちにとって、そのあまりに洒落たオフィス環境が、いかに無駄が多く、どれだけ不釣り合いなものだったのか、
そして、私がそこに危機感を感じるようになったのも、まだ少し先のことだった。